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いる競争 いらない競争

競争と改善

区役所などに行くとうんざりする。
すべてがとてつもなく効率が悪いからだ。

ネットでなく、わざわざ窓口に行かないといけない。
同じことを何度も手で記入しないといけない、全く不必要な印鑑をたくさん押させられる。
このひたすら手で記入した情報はいったいどうやってまとめられているのだろうか。(まさか、誰かがPCに入力しているわけはないか)

何かを効率化しようという意志をほとんど感じない場所だ。

様々理由があるだろうが、「競争がない」というのが一つのではないか。
何もしなくても、住民がいなくならない限り存続できる。
改善すると誰かの配置転換をする面倒などももあるのかもしれない。

こんなふうに、競争があるともっと便利になることある一方で、やめるべき競争もあるように思う。

じゃあこの先どうなればよいかについて考えてみたが、、、わからない

メーカーの無駄な微差競争

僕は、大手消費財メーカーにつとめている。
大企業は、既存ビジネスが巨大な企業だ。皮肉にもそれが働きがい喪失とつながっている。
多くの人が気付いているとおり、殆どの既存ビジネスは機能的に飽和していて、情緒的価値での競争になっている。

その世界でよく取られる手法は、何かしらの新しい技術を開発し、その技術の特徴をいかにも意味ありげなストーリーに仕立てて、広告によっていかにも他では得られないことがあるように見せるというものだ。

絶望的なことは、新たな商品の生活者ベネフィットはほぼ全く変わらないということだ。新商品を使っているという気分、他人に見せびらかす満足のための購入を煽ること。

今の自分で良いという安心感や充足感や、足るを知る満足を提供することは、競争に負けるからできない。

メーカーの社員は、企業を存続させるために、給与と安定した生活をえるために、虚しさを感じながら、競合との競争する。そして、時間やお金を消費して、ゴミを作り続けている。

それは違う、という意見もあるだろう。iphoneのようなイノベーションを生み出していかないといけない、と経営陣などは好んでいう。

果たして、iphoneは世の中をマシにしただろうか。自分には、スマホのいいところと言われるものはほとんどガラケーでもできるものだったのではないかと思う。

どれほどの人が、iphoneだけにしかない良さで購入しているのか。ただ流行っているから、友達が使っているから、キャンペーンで安く購入できるから、無難だから買っているのではないか。

iphoneって何がいいのというと、アートを理解できない頭の固いバカだと思われるからってヒトもいるのでは?

じゃあどうなればいいか?→わからない。。。。

エッセンシャルワーカーという言葉がある。それの対比語は、自分のようなブルシットジョブワーカーだろうか。

看護師や保育士、介護士、清掃員といったエッセンシャルワークは、社会にとって必要不可欠なのに、給与が低い。一方で、儲けの小さい必需品を避けて、不要な贅沢品の消費を煽るブルシットジョブは給与が高い。

前者は明らかに誰かの役に立つことができるが、給料が低い。後者は、世の中を変えないばかりか、環境問題を引き起こしているのに、給料が高い。

エッセンシャルワークで儲けられる仕組みができればいいのか、大企業などからエッセンシャルワークにお金の行く税などの仕組みがあればいいのか、それとも儲けというものの概念を変えるべきなのか。

こんなことに悩むんだったら、辞職したほうが良いのかもしれないと思うが、家族を守らないといけない、今戦略を担当していてこの体制に引導を渡すのが自分の役割にできないかと目論んでいる、もう少し勉強などをしたいということで、ただの甘え・ビビリだらけで残っている。

最近マルクスが注目されているという。新書大賞などになっているようで、それを読んでみよう。

そしてまた、考えて投稿してみようと思う。


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