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【ライブレポ】藤井風 HEAT 福岡公演 DAY1(10/23)

10月にしては幾分の寒さをもたらす浜風はホールの分厚い扉でさえぎられ、中は暖かい空気に変わっていました。
程よく空調を効かせた場内には、どこからたかれているのかスモークが立ち込めていました。
スモークはその場から消えてしまう一方で新たに作られ続け、それらの均衡がとれています。
開場時間のはるかに前からずっとこの状態であるかのように、空気はまるで動く気配がありませんでした。

本番では照明の色をより強調させ、ライブを盛り立てる目的でたかれるスモークも、開演前の場内では無人のステージとフロアとを区別するカーテンのようになっていました。
視界がうすぼんやりとしてくると、なんだか気分までフワフワしてきます。
もう間もなく出てくるであろう主役との対話の時間を待つ間は、緊張とも楽しみとのどちらともつかないような不思議な感覚がありました。

時折、現実に引き戻すように、場内のモニターには「Honda VEZEL」のCMが断続的に流されていました。

2021年10月23日(土)、マリンメッセ福岡A館にて、藤井風のアリーナツアー「HELP EVER ARENA TOUR」の福岡公演が開催されました。
土日2days公演の一日目です。
全国5都市のホールを巡るこのツアーは、この日までに横浜、大阪公演を順調に消化し、福岡公演は折り返し3都市目でした。

オレンジ色のスモークが存在感を消したのは、定刻18時から少し過ぎたころでした。
Good as Hell」のカバーが流れ出し、自然と手拍子が始まりました。
暗転したステージ越しにはバンドメンバーの姿が仰ぎ見えてきます。
その中心には、カーキ色のコートを羽織り、無造作風に髪をカールさせた青年が立っていました。
藤井風です。

ステージが青白く明転するとともに音は止みました。

それにしても、彼のここまでの歩みを見てみるとあまりに急で、舌を巻くほどです。
きらり」のストリーミング再生回数は累計で1億回を越えました。
新曲のMVを公開すれば1000万回以上もYouTubeで再生されたりします。
それまでテレビなどメディア出演は控えめだったように思うのですが、9月に開催した無観客配信ライブ「Free」以降は音楽番組に出演したり、単独で特集番組が組まれたりと、また新たに大勢のファンを獲得しそうな勢いです。
今回のアリーナツアーは当たり前のように争奪戦になりました。
業界の著名なアーティスト・評論家からは彼のセンスに絶賛の声が上がり、先日はあのMISIAに楽曲提供したことも話題となりました。

日本だけとどまりません。
海外からも多くのコメントが寄せられています。
いずれ自由に行き来できる時代が戻ってくれば、彼は世界中の人々に自らの体温を届けるために世界を旅してまわるでしょう。

いよいよ上り詰めるところにきたという感じがありますが、この時点でメジャーデビューからまだ2年弱しか経っていないという点も驚きです。
途方もないほど多くの人々の心に、楽曲、人柄、その声を介して影響を与えいったこの期間は、言うなれば疾きこと風のごとしです。

そんな時代の寵児・藤井風という存在を知ったきっかけを、個人的な話にはなりますがライブに先だって書かせてください。
4年ほど前、YouTubeに一つのピアノ動画を見つけました。

カバーの種となっていたのは主に邦楽で、それもやや古めの70,80年代のフォークソング、ニューミュージックなど渋めのチョイスでした。

動画は、薄暗い部屋で撮られていました。
選曲の渋さからは想像できませんが、ピアノの前にあったのは中学生くらいに見える少年の姿でした。
少年が一人、ピアノを弾いています。

長い指は鍵盤を強く、自在に叩いています。
素人目に観てもかなり上手いことくらいは分かりますが、それだけでない魅力が彼のタッチにはありました。
楽譜というものに収まる気はさらさらないようで、まるで彼の頭の中で踊るオタマジャクシをとっつかまえては鍵盤に落とし込んで我々にも理解できるように聴かせてくれているかのように見えました。
彼にしかこの空気感は出せないだろうと、直感的に感じ取ります。
自分の魅力を自覚しているのか、単に無意識なのか、少年の視線はちらちらとカメラのほうに向かい、口元には時おり笑みをのぞかせていました。

少年が映る動画は、僕が見つけた当時からさらに数年前のものでしたが、最近の動画も上がっていました。
その動画にいたのは、ウェーブのかかったブロンドヘアの髪型をした青年でした。
「迷い道」を弾いています。
少年と青年のビジュアルは違い過ぎて、同一人物であると分かるには時間がかかりました。

このYouTubeチャンネル、チャンネル名には、「solakaze」とあります。
どうやら「そら」と「かぜ」という兄弟がこのチャンネルの登場人物で、ふたりの名前が合わさってこのチャンネル名の由来となるのだと、いくつかコメントを読んだ末にようやく分かりました。
確かに少年(青年?)ふたりでピアノの連弾をしている動画もあります。
名前が分かりましたが、分かったとて、彼らがどこの誰なのかは見えてきません。
年齢も不詳です。
「solakaze」の動画更新は2019年を最後に止まっています。
初めて観たインパクトはあったものの、彼らのチャンネルへの記憶は、日々見る他の動画の下に次第に埋もれてしまっていました。

再び「かぜくん」を見かけたのも、YouTubeでした。
ホーム画面のトップに、「藤井風」という名前が登場したのでした。
振り返ってwikipediaなどから読み解くに、この期間は、YouTubeが推し出す新進気鋭のアーティスト「Artist On The Rise」のキャンペーン中だったようです。
このキャンペーンに藤井風が、日本人で初めて選出されていたのでした。

初めて観た「藤井風」という名前に、どういうわけか既視感を覚えました。
どこかで観たことがあると吸い寄せられ、誘導されるままに飛んだリンクにあったのが、「何なんw」のMVでした。
ここでようやく繋がるわけです。あの「かぜくん」が誰だったのか。
少年だった風くんは、随分と大人びた姿でニューヨークの路地を颯爽と歩く青年へと変わっていました。

それから1年して、ようやく生の藤井風を観る機会を得られたのがこの福岡公演でした。
僕が見つけた時ですら、もう1stアルバム「HELP EVER HURT NEVER」をリリースし、より高みへと手をかけている段階でしたが、そこからこれまでの1年間も武道館公演、ホールツアー、ドラマ主題歌のリリースなど、勢いが止まることはありませんでした。
それでも未だに、自分の中にはあの「かぜくん」の残像が残っています。
お客さんでいっぱいに埋まっただだっ広いホールでライブをすることが信じられないといっては失礼にあたりますが、何と言ったら良いものか不思議な感覚で迎えていました。

開演~「優しさ」

ここからライブの内容に入っていきます。
ステージの中央に立った藤井風は、サックスで「風よ」を披露しました。
これが、今回のアリーナツアー「HELP EVER ARENA TOUR」の開幕を告げる曲です。
歌うことは無く、一曲まるまるアルトサックスで演奏しきりました。

サックスは独学で覚えたと、後で知りました。
鍵盤と管楽器とでまるで違うので、生まれ持ったセンスでカバー出来る範囲は限られていると思うのですが、彼にとって楽器の違いは大きな問題ではないのでしょう。
サックスの音色は、低音が良く響く藤井風の歌声にも似ていました。

続いてはスタンディングのまま、「調子のっちゃって」を、マイク一本で披露しました。

「かぜくん」の原風景であるピアノの前に座ったのは、3曲目「優しさ」からでした。
記憶違いだったかも分かりませんが、サビでのフレーズの切れ目で、フロアとは反対側に顔を向けていました。
これはクセなのでしょうか。

3曲を終えたところでMCに移りました。
MCとは言ってもこの日はさほど時間を取らず、最小限のボリュームにとどめていたように思います。
バンドメンバーやバックダンサーの紹介、福岡のグルメの話などもしていましたが、出来る限り音を止めるのを嫌ったようでした。
ある時は口にマイクを近づけて何かコメントするのかと思いきや、次の曲を歌いだしたりする場面さえもありました。
短い時間ながらもゆったりとした調子の藤井風の語り口は、受け入れやすい中低音の歌声と地続きで、身体の底のほうから入ってくる感覚です。

「みんな可愛いな」
フロアのお客さんは、藤井風が手を振ったら思いっきり手を振り返したりと、ステージへの反応が豊かでした。
そうした反応を見てか、「可愛い」というフレーズをこの日の藤井風は連発していました。

「きらり」

福岡二日目は一曲目「風よ」が流れた時から既に皆立ち上がっていたそうですが、この日一日目公演では様子見の空気が広がり、少なくともアリーナ前方ブロックではこの時点でも立ち上がる人が少なかったように思います。
3曲中ずっと座りっぱなしだったのですが、潮目が変わったのは「みんなが好きな曲やで(ニュアンスです)」と始まった「きらり」からでした。
「きらりッ!」と、おちゃらけて甲高い声でのタイトルコールというおまけつきです。

荒れ狂う季節の中を二人は一人きり さらり
このメロディーが飛び出すと、途端に手拍子を抑えられなくなります。
 
この曲、1番ではAメロとBメロとで似たようなメロディーなのですが、段階的にテンションが上がっていくような構成になっているところがすごいと思います。
冒頭とサビの頭は共に「荒れ狂う~」と同じフレーズなのですが、全く違うふうに聴こえます。

「きらり」ではダンスに初挑戦したといいます。
続く「キリがないから」でも、アンドロイドとの息の合ったダンスを見せていました。
遡って「調子のっちゃって」のサビでは、指を左右に示す身振りを加えていました。

このようにしきりに身体を動かしている場面が目立ったのですが、その動きはいかにも「ダンスしてまっせ」というふうではありません。
歌と動きとは切り分けられるものではないのかもしれません。
リズミカルな曲での縦ノリのように、自然とあふれ出た反応が抑えられない結果、こうした身体の動きとなって現れているように見えます。

ライブは中盤に入っていましたが、気が付けば、音に合わせて揺れたり、藤井風が時折見せる無軌道な振り付けのコピーを一生懸命にしてみたり、時にはロックフェスっぽく拳を上げたりと、フロアでは様々な方法で音が吸い込まれていきました。

「特にない」

「嫌なものを、これでパチンと吹き飛ばすように(意訳)」
タイミングはバンドメンバーが教えてくれるからとクラップや指パッチンを促しながら、10曲目「特にない」へと移りました。
バンドメンバーの方を真似て、こちらも腕を下げながら4拍目で指パッチンしたり、あるいはクラップを鳴らしたりして応えました。
コロナ禍になってからというもの、コールが出来なくなりライブ中に自分から音を出す機会はなくなりました。
もっとも、藤井風のライブだとコロナが明けても大声でコールするみたいなことはほとんどないでしょうが、指パッチンは遠慮なく音を出せる貴重な機会です。
パチンと鳴らしたそばからフロアの音の中に溶け込み、自分もライブの一部となった感覚を味わえました。

「帰ろう」

メロディーに合わせて踊ったり、手振りをつけていた藤井風の動きは、この曲でふと止まりました。
長身の姿はピアノに収まり、遠くから見ると、腕や肘が控えめに上下するのみです。
赤と白が混ざった光が何束かになって上から降り注ぐ中、藤井風はひたすらに鍵盤を叩いていました。

この日はスタンド席の遠目に座った方でも見やすいように、上手下手側に括りつけられたモニターにはステージに寄った映像が映し出されていたのですが、ここではモニターが無言のままでした。
おそらく場内のほとんどの視線は、否応なしに生身の藤井風へと注ぎこまれていたのしょう。

やがてサビに入ると、真っ暗なステージバックに無数の光が煌めきだしました。
会場のマリンメッセでは、6本くらいのクレーンが首をキリンのようにこちらに突き出していたのですが、星をモチーフにしたであろう照明が光ると、この機材もあってステージがステージ全体がドーム状に見えます。
ステージが透け、その向こうの博多の湾に広がる星空を今まさに観ているかのようでした。

「燃えよ」

最新曲です。


ここで藤井風は、見慣れない楽器を取り出しました。
ネックの付いた鍵盤が一見ギターのような「ショルダーキーボード」という楽器だそうなのですが、この姿から、再び「solakaze」のことを思い出していました。

「solakaze」の画角は、たいがいいつも決まっていました。
恐らくそこに三脚なりカメラを固定させるものがずっと置いてあるのでしょう。
映し出さされるのは藤井風が斜め前で演奏しているような姿と、下半分にはピアノの鍵盤です。
そのため、指は見えますが、その指の運びを追って真似しようと思うと難しいです。

例えばYouTubeに上がっている他の方のピアノ動画では、教材という側面を意識しているため、鍵盤の真上からのショットを付けて運指を分かりやすくしてくれることがあります。
さらにサービス精神が豊富だと、足元にフォーカスして意外と見落としがちなペダルの踏み方も見せてくれることだってあります。
けど「solakaze」にはそれがありません。

この日、ショルダーキーボードのおかげで幸運にも初めて真正面から見られた運指は、目で追い切れないほど滑らかでした。

さよならべいべ」では、フロアもバイバイするように手を振ります。
この光景はなかなか壮観でした。
ライブとももうすぐお別れです。

「旅路」

これがもう最後の曲となりました。
「難しいことだけど、無いものに目を向けるよりもあるものに目を向けて」
「全てのことには意味があるから。良いことがあったら、ありがとうございます。嫌なことがあっても、ありがとうございます」

この日は高音で珍しく裏返るシーンもあったり、藤井風の調子はベストには見えませんでした。
それでもこれだけの音を出せるのだからすごいと思うのですが、こうしたコメントを発信する藤井風にとってはこんな喉の不調も、「意味があること」と静かに受け入れられているのでしょう。

下手、上手、中央へと腰を曲げて深々とお辞儀をした藤井風は、うっすらと流れる「燃えよ」のサビを歌いながら、ダンスのように軽やかなステップで袖に消えていきました。

アンコールはなく、ライブはそのまま終わりました。

ーーー

ライブに関しては以上なのですが、最後に書きたいことがあります。

アイドル像

まだデビューする前、藤井風が「solakaze」を通して動画越しに音を届けていた頃のことですが、少し気になることがありました。
そのころ、「solakaze」の動画には熱心にコメントをされるファンの方が何人もついていました。
どうもその方々は、藤井風の手によって再生される音色だけではなく、キャラクターや人柄など本人そのもののとりこにもなっていたようでした。

乱暴な言い方かもしれませんが、はた目から見ていると、まだ名を上げる前から藤井風はアイドル的な人気を抱えているように映っていました。

鼻のが高く、少し西洋の雰囲気を漂わせるビジュアルはこのころから健在です。
オーラとして放たれる色気は、同性の自分にさえも香ってきます。
当時のコメント欄には藤井風より年上の方々が書き込まれていることが多いように感じていましたが、その理由も、青年のカバーする曲が彼らの年代にドンピシャなだけではないのでしょう。

これまではそうした藤井風の外面的な部分だけに注目して「アイドル的」だと思ってしまっているふしがあったのですが、こうして生でライブを観たり、最近露出が増えてきたメディアでの発言を聞くに、考えが変わってきました。
彼の生きざまにも、アイドル像がたしかに見えた気がします。

藤井風は、およそ24歳とは思えないような、もっと年を重ねないとまとえないような雰囲気を身に着けているように感じます。
それと同時に、喫茶店の一角でひたすらにピアノを弾いている少年の姿も残しています。

かつての「solakaze」の動画内では様々な曲のカバーをただするだけではなく、カバーする曲にまつわる小道具を手品のように出してきていました。
先に書いた「迷い道」では、「迷」つながりということか迷彩柄の服を着ていました。
ゴダイゴの「モンキーマジック」を弾いたときには、さすがに猿のコスプレをするまでではありませんでしたが、弾き終わりにおさるさんのポーズをしていました。


他の動画でも毎度のごとく何かしらを用意していました。
お茶目な子供心ですが、そんなちょっとしたことで楽しませる姿勢は今でも残っています。

この日のライブ中、ある曲の後半では、下手側に行き過ぎたのか急いでピアノのある中央までどたどたと走って戻るなんてシーンがありました。
「コンサート」と銘打った公演で慌てて駆け抜ける人を観たことがあまりなかったので、なんかアンバランスさが面白かったです。
またある曲の終わりでは、センターで不自然にぴしっと直立したりする姿もありました。
上手く決めたほうがかっこよく終わりそうなものですが、つい笑ってしまいます。

もう一つ藤井風を語るうえで注目したいのが、かれの残すコメントです。
放つ言葉は少ないですが、すべて芯を食っています。
ライブ中、藤井風は「盛り上がっていますかー!」とことさらにフロアを煽ってくるわけではありません。
むしろ、方言交じりのゆっくりとした口調は「落ち着いていきね」と、熱くなっていくフロアの心をなだめているようです。
長々とMCの時間をとり、言葉で酔わせるわけでもありません。
言葉少なに、藤井風は音に向き合っています。

そしてその数少ないコメントを、藤井風は色々な場面で同じように繰り返します。
「何なんw」の「声は出されへんけど心で...」のくだりや、「特にない」の「パチンと...」などは、ファンとは言えない程度にしか見ていない僕でも何度か耳にしました。

9月に開催した「Free」では、メディアにコメントを求められ「制約が多くなってしまったこの時代で、少しでも楽に、自由になってほしい」という意図があると語っていました。
他に何も言っていないということではないのですが、その幹は一本にまとまっていた印象です。
他にも、言い回しは違えど一つの考えに集約されていると感じるコメントはありました。

言葉は繰り返されることで自然と浮かび上がり、素朴だけれども芯がとおっっているというイメージが、藤井風を知ることで出来上がってきます。

あくまで言葉の定義の話ですが、生き様を見せるのがアイドルだと思っています。
そこにはビジュアルなども含まれますが、あくまで付加価値ではないかと思うのです。
ライブで圧倒的な音を放っていると思えば、一転してMCでは田舎の少年に戻ってはにかみながら喋る。
「Free」では寝転んだりもしていました。

そうした、ことさらに飾ろうともせず、自分のそのままを見せる藤井風の姿をこのライブで観ましたし、世代や地域を越え、今の時代を背負ったアイドル像をそのステージの中央に見た気がします。


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