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ギルティはフリーにならないし、してはならない。農作業をしながらおもうこと。

大切な人が笑顔で天寿を全うするその日まで幸せに暮らせるよう、決してその生命が理不尽に脅かされることがないよう願う。

鬼滅の刃より(原文ママじゃないかも)

漫画を読んだとき、この言葉に感動した。そして、とても正しいことだと思う。でも、それは”大切な人”のためだ。

ギルティフリーという言葉を聞くことが多くなった。でも、それは正しいことなのか?生きていく中で犯す罪はチャラにできないし、それを見ないことはもっと罪深い。農作業をしながらそう思う。

毎週土曜日に農園に行く。農薬を使わない有機栽培の農園だ。とはいえ、農園は人工的な環境だ。土を耕して、種や苗を植える。高層マンションほど人工じゃないけど、人の手のついていない自然からは程遠い。

どの季節も、僕たちが害虫と呼ぶ虫がいる。春はアブラムシやアオムシ、夏はニジュウヤホシテントウ、秋冬はヨトウムシなど。今日は、ナスについたニジュウヤホシテントウを10匹くらい駆除した。虫たちにとって当然の権利を踏みにじって、理不尽に命を奪った。毎週のように手を下している。

農作業をやっていると自分で手を下す。植えられた植物はもちろん、そのための土地にもともと住んでいた生き物、害虫と呼ぶ生き物の自由や命を理不尽に奪う。

日常生活では、直接手を下すことはあまりない。でも、日々間接的に、食べるため、衣服を作るため、電力を生むため、レジャーを楽しむために、たくさんの命を奪っている。

生きるために他の生き物の命を奪うことは仕方がない。だからこそ、そのことを直視しないといけない。直視して、無駄に奪うことのないよう自分をりっしないといけない

この先、AIに意識が芽生えたとしたら、その尊厳は人間の管理下に置かれるだろう。そして、人間の勝手でその新しい存在も破壊するだろう。

自然中心主義、人間中心主義どちらも極論だ。どちらかに寄りすぎると人類は必ず滅びる。僕たちは、あくまで人間中心主義の立場に立ちながら、最大限に他の存在の尊厳を重視するしかない。

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