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【ライブレポ】藤井風 "LOVE ALL ARENA TOUR" 仙台公演 2日目(20221218)

冬になればごく日常的に雪が降る地域では、降らずともその気配をうっすら白く濁った夜空に感じるのだと知りました。

12月18日(日)、ソロアーティスト・藤井風が全国アリーナツアー「Fujii Kaze “LOVE ALL ARENA TOUR”」(LAAT)を宮城セキスイハイムスーパーアリーナにて開催しました。
8都市16公演の2公演目です。
個人的には昨2021年開催の「Fujii Kaze “HELP EVER ARENA TOUR”」(HEAT)福岡1日目以来でした。

https://note.com/cutter/n/n6134fd3b8385

藤井風に関してはあらゆるツールで様々な角度から語り尽くされているでしょうし、プロアマ問わず秀逸な筆致でライブが再現されている文章はたくさんあるのだろうなと思いますが、ここは自分の感想ということで、断片的な記憶を繋げながらあの日見た景色を振り返っていこうと思います。

*曲目や演出に関しての記載があります。

帰りがけに雪が降ってきたという初日土曜のなごりを濡れた地面に覚えながら進むアリーナへの道は、事前に聞いていた通り寒かったです。
山の中腹みたいなところに会場があるとも聞いていたのですが、仙台からのシャトルバスに乗った1時間弱の道中では山道をさほど感じず、気付いたら着いていたという感じでした。
ただ下りてみるとその真意が少し分かりました。
一面さえぎるものが何もない。
春夏には緑をつけるであろう等間隔に並んだ木も当然のごとく葉を枯らし、唯一残された幹がその存在をもって寂しさや心細さを増しています。
この日は現地の方に言わせればさほど寒くなかったのかもしれませんし、実際覚悟していたほどではありませんでしたが、それでも何にも守られない、やや高地の寒さは結構応えます。
自分が加わったアリーナに向かっていく人の流れは、ただ暖を求めに行く列にも見えました。

場内へ。
今回は構造がセンターステージだとは聞いていたので、スタンドの後列でも決して外れ席ではないのかなと少々期待していましたが、確かにその通りというか期待以上でした。
東ブロックから入ってチケットと席とを照らし合わせてみれば、真ん中に鎮座するステージの正面やや入り口寄り、傾斜もついているので列のわりによく見えます。
もしステージ形態がセンターではなく通常のメインステージだったら、入り口の反対側にあるステージはかなり遠かったことでしょう。

落ち着いたところで改めて目の前の光景を眺めてみました。
4本のクレーンががっしりと支える中央に、大きな円筒形のステージ?があります。
ただ、真っ暗なのでそれが本当にステージなのかは分かりません。
センターにあるわけなのでここでライブが展開されていくのは明らかですが、いかんせん不安になるくらい黒に包まれていて?マークをつけてしまいます。
ただ、真っ暗な中でも、天井のほうに高々と掲げられた四角形がなんたるかは分かりました。
フロア側を向いて4面掲げられていて、360°誰も見逃さないようにつけられたモニターです。
恐らくモニターをこの日は見続けることになるのでしょう。
スモークは視界をさえぎらんばかりに多く焚かれています。
その上には照明なのかカメラなのか区別のつかない機材がぶら下がり、こちらも真っ暗。

薄ぼんやりとした光の中待っていると、開演予定時間を少し過ぎたところで暗転しました。
今回は主催ライブとしては久々に声出しが解禁されたのですが、暗転から始まりを知ったフロアからはまだ声は出てこず、拍手で応じます。
たしかバックミュージックも鳴っていたでしょうか。

歓声が上がったのはその少し後でした。
その歓声には悲鳴にも似た色が混ざっていて、多分藤井風が登場してきたのだろうと思いはしましたが、センターの円柱は真っ暗なまま。
初めはどこで何が起こっているのかが分かりませんでした。
よく聞くと歓声が聞こえてきたのはごくごく一部から。
自分から見て右下のほうでした。
広い広い会場の足元から声が聞こえてきます。
そのあたりに光が当てられるのと、センターの4面スクリーンにそこで起こっている出来事が投影されるのは同時でした。
そこに現れたのは、アリーナB5ブロックとE1,2ブロックの間あたりを不安定な自転車で通り抜けていく藤井風。
通路には十分なスペースがあったはずですが、こちらの角度から見ると通路を挟んだ手前ブロックと奥とで距離感を失っていたためお客さんが重なっているように見え、人ごみの中を自転車が割いていくように見えます。

人ごみを抜けてセンターステージのほうに来たときにようやく、生で全貌を目にすることができました。(このあたりの記憶は曖昧です)
青の甚平っぽい衣装を着た藤井風が、手を振りながら危なっかしくステージ周辺をぐるっとまわっていきます。
自転車にまつわるものでいえば、たしか夏頃のホールツアー広島で自転車に乗っている姿がインスタのストーリーに登場したことがありました。
夜の道を、田舎のヤンキーかあるいはおじいちゃんみたいだという人もいましたが、大股開いて乗りこなすという奇妙な図です。
「grace」にも子供たちを従えてインドの一本入った道を行くシーンがありましたが、それらとの関連もあるのでしょうか。

一周した後、藤井風はステージ中央に消えていきました。
その中心にある浅い円柱は開演前と違って側面にバーライトを光らせていましたが、まだ沈黙を守ったままです。
またしても声が上がったのは、黒い円筒のさらに内側からピアノの乗った台が上がってきたからでした。
円柱の中にもう一つ円柱があったということになります。
ネタバレも内容のほのめかしも出来る限りシャットアウトして「どうやら構成はセンターステージらしい」という予備知識だけで入った自分は、まだ何も始まっていないもののここだけでかなり驚きました。

M1~4

せりあがったピアノの傍らには、いつの間にかチャリを捨てて何処かに行っていた藤井風がいます。
こちらの東ブロックには背を向けてイスに座りましたが、恐らくいずれこちらを向いて弾くターンがやってくるのだろうなという予感はうっすらと漂ってきます。
だからこそのセンターステージなのでしょう。
藤井風のほかにステージには誰もおらず、始まったのは「The sun and the moon」。

こういう時、ステージ上の4面モニターは役立ちます。
ラグもなく高画質のアップで、表情や弾いている指先を見せてくれました。
今回のステージでありがたかったのは、綺麗なモニターもさることながら、その位置がさほど高いところになかったこと。
画面の大きさなどもあるのかもしれませんが、なんとなく低い気がしていて、生の実物の少し上に画面があるような状態です。
そのおかげで、少し視線を動かせば画面とリアルとを自由に行き来できました。
大抵の場合は演者の遥か上にあるもので、忙しく目線を移動させているうちに没入感なんてものがだんだんと薄れてきてしまうのですが、今回はそれがありません。
構成の上ではそんなことも計算に入れられているかのようでした。

ステージに話を戻すと、序盤の藤井風はとても丁寧にピアノと向き合っているように見えます。
伸ばした指を真っ直ぐに鍵盤におろし、じっくりと音を出していました。
モニターで見るとよくわかります。
一音一音を出す操作が、機械仕掛けのように精巧です。

自分としてはこれは少し意外でした。
というのも、自分の中では時に鍵盤を”叩き”、時に遊ぶように音を立てるという自由なイメージがどうしてもあったのです。
まだプロアーティストになる前の、実家で往年の名曲を耳コピしていたころの印象があまりにも強いのかもしれませんが、いわゆる教科書的な奏法とは違うベクトルを走っているのが藤井風であり、またその我流を突き詰めて万人に受け入れられるようになったのが藤井風だと思っていました。
もっとも彼のことですから、かつての動画はいくつもあるテクニックの中からよりエンタメ色の濃い見せ方を選択したに過ぎないのだとは思いますが、この日観た藤井風は自分のなかで形作られたイメージとは少々違っている気がしました。

自分からしたら驚くほどかしこまった藤井風のピアノは、しかし場内に少しずつ風を吹かせていきます。
身に着けている甚平は自転車に乗っていたときとは微妙に違うようですが、いずれにしても手にしたものは何もないと説く彼が着ると、衣や袈裟のようにも見えてきました。
予想通り、弾き語りセクションは一曲が終わるごとに台座が90°ほど回転しました。
どのフロアにも何かしらの曲では顔が拝めるという風になっています。
2曲目への転換、つまりこの日初めて台座が回転した時、藤井風はなぜか棒立ちに。
大がかりな舞台装置と、既にそれに見合うだけの風格を備えているのに未だ抜けきらない素朴みたいなもののコントラストがおもしろを生んだのか、場内からは笑いが少し起きていました。

とはいえそれも最初のターンだけで、LOVE ALL SERVE ALL収録曲を中心に進んでいった弾き語りはじっくりと消化されていきます。
原曲にはない高音のアレンジを加えて耳に引っかかりを残したり、「Foo~!」と叫ぶときには高いところから落ちるような感覚がしました。

M5

コールの封が切られたのは5曲目「もうええわ」。
自分含め藤井風ファンの多くが初めて経験する、こちら発信のコミュニケーションだったはずです。
サビの「もうええわ」を歌ってほしいということを、風主導で丁寧に練習までして、いよいよという感が高まってきます。

ただ一方で、こう付け加えることも忘れていません。
歌いたい人だけでええから
それからこうも言っていた気がします。
「座りたい人は座って、立ちたい人は立って見てくれてええから」
自らの中に理想とするフロアの図があり、ライブはこう見てほしいと要求するアーティストはさほど多くはないと思います。
見方は人それぞれというのは自明でしょう。
ただ、心にとどめておくだけでなく改めて口にしてくれることで、どんなスタイルで観ても良いのだとかなり気が楽になります。
さりげなくこうした一言を添えるのも流石というか、藤井風の素晴らしいところだなと思いました。

実際フロアはそれぞれ好きなノリ方をしていて、例えばクラップ一つとってもゆったりとした4ビートなのか駆け足の8ビートなのかでバラバラ。
押し付けられた協調はありません。
かといって好き勝手という風でもなく、緩やかな統一感に包まれていました。

さてみんなで歌う「もうええわ」、声を上げないライブに慣れきっていた自分は、自らの声がライブに参加するという感覚をすっかり失ってしまったのでぼそぼそと口にするくらいしかできませんでしたが、なん千もの会場から聞こえる「もうええわ」は、徐々に音が高くなっていくというメロディーの流れもあり、じわじわと広がっていく熱のようでした。
即効性はないものの時間をかけて音がやってきます。
ぼわっとした照明も効いていました。

この日の舞台装置がセンターステージで良かったなと思ったことはいくつかあるのですが、一つは向こう岸、自分の場合は西ブロック側のお客さんたちとキャッチボールをしているような感覚になれたことでした。
互いに正対しているので、センターにいる藤井風に向かって手を伸ばし、クラップしているように見えても、同時にその向こうにいる我々にもそれが向けられているように錯覚することがあるのです。
逆もまたしかりで、こちら発信のリアクションは、どの程度意識するかは別として向こうにも届いていたことでしょう。
コミュニケーションの矢印は何も演者とファンだけではなく、ファン同士の間にも伸びているということです。
それを実感したのが「もうええわ」でした。

M6

続いては「旅路」。

その日の気分なのか意図してなのか、藤井風は原曲からアレンジを積極的に入れてくると聞いていましたが、跳んでフレーズを切るように歌う「旅路」はなるほど確かに違う味わいでした。
もっともこの直前に「うちらみんな兄弟やし...」と言うのは変わらずです。

「旅路」が終わり、それまで地味なバーライトを光らせていた外側の円柱が急に煌めきだしました。(事実誤認があるかもしれません)
同時に上に引き上げられていきます。
真ん中には変わらずピアノ。
それまで円柱で隠されていた外側にはバンドメンバーが立っていました。
ここでようやくステージの全貌を見ることが出来たわけです。
ステージを構成していたのは「LOVE ALL SERVE ALL」と書かれたオクタゴンでした。

M7

始まったのは「damn」。

バンドサウンドが加わると、一気に場が華やぎますし、曲自体も痛快なので芯から気分が良くなっていきます。
バンドが加わってからは、例外もありましたが藤井風は曲ごとに立ち位置を変え、四方どのお客さんとももれなく顔を合わせるようにしていました。

M8

東ブロックのこちら側を向いたのは次の「へでもねーよ」のとき。
バックダンサーも出てきたような気がします。
ここでは炎の特効が登場してきました。
火柱がステージとフロアの間にいくつも上がっています。
帰れ うちへ帰れ...
マイク一本で風が煽るたびに炎は勢いを増し、フロアは手をかざして煽るように上下させています。
藤井風にまつわるコンテンツに触れるたび、彼からはスピリチュアルな匂いを感じていたのですが、数えきれないほどの腕が伸びてその先の炎が揺れるというこの光景は、何かの儀式としか思えませんでした。
炎の熱さはこちらにも伝わってきます。
スタンド後方で熱を食らうくらいですから、アリーナの最前の方など護摩行をしているのかというほど熱かったのではないでしょうか。

M10

藤井風が夏にコロナにかかって以降しばらく、後遺症なのか高音が出にくそうだという噂がファンの間で上がっていたのを聞いたことがあります。
急遽代打で出た「RISING SUN ROCK FESTIVAL」ではいつも原キーで歌うはずのところをキーを下げたり、見るからに出しづらそうにしている様子を目にしていたのですが、それもすっかり治ったのかなという印象を、「優しさ」をスムーズに歌う姿を見て思いました。
これとは別に以前観たツアー福岡公演でも苦しそうな部分があったのですが、この日は不安定なところが全くなく、調子が良さそうです。

M11~12

改めて曲の力を感じたのが「さよならべいべ」でした。
モノに溢れて欲深く追求した結果心が貧しくなってしまって今の時代に、「全てを手に入れることはできない。執着を捨てて...」という啓示的なメッセージを送っているのが藤井風という存在だと思っているのですが、サビでバイバイと手を振るこの曲はそのメッセージとまさしくピッタリにハマりました。
それも、未練がましいさよならではなく、受け止め方によっては残酷に突き放すようにも見えるほど大きな身振りでの「バイバイ」です。
遠心力に任せて手を振りながら、いっぱいの笑顔。
自分も真似して一緒に手を振りながら、不思議なことに身体が解れていくのを感じていました。
意識に上らないところで、力を込めていた部分があったのかもしれません。
手を振り払って執着を失くすという体験が少しばかりできた気がします。

こうしてだらだらと書きながら気が付いたのですが、あの日の藤井風本人に対しての記憶が曖昧です。
少しでも頭に留めておこうとそれなりに集中していたはずなのに、よく覚えていません。
断片的な記憶はあります。
オクタゴンのステージを踊るように闊歩したり、どこかに場所を見つけて座り込んだり。
そういう姿は思い出せるのですが、それらが一体どの曲の、ましてやどのパートでの出来事なのかが一切つながりません。
記憶だけのつながりでいうと、まるでそこには誰もいなかったのではないかとすら思ってしまいます。
集中しているつもりでも自分の記憶がつまるところアバウトだったと片づけてしまうこともできるのですが、しかしこれも藤井風の縦横無尽ぶりを表しているのではないかという気もしてきました。

じっとしていたくないのか、ふらふらとあちこちをうろつき、コンダクターのように正確なリズムで手首を曲げ伸ばししたり、かと思えばダンサーを引き連れて踊ったり。
自分は喫茶店でのピアノのイメージが頭から消えないため、藤井風はピアノの人だという感覚のもと観ていますが、この日は序盤の弾き語りが終わったらほとんど執着なく手放し、他の表現方法でフロアとの会話を試みていました。
どこかに留まっていることが少なく、その動きも予想できないから、追いかけるのに必死で記憶が焼き付かず案外薄くなってしまう。
無理矢理にも近いですが、そう考えると納得がいく気がしました。

何というか、彼はアーティストというかファンタジスタなのでしょう。
やることなすことが起伏に富んでいて、次は何をしてくれるのだろうというワクワク感が常にあります。
それは、藤井風の活動そのものについても言えようかと思います。

年末の紅白で披露するという「死ぬのがいいわ」のラストでは、こちら側のブロックに来てそのままこと切れたかのように倒れました。
ぐったりと動きません。

M13

少し間が空いて、藤井風はマイクを取ります。イントロは歌声からでした。
青春の病に侵され…
青春病」です。
初めは途切れ途切れの低音でしたが、最後には劇的なオクターブ上で息を吹き返します。
ここはうなってしまうほど綺麗でした。

「LASA」リリースに合わせて公開されたMUSICAの8万字インタビューで話題に上がったのが、後半「野ざらしにされた場所でただ漂う獣に…」というフレーズ
出てくる単語はさほど相性が良さそうにも見えないのですが、よどみなく流れるメロディーに乗っかると見事な1本の糸になってしまいます。
自分もここはすごく好きなパートで、生で聴くのが楽しみでした。
「切れど切れど纏わりつく泥の渦に生きてる」が前に来て導火線の役割をします。
そのパートに差し掛かった時、急にスクリーンがぼやけた気がしました。
観ながら泣いていたわけでもないのですが、不思議なものです。
ぼやけたスクリーンは、気づかない間にもとの高画質に戻りました。
藤井風の顔がアップになります。
肝心のパート「野ざらしに…」に入った時、楽器の音が増したのか歌声以外がにわかに騒がしくなりました。
藤井風が口にする言葉は、その喧騒の間を縫いながら通り過ぎていくように聴こえます。
個人的にはここがハイライトでした。
時たま風が見せる厳しい表情や伴奏の大きな音が吹くはずのない逆風を演出し、歌がそれを跳ね返していくというドラマチックなシーンです。

M14

「青春病」のあと、スクリーンにはある映像が映し出されました。
「damn」のアザーカットなのか、髪をセットした「イケ風」がいます。
背後には赤のカーテン。
「あれ、さっきdamnやったよな」と混乱しながら次のカットを待っていると、風がカーテンを開けました。
始まったのはその導入からしたら意外な曲、「きらり」でした。
この曲こそ歩き回りながら歌うにふさわしい曲だと思うのですが、藤井風は適当なところに腰をべったりと下ろしています。
伴奏のアレンジもいつもと違うのか、雰囲気が原曲とは大分違っていて、通常起こるはずの裏拍クラップがほとんど発生しませんでした。

M15~17

きらり」から「燃えよ」「まつり」までは、ライブが終わりに差し掛かっていることとリリース順に披露しているという流れから、なんとなく次の曲が予想出来る展開でした。
燃えよ」ではまた火柱が上がり、「へでもねーよ」と同じくこちら側を向いての歌唱です。
炎を立たせるときは東ブロックと決めているのでしょうか。

そして最新曲「grace」では、スモークがステージ下側のほとんどを覆い、雲海のようになっていた気がします。
両手を合わせて合掌のポーズをした腕を上に上げるのが「grace」の振り付け?だと思うのですが、スタンドからアリーナを見下ろし向こう岸に目をやると、お客さんが頭上でクラップするときに両手がぶつかった一瞬の切り取りもまたgraceポーズのように見えてきました。

M18

確かこの日初めて水を含んだのは、ラストのこの曲の直前でした。
初日にも行っていた方は、「grace」あたりからそわそわしていたことと思います。
2時間にわたるライブの掉尾である18曲目は、「撮影可能」曲でもありました。
「じゃあ、ワシの原点となるデビュー曲、『何なんw』やりま~す」
スマホを出していいよと促しながら、いつものごとく緩い雰囲気で始まりました。
何なんw」、喫茶店でピアノを弾いていたsolakazeチャンネルの中の人と、YouTubeの「Artist on the Rise」に選ばれた新進気鋭のアーティストが自分の中で一致したきっかけの曲であり、(行ったわけではないのですが)「NAN-NAN SHOW 2020」武道館公演のことが連想されます。
初めて藤井風に触れた曲なので、自分としても原点のような曲です。

あの頃は今よりも人数制限がきつく、規制でガチガチだったはずです。
声を出しての掛け合いなんて遥か先の段階でした。
武道館から2年あまり経ち、今ツアーでようやく復活。
どのアーティストも同じですが、3年弱かかっているわけです。
それを思うと、声出しが解禁されたライブの撮影可能曲が最近の曲ではなく「何なんw」というのは、大きな意味を持っていると自分は考えています。

生の藤井風をそれぞれのデバイスに収めておくという表向きの目的もさることながら、あの頃よりもライブが解放されて自由になったことの証明にもなっていると思うのです。
今と過去の「何なんw」を通して時代の移り変わり、大げさに言えばブレークスルーを確認するという意図があるように感じました。
もっともみなさん撮ることに集中されていて、さほど声援は聞こえてこなかったのですが、それでも「何なんw」の思い出が映像に残ったのは大きかったです。

最後に書いておきたいのが、アウトロのピアノパート。
ぐるっとステージをまわった後、中央のピアノに走って飛びつき乱打する姿はこの日も見られましたが、走っているステージのすぐ横にダンサーの方が出入りされた穴があり、踏み外して落ちてしまわないかと少し心配でした。


17時過ぎに始まったライブが終わったのは19時前だったでしょうか。
終演後、仙台駅に向かうシャトルバスを待つ間に見上げた寒空は、雪が降っているわけではないのになぜかうっすら白みがかっていました。
普通冬であれば空気が澄んで綺麗な空になっているはずなのですが、退場時に「雪が降っていますので...」とアナウンスがあったことを思うと、ほとんど雪に近い雲が頭上に広がっていたということなのでしょう。
肌に伝わる温度だけでなく視覚的にも東北の寒さを感じた一日でした。


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