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【ライブレポ】KEYTALK巨匠 35歳の弾き語り day2(20230526)

1988年生まれ、「ハンカチ世代」とかつて言われたこの世代は、今ではそれぞれが突出した存在となり誰かが引っ張っているという感覚も薄れたため、もはや柳田世代やマー君世代などと言われることすらもなく「88年世代」と一挙にまとめた呼び名で呼ばれています。
少なくとも野球だけでみれば●●世代なんてひとくくりにされて特別な扱いを受けることなどそうそうなく、最強世代の一つといって間違いないでしょう。

KEYTALKのボーカリスト・巨匠から「普通の人」という自己評価を聞いたのは、2023年3月、3カ月ほど(もうそんなになるんですね)前の2回目の武道館公演のMC。
熊本に生を受けた巨匠もまた、1988年生まれでした。
KEYTALKは4人とも同い年なので、メンバー皆88年世代ということになります。
2015年の1回目の武道館公演のときくらいまでは、自分は他と違う存在なのだと鼻高々だったそうですが、無理もありません。
自分は後追いなのでKEYTALKの駆け上がり方を情報ベースの年表から追っていくより他にないのですが、それを見るだけでも指数関数的な伸びは感じます。
しかし伸びに伸びた鼻は、武道館があけていつしか経ったらへし折られていました。
現実に打ちのめされることがたびたびあったといいます。
2回目の武道館では、以前のようなオープニングで飛び出すしかけもなければ、自身が宙づりになる演出もありませんでした。
息まいて前回以上の曲数にチャレンジするわけでもありませんでしたし、地に足がついている印象を受けました。

普通の人であることを自覚したからこそ、飾りもめかしもない、素のままの自分をさらけだしてステージに臨む。
言うほど簡単なことではないはずです。
身に着けた洋服は、小高くなったステージ上で照明に当てられることでステージ衣装に変わります。
その辺の道を歩く私服ではもはやありません。
そうなってしまった時点で、もう自らが普通の存在だと自覚することは難しいと思うのです。
自分はステージに立ったことがないので想像でしかありませんが、照明の光量が増すごとに高まっていく特別感はしかし、音楽的才能を除いて自分には何もないと謙遜する人にとってこそ、ある意味では防護服として役立つのではなかろうかとも思っています。
小高くなった丘に立ち、そこに注がれる視線や歓声の圧を強く感じる時、どこからか湧き上がってくる自信や特権意識は、壇上で受けるプレッシャーから身を守ってもくれるのでしょう。
プレッシャーを押しとどめて、有名人であることにつぶされないようにしてくれる意識を「普通の人」の一言で否定して剝がしてしまうのは怖いし大変なことなのではないかと、自分みたいな人間は思うわけです。

5/26 第二部のレポです

ステージ衣装は濃いグレーのジャケットと揃いのスラックス、フォーマルっぽい厚めの靴は真っ黒でした。
武道館やGWのフェス期間のギラついた赤い髪色はかなり脱色されて薄めのピンク色になっていて、カラオケ音源に乗せて上手からケツメイシの「バラード」(懐かしい...!)を歌いながら登場してきたときには、以前の茶会で見た義勝と同じような、近所のお兄ちゃんのような親しみやすさがありました。

義勝もそうでしたし、ボーカリストではないのに異例の弾き語りライブを、メインボーカルを上回る1ヶ月に一回ペースで行っている武正もそうだったのですが、みな華々しい登場をあまりしたがらないようでした。
義勝なんかは開演時間の数分前にチューニングを合わせに来たスタッフのごとく音もなくぬっと現れましたし、武正に至っては開場前からフロアに降り立ち天ぷらDJアゲまさとして出迎えてくれます。
自分のライブの前座を自らが担い、時間になるとDJブースからフロアを突っ切って本編を始めるのです。
客電が落ちて雰囲気が出て、さぁ本丸と奉られることへのむず痒さがあるのかなと思ったりするのですが、かれらのときより心の準備ができていたとはいえ、初めてこんな間近で見る巨匠の登場もまた、「そう出てくるんだ」と意外に感じる格好でした。
番号の運がよく、最前で見ることができました。

割れるような拍手に包まれることもなく、皆さん慣れていらっしゃるのか「おおー」という歓声が上がることもありません。
グラスの氷の音すらも立てず、奥行きのなく横に広いライブハウスに集まったお客さんはことの成り行きを静かに見守っていました。
本人は「普通の人間」と自称こそしますが、静かに熱を帯びていく地下の空間は、本人の意志とは逆に巨匠をどんどん特別な存在に押し上げていくようでした。
その気がなかったとしても、期待の高鳴りで場がきらめていていくのがよくわかるのです。
目に見えてはっきりとしたシグナルでないからこそ、より箔が着いてくるような気がします。
長い有線マイクを操りながら、右足をメトロノームのように踏んでいた巨匠は、アウトロが終わるか終わらないかのうちにステージ中央にある可動式の丸椅子に腰掛け、少しきまずそうに「どうも、KEYTALKの巨匠です...
お立ち台で生ビールを飲み干し、他のメンバー3人に囲まれてギターをジャーンと鳴らしながら「KEYTALKですヨロシクゥーっ!」と叫ぶいつものライブとは当然ながら違う雰囲気なのですが、そんな中で聞く「巨匠」の2文字は、あだ名にしてはあまりにも看板が大きすぎるという字面のおかしさがいつも以上に強調されて入ってきました。

耳に髪をかけるかのように有線マイクをスタンドに引っ掛け、中空のアコギを背後から取り出して歌い始めたのは「黄昏シンフォニー」。
巨匠の傍らにある円卓の上にお酒がおいてあるのは予想通りでしたが、置かれていたのが青ラベルとピンクっぽいラベルの2本のみだったのは意外でした。
酒豪といえど、一日三部回しだとさすがに自制しているようです。

ライトは黄昏色にこそ染まっていませんでしたが、背中側から照りつけてジャケットに生まれた波戦のコントラストを鮮明に見せ、それが弱まってトーンが落ちると今度は両サイドの光が相対的に強くなり、先ほどまでとは対照的な光と影のコントラストを作っていました。
濃淡だけあるモノクロの中に、日の出と日の入りが限りなく再現されています。
歌っている姿だけ見ると無骨で、一見ぶっきらぼうにも見えます。
閉じた口から漏れだすように歌う義勝とはまるで違っていて、緊張させた首元や力のこもった口元が隠されることなくそのまま隆起して地形みたいな段差を作っていたのですが、出される声はテグスのように繊細でした。
旋律の迷宮」のサビで音が上がってミックスっぽい音になるところなど、スリルさえありました。
なるほどこれが迷宮かと思ったものです。

KEYTALKで活動しているとき、巨匠を見ていつもちらつくのは少年の薫りでした。
KEYTALKというバンドじたい、教室の後ろで悪ふざけをしている中坊のような性格の4人組ではあるのですが、巨匠はその中でもさらに若いというか、もっと無邪気な部分が消えずにくすぶっている気がしていたのです。
「一部の終わりに少し飲んでいたらしんみりした気分になったんですよね」
日頃メンバーからよく「笑いのレベルが高い」と言われる巨匠なので、ほとんど一曲ごとに何かしらしゃべっていた義勝や武正のように喋り倒すのかなと思っていたのですが、予想に反してはじめの3曲までほとんど喋らず、挨拶以降はじめて口を開いたのは4曲目の直前でした。
「なので、今日は昔のことを思い出しながらしっとり系でいきます。」

尾崎豊の名曲「I LOVE YOU」を歌った後、口を開いて語り出したのは、自分がかねてから感じていた巨匠の少年ぽさの核心にせまるような話でした。

熊本での中学時代、吹奏楽部に所属していた巨匠は、100人規模の大所帯の部長でした。
顧問の先生からの信頼も厚く、校舎のマスターキーを預けられているほどだったようです。
ご両親も厳しく(今でも家族の話は4人からたびたび出てきます)、恐らく成績もそれなりに良かったのでしょう。
今の姿からも何となく想像がつきますが、大人からの評価も高い、いわゆる模範生徒だったことが伺えます。
一方で当時は年齢にして14,5歳の頃、多感であり色々なことに興味を持ち出す時期です。
音楽に本格的にのめり込むようになったのはそのころらしいのですが、ある音楽をきっかけに、外面で振舞っている模範生徒の像に反し、身体の底から湧いてくる衝動的な感情にいつしか気が付きました。

「自分って何もない、普通の人間だ。」と武道館のスピーチで語っていましたが、中学ですでにその体験を痛烈な形で食らっていたのでした。
恐らく巨匠にとってはそれが初めての”凡人体験”だったのかもしれません。
誰しも少なからず体験するであろう、逆立ちしても敵わない天才との出会いです。

「尾崎豊にハマって。『I LOVE YOU』とか15歳とかで書いたんだって。それを知ったとき、『俺同じ年だけど何もない』って気付いた。経験値が圧倒的に足りてないんだって」

尾崎豊の書いた曲への憧憬と、しかし殻を破り切れていないもどかしさが伝わってきます。
自分にも痛いほどしみ込んでくる話です。

「『15の夜』なんてあれでしょ、盗んだバイクで走り出してみたり。『卒業』は校舎の窓ガラス割って回ったり。」

ある時、思い立って殻の向こう側に飛び込んでみようとしたことがありました。
吹奏楽部は最後まで校舎を使うため、帰りの施錠チェックも警備員がわりに担当していたそうです。
何をひらめいたのか当時の寺中少年はこれを利用し、1階の窓の鍵を一か所だけ開けておきました。
ツメを上下に動かして嚙み合わせるタイプの鍵です。
露骨に開けておいたのでは気付いた誰かに締められてしまいます。
それを防ぐための手口は実に巧妙でした。
普通であれば1ペアになった左右の窓を締めきってから鍵をかけるところを、ツメが嚙みだす直前に下ろして強引に窓を閉じてしまうという小細工を仕掛けたのでした。
窓は締め切られ、鍵もしっかり下に降りているので誰も締められていることに疑いを持ちません。
けれどもツメの引っかかりが甘いため、開けようと思ったらすぐに開けられてしまうという仕組みです。
ひとまず一か所だけそのような状態にして、いつものごとく鍵を締めて家に帰りました。
家族が寝静まった頃、寺中少年は動き出しました。
家を裏口からこっそり出て、向かったのは真夜中の校舎。
細工をした窓からするりと侵入したところで、少年の夢は果たされました。
一種の透明人間状態だと思うのですが、特にいたずらをしたり欲望を満たしたりするわけでもなく、外階段の踊り場に出て満足げに一夜を明かしたといいます。
ただそれだけでした。
翌朝は当然ながら誰よりも早く登校。
そもそも夜中に家を出てきた時点で、制服を着ていました。
寺中家から学校にも電話があったそうで、家を抜け出したことは朝礼の時点で担任の先生も把握していたようです。
さすがにちょっと言われたようですが、近づきがたいオーラをその時から出していたのか、さして問題にもならなかったようです。

バイクを盗むわけでもなく、ガラスをバットで粉砕するわけでもない、ただ「学校で一晩過ごした」というだけのかわいい話なのですが、事と次第によっては事件に発展してしまうのではないかという緊張感や、積み上げてきた先生の信頼を失うのではないかという恐怖感などが肌に伝ってきて、そこらの元不良のやんちゃエピソードよりもリアルに感じました。

かといってそれから寺中少年は不良に転じたわけでもなく、またいつも通りの模範学生に戻って学校生活を過ごしていったのでしょう。
友達とバンドっぽいことをしていたために作詞作曲を頼まれた、卒業式で歌うための曲に「プールサイドで君のことを見ていた」という風な歌詞を書いてまわりをざわつかせたこともあったそうです。
これはわざと狙ったわけではなさそうで、「プールサイドって歌詞に入れたいよね」と思っていただけのことだそうですが。
「ピンポンダッシュ」という曲をこのころ書いていたという話もちょうど思い出しました。

樽いっぱいの水に一滴のにごり。
夜中の散歩者エピソードを聞くと、恐らく巨匠はそれくらいのちょっとした刺激を持ち運んでおきたいタイプなのかなと思いました。
清らかな水で満たされた容器の中に、わずか一滴の濁った液体が入ると、清水にふれた最初の一瞬だけは濁りが水の中を貫いた様子がはっきりと見えます。
しかしそのまま時が経てば、次第に拡散によって濁りは樽全体に広がっていき、また元の綺麗な水に見かけ上は戻ります。
水に落ちた最初の一滴、色づくその瞬間を見たいがためにわざわざ小細工までして学校に忍び込んだのかなと思いながら聞いていました。

器用なタイプだと思います。
もちろん正しい方向への努力があってこそなのですが、バンド以外をやらせても上手く行っていたんだろうなと勝手ながら想像できるくらい、巨匠はソツなくなんでもこなせるイメージがあります。
尾崎の曲を聴いているとき、目の前にいるのは巨匠のはずなのに、若くして夭折した10代の教祖の傷だらけの姿がちらちらと重なるところがありました。
ほかでもなく、巨匠の歌声が尾崎のそれに聴こえたのです。
ミスチルの「Sign」のとき、ABメロはなんとなく聴いたことがあった気がしたのですが、どうも誰の何の曲かは察せませんでした。
ところがじっと耳を澄まして歌に集中すると、桜井和寿の声が聴こえてきたのです。
サビにくれば流石にミスチルだと分かりましたが、その前から実像が近づいてきていました。
耳もいいでしょうし、そのまま発声するコピー能力にも長けているのでしょう。
まずヘマをしないし、仮にあったとしても対処が上手くて何事もなかったように振る舞えるのだろうなと想像してしまうところがあるのですが、なんでもできて周囲からもそれを求められてきたからこそほんの些細なイタズラ心が生まれてくるのかもしれません。

この支配からの卒業なんていう大それた革命的な破壊ではなく、ただ一滴の汚れだったり、照明に誘われてやってきたこの日の小さな羽虫のように、取るに足らない小さな違和感を大切にしてこれまでやってきたのかなと思いました。
語り終わった後、あの頃を思い出して少しの罪悪感を消すためか、ホワイトニングした白い歯を見せて声に出して笑います。
屈託のないその顔を見てしまうと、キツいことを言っていてもなんだか許せてしまうように思えるから不思議です。

6曲目、「高嶺の花子さん」は2014年の曲。
個人的には大学生の頃を思い出します。
KEYTALKはこの頃、メジャーデビューしてその時の旬のロックバンドの一つに名を連ねていました。暴れるギターを抑えつけるように弾く姿を見ながら、歌詞に通じる男心に共鳴せずにはいられません。
自分よりいくつか年上で、この曲が出た頃にはもう20代後半だった巨匠ですが、未だにこうした男の夢みたいな曲を大切に歌っているところにもまた、無邪気な少年の感性を見た気がします。

一曲遡って、ミスチルの「Sign」がリリースされた2004年当時、寺中少年は「Sing」だと勘違いしていたそうです。
歌番組で読み上げられて初めて間違いに気が付いたのだそうですが、ならば対称のような曲を作ってしまおうと生み出したのが、「Sign」とコード進行が同じ「Sing」というオリジナル曲でした。
その曲から、音源化もされていなければ過去の弾き語りで披露したこともおそらく無いか数えるほどだという過去の曲が続きました。
中学や高校時代に作った曲たちです。
カポをはめ、「ちょっとまってね」チューニングを合わせつつ、考え込むようにコードを抑えて進行を確認します。
過去の曲を掘り起こす作業は、大規模な掘削というよりも指で一つずつ小石をほじくり返していくような、そんな細かい作業に見えました。
単一の和音だった音の重なりが次第に起伏のあるメロディーになりだしたとき、「めちゃくちゃ普通の曲と変な曲やりますね」(この言い方やニュアンスは正直あまり覚えていません)

まず普通の、王道の曲というのが「カノン」。
売れ線の曲で頻用されるカノンコードをそのまま用いた、キャッチーな曲です。
さて、次の曲でした。
ごく当たり前のように巨匠の口から「トマトフェチ」という言葉が飛び出したとき、飲み込むのにわずかに時間がかかりました。
何年も前のKEYTALK TVで、巨匠の弾き語りライブ潜入ドッキリを敢行したとき、仕掛け人の八木氏と武正がキャッキャしながら「キラーチューン聞けるかな」といっていたのがトマトフェチという曲だったのです。

曲名からして惹きつけられるタイトルですし、ぜひ聞いてみたかったのですが、2人のニュアンスを汲み取るにまず公の場で披露されたこともない幻の曲で、タイトルの鮮烈さのみおもしろフレーズとして残っているような雰囲気でした。
おそらく巨匠以外聞いたことがないのではないかという感じでした。
インディーズのころですらない、もっと昔の曲をやりますと言い出したとき、トマトフェチが過ぎらなかったわけではありませんでした。
かすめましたが、でも、ありえないだろうな...
そう諦めていたところに耳に入ってきたので、言葉として頭に入ってきてもそれを処理する余裕まではありませんでした。
お客さんの反応が意外と薄かったので、もしや知らないところで実は弾き語りで何回も披露していたのかな、なんて思いましたが、レアキャラに遭遇できた喜びは表に出さないように隠すので精一杯でした。
もしかしたら他の方も、冷静を装ってそんな内心だったのかもしれません。

短いフレーズのトマトフェチは、「真っ赤なトマト〜」みたいな歌詞から始まる曲で、右に傾いてかき鳴らすようなギターが印象的でした。
照明が足元から燃えるようなどす黒い赤色に変わっています。
「緑のトマト、ビタミンCとかいろいろあって楽しいね」なんていうフレーズは、中学生が苦し紛れに書いた感がまるわかりで、それまで歌詞を自賛していた巨匠も「この歌詞はさすがに...笑」と苦笑いしていました。
メロディーはどうやら初めて買ったエレキギターの教本にあった「エレキっぽいフレーズ」をそっくり拝借したらしく、だからアコギに似合わないアップテンポで細かい伴奏になっているのだと合点がいきました。
酒を飲んでいい気分になり、何を思ったか昔の曲をやってみようかなと弾き出したからこうしてレア曲を聴けたわけです。
この日の二部はかなりラッキーでした。

もっとも、3部構成の弾き語りだと1部で既に酔っぱらって残りの2部の記憶が抜け落ちていることもしばしばだそうなので、レア曲っぽく披露したトマトフェチももしかしたらこれまで何度もかかっていた可能性も捨てきれないのですが...

終盤戦はリクエスト曲コーナー。
挙手でお客さんから募った曲を披露してくれる時間です。
巨匠の弾き語りはこの一週間前にもFlowers Loftであり、その時も3曲リクエストコーナーがあったことをちらっと目にしていたので、自分だったら...と考えていたのですが、ライブ前から確からしい予感がありました。

1曲目に当てられた方のリクエストは「桜坂」。
「あんちゃ~ん」という福山のモノマネも過去何度か見たことがあります。
突如、ゆりかごの中のように会場がふわっと揺れました。
不安定な丸椅子に座って重心をずらしてしまったのか、いやそんな記憶はないけどなと思いつつ、なおも揺れが続きます。
ステージ奥に掲げられた花の模様付きの「Flowers Loft」のくりぬきプレートがその揺れにしたがってゆらゆらとしていました。
自分だけが感じている揺れではないと気が付いたのは、その後巨匠はじめ周りがざわざわしだしてからでした。
地震はゆったりとした動きだったものの意外と長く、地下のこのライブハウスで大地震が起こったら逃げ場とかあるのかなと思ったりもしたのですが、結果としては何事もなくリクエストに移っていきました。

次の曲のリクエストで手を挙げたとき、来るだろうなという予感がありました。
会場に男がほとんどおらず、しかも最前に座っているという物珍しさから、目に留まれば当てられるだろうと直感していたのでした。
実際その通りでした。
一回ちらっと下手端のこちらを見た後反対側をじっくりと見渡し、再び視線をこちらに戻して「じゃあそこの...」
学校の授業を思い出しました。
先生がこっちを見た後全体を眺め、その瞬間だけで「ああ指されるな」と分かることがあります。
そして実際視線がこちらに導かれるようにやってきて指されるのです。
先生も多分コイツに当てようと初めに見たときに思うのでしょう。
そのあと全体を見回すのはポーズのようなものです。
巨匠の視線の動きも、まさにそれでした(とはやや自意識過剰かもしれませんが)
ここのシナリオは弾き語りに行く前から予感していたとはいえ、いざ指されるとなるとその直前に逃げ出したくなるのも同じでした。
手を挙げているくせに、悪目立ちしたくないなという矛盾した思いが出てくるのです。
リクエストする曲も決まっていました。
アオイウタ」です。
ここのやり取りは忘れもしませんが、自分の陰キャラぶりがみごとに発揮されて文字にもしたくないほど恥ずかしいので省くとして、話題はMVの裏話に移っていきました。

この曲のMVは4人をかたどった”モンスター”がクレイアニメとして登場してきます。
KEYTALKメンバーにはいつから決まったのかそれぞれのメンバーカラーがあるのですが、「アオイウタ」に出てくるモンスターたちの配色はみなブルー。
本当はメンバーカラーに合わせた色合いをモンスターに付けたかったそうです。
しかしそれが叶わなかったのは、この曲がANAとのタイアップ曲という側面も持ち合わせていることと深く関係していました。
義勝は紫、八木氏は青っぽい緑、武正は黄色...
ここまでは問題ありません。
引っかかったのは、巨匠のメンバーカラーである赤でした。
赤は競合他社、つまりJALのカラーでした。
意識していませんでしたが、確かにANAはロゴが青中心で、一方でJALは鶴の周りの模様は赤色に配色されています。
だから赤は絶対に避けるべき色だったのです。

クレイがモンスターのみならず背景や小道具までも青っぽい色で統一されていたのも、曲名が「アオイウタ」なのも、ANAと手を組んだからに他なりません。
タイアップにしなければ万事解決してたのかと思ってしまいますが、タイアップが生まれていなければそもそもMVなんて撮られることはなかったでしょうし、KEYTALKの良さである「青春」の青臭さを感じさせる「アオイウタ」が作られることもなかったでしょう。

「そうなんだよ、この世界ね、結構めんどくさい笑」

酔っ払った巨匠にアオイウタのテンポは速かったようで、カラオケを10%ほど落として歌っていました。
どこかで見たことある光景だと思っていたら、2022年の年明けのKEYTALK TVでそういうくだりを話していました。
アオイウタはそこまで速くないと思うのですが...
下の動画です。

リクエストで当てられたことだけで十分だった自分は、大好きなアオイウタを巨匠が歌っているときの記憶がほとんど残っていません。
テンポが10%くらい落ちると、ジェット機というよりも熱気球みたいにのんびりしたものになってしまうのですが、緩慢なテンポであっても満足でした。
3人目の方は津軽海峡・冬景色。
大真面目にKEYTALKの曲をチョイスした自分が恥ずかしくなります。
このあたりから、巨匠が少し怪しくなりました。
一度言った件を忘れたり、よく見てみると顔が赤くなっています。

「あれ?津軽海峡ってどんな曲だっけ?」鼻歌をためしに歌ってお客さんから「それじゃない笑」と言われ、「え?違うの?」どうにもフレーズが思い出せそうになかったので、第二候補を募ります。
「津軽って青森だよね。なんか青森の曲ほかにない?」
連想ゲームから出てきたのが、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」でした。
いよいよ日常のカラオケ大会の様相となってきました。
「テレビもねぇ」の有名なフレーズだけしか元々知らないのか、そもそも酔って譜割りが飛んでしまっているのか、ところどころたどたどしく歌いながら、合間に巨匠ならではの偏見にもとづく田舎人っぽい喋りで銀座の強盗事件を語りで入れ、笑いにつつまれたところでリクエストコーナーが終わりました。

KEYTALKメンバーのソロ仕事には、出演しないメンバーの家族がよく来られます。
武正のゴ会では義勝と巨匠のお母さんが来られていましたし、義勝の茶会では八木氏のお母さんがいたようです。
この日も、1部と3部で八木氏のご両親が来られていました。
もっとも、この2部では不在。
しかも一部がお父さん、三部がお母さんと両親別々の観覧だったそうです。

「売れないときからよくしてくれて、メンバーの親はもう第二の両親みたい」
もう他人の親ではなく肉親に近いので、感謝していても歌に乗せるのは恥ずかしいようでした。
「一部と三部ではやらないけど、二部は来ていないのでやります」
そうして最後に披露されたのが「照れ隠し」でした。

唾をとばし、他のどの曲よりも力を込めて歌っているように見えました。
バンドでいるときほど首を振らず、より真っ直ぐに届けています。

こうして1時間以上にわたった弾き語りは終わりました。
先日KEYTALKとしてのライブハウスツアーが始まり、それが終わり夏フェスを越えたらアルバムのツアーが決まっています。
弾き語りも少しの間休止かなと思いますが、また行けたらと思うばかりです。


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