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【ライブレポ】KEYTALK LIVE HOUSE TOUR 2023 岡山・熊本公演

※ややネタバレあります。

同じであることに逆らうことは結構難しいはずです。
全国20を越える会場を巡るライブハウスツアー。
去年はキャパの小さな会場を中心に計50箇所のツアーを完走しました。
去年は一応新EPのリリースも重なっていましたが、今年のツアーはなにか新譜を引っ提げてというリリースツアー的なものではありません。
ツアーからお披露目された曲は一曲ありますが、タイミングがたまたまそこだっただけで、その曲がツアーの中心というわけでもありません。
新曲が育っていく過程を追っていくこともなければ、セットリストに違和感がなくなることで年表にまた一つ足跡が加わった喜びも確認しようがありません。
いわば既存の曲のみでライブをするわけです。
その中で、同じであることから逆行していくことはかなり難しいと思うのです。
セットリストを日ごとに変えるのも一つにはあるかもしれません。
レア曲を披露するのも定番を抜け出すわかりやすい方法でしょう。
新鮮さはマンネリを脱却するための貴重なスパイスです。

確かにこのツアーでのKEYTALKは、固まり切っていたセットリストの常識をいくつも覆してきました。
象徴的なシーンがあります。

「今日初めて来た人ー?」
いつものごとく、MCで武正がフロアに問いかけます。
詰め込めば500人くらいは入れられそうな横に広いフロアからは、一人や二人ではない数の手があがりました。
最後列から眺めていると10人から20人くらいはいるようでした。
意外と初見さんが来ているんだなというのが率直な感想でした。
その中の多くは地元から来られているようで、大都市圏を中心に回っているだけではなかなか巡り会えなかった層がいかに厚いかと感じます。
メジャーデビューは2013年。
結成からは15年以上経つグループですし、フェスのメインステージには何度も立ってはいるバンドなのですが、ライトなロック好きの中にはKEYTALKの名前を聞いたことすらない人も多く、潜在的なファンはまだまだ多く抱えているようです。

武道館のときは「これから長い付き合いになりますね」と小粋なことを言ってみたり、そうでなくともいつもは「こんなにいるんだね」と満足気な顔をしてこのラリーは終わるのですが、熊本で聞かれたのはいつもと違うセリフでした。
初めてみるKEYTALKってバンド、どんなんだろう。
挙がった手から立ち込めるワクワク感を嬉しそうに受け止めるだけではなかったのです。

「でもごめんね、定番曲いっこもやらないから!」
すかさずおおーっという声と、少し遅れて拍手が起こります。
こちらの反応は手を挙げていない、すでに何回も足を運んでいるであろう方々からでした。
それはすなわち、フェスでもうなん年間も変わらずあり続ける「MONSTER DANCE」「MATSURI BAYASHI」のような曲はもうこの場にはお呼びでないということを意味しています。「パレラル」や「FLAVOR FLAVOR」といった準レギュラー格の曲もおそらく無いのでしょう。
かれらがメジャーシーンに定着してからこれまで、セットリストの選択肢を狭める発言をしたことがあったでしょうか。
ずっと追いかけていたわけでもなければ根をつめて通っていた時期もないので歯切れよくはっきりとは言い切れませんが、恐らくなかったのではないでしょうか。

レア曲をスポット的に織り交ぜたり、フェイントのように意表をついてくることはあっても、それはせいぜい一曲や二曲かぎりのことで、あくまでセットリストに驚きを加えるスポットでしかなかったのだと思っています。
これはなにもKEYTALKが特異というのではなく、代表的な曲をいくつも抱え、それらのインパクトが強いがために、いつしか代表曲だけがバンドの全てを構成する曲だと外野から語られてしまうトップアーティストなら皆もっているものだと思いますが、言ってみればこのバンドにとってセットリストが通常と大幅に変わることはちょっとした事件でした。
ツアー開幕の千葉公演から「”セトリ”が最高だった」という声が飛び、万が一ネタバレをしようものなら村八分にあったのかというほどに批判ツイートであふれかえるSNSの反応を見ても明らかです。
ツアー中のネタバレは、ダメではないにせよモラル的には決して褒められたことではないと、音楽ファンの間ではアンリトゥンルールということになっているとおもいます。
漏出させてしまった人への非難はどこに行ってもまずあるものなのですが、ことこのツアーでは反応がきわめて過激でした。
言葉を選ばずにいえば、結末にとんでもないどんでん返しのある映画の感想を漏らすまいと監視し合うような、異常なまでの雰囲気がありました。
義勝はツアー直前の弾き語りライブで酔った勢いで「新規お断り」と頑固なラーメン屋さんっぽい敷居の高さを伺わせていました。
そうした情報を繋ぎ合わせ、自分にとってツアー初会場となる岡山公演前にはかなりの期待をいだきながら向かっていったのですが、確かにセットリストにこのツアー限りの希少な体験をしたのは間違いありません。
ただ、それ以上に感じたのは、逆行することの難しさや苦しさを理解しつつ、変化をこのツアーだけのスポットで終わらせまいという4人の気概でした。

ツアーを通したセットリストは恐らく、最初や最後の曲、あるいはMC明けなどの根幹は統一し、部分的に日替わり曲を持ってくる構成なのだと思います。
多分2曲目はツアー通して固定なのでしょう。
「お祭り騒ぎしようぜ!」
フェスでもたびたび出てくる、巨匠のこのセリフに続く曲はこれまでいつも一択でした。
巨匠の叫びを聞き、今回も誰もが予想できるあの曲かなと思いきや、流れてきたのはこの先のライブが予想の範囲内には収まらず、入り組んだ迷路になっていくことを予告するような、普段は滅多にかからない曲でした。

思えばKEYTALKは「祭り」というフレーズが入った曲は主に巨匠作でいくつか持っていて、その数は他に類を見ないほど多いと思うのですが、「お祭り騒ぎ〜」のフレーズで一曲しかこれまで浮かんでこなかったというのも不思議なものです。
そうなってしまうのも、これまでは判で押したように毎回同じ曲しかやらなかったからではあるのですが、長らく活動してきた中で育まれたイメージというのはそれだけしっかりと根を張って定着しているということなのでしょう。
定着をこえて固着していることのマンネリを嗅ぎ取ってなのか、アルバムなど新曲のしばりがないこの場に想定外の曲をもってきたのでした。

他にも「OVERTONE」「HOT!」などひと昔前のアルバムに入っているような曲から、お祭りバンドとしての地位を絶対的なものにしながらも裏では硬質な音楽に軸足を移していった「PARADISE」「Rainbow」の頃の曲まで、久しく聴いていない、いや音楽プレイヤーでしか耳にしなかったような曲がセットリストにずらりと顔を並べていました。
コロナ前、今以上にライトなファンの目線で見たときに、イントロでフロアが異様にざわめいていたあの曲も久々に聴きました。
その当時よりは深くKEYTALKのことを知るようになった今は、燃え上がるような血色の照明で焦げ付いていく感覚が多少なり理解はできるような気がします。
「おぉ〜」と思わず声が出てきてしまう曲目は結局、最後まで続きました。
新規がついていきにくいセットリストだというのは、噂通り本当だったのです。

セットリストに普段はなかなか並ばない曲、ましてや少し古い曲が揃ったときは、ともするとどんな曲をやったということだけが注目され、タイトルやそれにまつわる思い出以外は切り取られて捨てられがちです。
自分がこのツアーでKEYTALKに感銘を受けたのは、かれらが単なる思い出の振り返りに留まらなかったことでした。

8月リリースされる「DANCEJILLION」、いかにもお祭りバンドに似つかわしいこのアルバムに収録される曲のうち、「君とサマー」など先だってリリースされた3曲は、いずれも記憶に残りやすい場面で披露されました。
ライブの幕開けとなる1曲目、MCの直後...
20曲に迫ろうかという曲数がライブハウスに放たれましたが、1時間20分の中で強く印象づいていたのは実は新曲3曲の存在でした。
始まりや終わりだとやはり記憶に残りやすいです。
ブロックの真ん中の曲は前後の繋ぎとなりさえすればいいだろうと軽く見ているわけではありません。
かれらがセットリストを決めるにあたって、1曲目はまだしもMC直後の曲により重きをおいて組んでいるのかどうかは分かりません。
それでも、新曲3曲がともにはじまりだったり再開の音となったことに大きな意味を感じずにはいられません。
自らの作品で自身を育てていくアーティストは、曲を提供してもらう立場にある人達とはちがって日々何かしらの形で進化しているはずですし、過去の実績はそれとして、今一番新しくて若い作品を最も評価してほしいものだろうと自分は思っています。
そんな憶測を頼りに考えてみると、組み合わせの妙でこんな配置になったとは思えません。
やはりそこには新曲に耳を惹きつけさせようという彼らなりのメッセージがあったのでしょう。
噂を聞きつけ、レアな昔の曲を懐かしみに来ただけの人は置いていかれたのではないかと思います。
彼らの進んでいく速さは我々が思っている以上に速く、過去にとらわれず新アルバムの一点しか見つめていないことがよくわかりました。

「狂騒パラノーマル」は3月の武道館から2週間後のリリースではあったのですが、初披露は6月のこのツアーからのようでした。
4人全員が曲を書けるということに並び、KEYTALKの最大の武器はツインボーカルにあると思っています。
中性的であり、自然界でしか聞こえないような高音を出せてしまう義勝と、無骨で汗の滲んだ男くさい声を持つ巨匠、2人の声質はじつに対極であり、それらがときに混ざって第三の音となったり、ときに分裂して音の切れ目を互いにつなぎ合うリレーを見せる瞬間は、KEYTALKのライブに来たという実感を何よりも与えてくれました。

ゴーストバスターズのオマージュをMVに盛り込み、同じ場所で同時に撮影していた「君とサマー」の小道具や撮影シーンを取り入れることで超常的な裏の世界、いわば「パラノーマル」を表現したこの曲。
そうしたMVに引っ張られてなのか、楽器の音だけでも夜にうごめくお化けたちがリアルに浮かび上がってくるようです。
背景は紫色。
歌詞のはっきりとしない感じも、複雑なものを解き明かそうとせずあえてそのままの形で鑑賞しているような気分になる曲で、似たものとしては「F.A.T」「マスターゴッド」「不死鳥」などが近いかもしれません。
ただ、他の曲との相似というだけでは「狂騒パラノーマル」は語れません。
とくに巨匠の歌声に大きな変化がありました。
巨匠の声質はどちらかというと硬質で、義勝とはわりと離れた性質を持っていると書きました。
ツインボーカルでありながらも、ライブで片方の声が不調だったときにもう一人がかわりにまるまる歌ったり、互いのパートチェンジを試みているイメージがあまりないのは、それだけ互いの声が独自のもので印象深く、それぞれに替えが効かないからだと思っています。
ところがこの「狂騒パラノーマル」で聴こえてきた巨匠の声は、これまで抱いていた印象とはまた違うものでした。
今まで重ならないと思っていた義勝の声質に近い気がしたのです。
はっきりと頭に残っているのはサビ「ああ迫る物の怪にバイバイ」のところ。
巨匠パートにしては比較的高めのこのパートで、鼻から息を含みながら出される音はつややかで、色気がありました。
「ああ」を若干苦しそうに出すところも、いかにも義勝っぽいです。
こんな声も出せるのかと驚きました。
以前に行った弾き語りライブで、巨匠は声真似が上手だと知ったのですが、真似はしないまでも義勝の要素も取り入れたのではないかと思ってしまうほどに共通点がありました。

他の曲だとまたいつもの巨匠でした。
木を倒して道に穴を空けながら進んでいく力強い歌声に再び戻っていったのですが、だとするとその希少な声質をはじめて引き出した「狂騒パラノーマル」がいかに革新的かということです。
ちなみにこの曲、音源よりテンポを落とし気味で披露されているようです。
かれらの技術をもってしても元の速さで演奏することが難しいのだろうと思うと、そういう意味でも4人が今の殻を破ってなにか新しいことに立ち向かおうとしている空気感が伝わってきます。

個人的には何年ぶりかの、マスクを外して観るライブ。
迷惑になるので声は出さないまでも、口パクで彼らと一緒に歌っていると、1mmにも満たない布があるとないとでこうもライブへの共鳴が変わるものかと不思議な気持ちに襲われます。
一緒に歌っているのはマスクありでもなしでも同じなのですが、外すと一緒に呼吸しているような感覚までも共にやってくるのです。
ライブハウス特有の匂いも味として舌に感じます。
コロナ前だったら当たり前のことで、同じ呼吸をしているなんて思うこともありませんでした。
ずっとつけていたのを外すとこんなに変わるものなのでしょうか。
岡山では変に気を遣って最後列、熊本ではあらかた人が入ったあとで少しだけ空いた後列のスペースに入り込んだので、決して近くからの眺めではありませんでした。
それにも関わらず、キャパ数100人の箱の端と端で接近して会話しているような気持ちが生まれてきました。

ツイッターでほのめかされている情報を完全にシャットアウトし、何も知らない状態で臨んだ岡山公演では、序盤の5曲程度がとてつもなく長く感じました。
巨匠はリールを回すようにギターを大きく傾け、武正は目を大きく開き下唇を噛みながら、上手側のお客さんと会話するようにギターを操っています。
義勝は「切ろうかなぁ」と珍しい自撮りとともに以前ツイートしていましたが、結局それ以降も切らずに伸ばし続けている髪が目にかかり、ただでさえミステリアスな存在をさらに謎めいたものにしていました。
3曲目が終わったころ、竿隊は楽器を下げ、八木氏はスティックを握る手をゆるめます。
現地にいた自分はこの時点でもう5曲分くらいの感覚でした。
実際武正を起点にそろそろ喋り出しそうな仕草をしていたので、ここでMCだろうなとペットボトルの水に手を伸ばしかけたのですが、ここが曲の切れ目ではありませんでした。
蓋を空けようとしたころ、ステージに向かう照明が明転しだしました。
八木氏の4カウントからだったか、楽器陣は息を吹き返し、4曲目が始まります。

すでにフロアの温度は上がり切っていました。
いきなり珍しい曲が続いて混乱しているところもあります。
体感の疲労度も踏まえてそろそろMCなのかなと思っていたのですが、4人はまだまだ止まらないようでした。
八木氏がスネアを叩くと、ドラムセット近くの空気がかき回されるのか、砂埃が舞うように小さな粒子が飛び上がります。
どこかの曲ではギターのペースがやや先走り、ドラムが必死についていくという展開になっていました。KEYTALKにしては珍しいと思いますが、あやういバランスの上に譜面が描かれていることを改めて実感します。

もっとも、変化を感じたのはセットリストや彼らのライブに対する姿勢だけではありませんでした。
繰り返すようにこのツアーは「定番」「いつもの」といった予定調和をくまなく排した曲目でした。
それにも関わらずあまり久しぶり感がなかったのは、恐らく武正のゴ会でやった曲が何曲かあったからだと思うのですが、個人的な好みという点で言えば、これらの曲はいつもヘビロテしているような曲というわけではありませんでした。
自分が好きでリピートしているのはどちらかというと詩的で、叙情的な緩やかな曲です。
ライブハウスの雰囲気にそぐわないだろうとわかっていたので、こうした曲が披露されることははじめからほとんど期待していなかったのですが、ツアーの感想をネタバレしない範囲で見ている中で不安だったのはその点にありました。
濃厚に煮詰めた、コアなファン向けのセットリストが、果たして自分に合うかどうかと少しばかり気がかりだったのです。

しかし始まってみれば、曲の良し悪しなんてどうでもよくなっていました。
今日はこの曲を聞けるかな、とベストワンの曲を一途に待ち続け、運良くかかったときの喜びや充実感を楽しみにするのもライブの一つの楽しみ方だと思います。
今回はそうした期待も薄かったのですが、大した問題ではなかったのです。
久々に耳にする曲ばかりで歌詞があいまいながらも一緒に歌い、両手を上に掲げていました。

数年前、巨匠がある曲名を告げたときに、Zeppの客席が異様なほど湧きたった時のことをよく覚えています。
代表曲が収録されたシングルのカップリング曲で、アルバムにも入ってなかったのでその存在を知らない曲でした。
KEYTALKにもう一歩二歩踏み入れたファンのみ知るマイナーな曲です。
何も知らなったその当時は、自分だけ取り残されている気分を味わいながら「なんでこの曲でこんなに盛り上がっているんだろう」と不思議だったのですが、今はその全てを分からないまでも、この曲特有の鉄板でこげついていくような焦燥感は多少なりとも理解できるようになりました。
この数年で曲への理解が深まったところも少なからずあったのでしょう。

自分にとってKEYTALKへの好きは、彼らの曲に向かうだけではなく総合的な4人の音楽全体へと広がっていることを確かに感じました。
昔だったらどうだったかわかりません。
個別の曲に対してでしかライブを楽しめていなかったかもしれません。

KEYTALK TVを何回も見て、3人(?)それぞれの弾き語りに行って直接話をする機会を得て、さらには武道館のような大舞台も見届けた今ようやく、外面的ではない彼らのあらゆるところが好きになったのだと思います。
彼らに対する好きの気持ちは、この先何が起きても恐らく大丈夫だろうという信頼感に変わっていました。
他のアーティストやアイドルではほとんど感じたことのない感覚です。

そんなことを考えながらふと意識をライブから逸らすと、全身に妙な違和感があるのに気付きました。
自然と力が入っていたのか腕が痛く、身体を揺らしてくるベースやドラムの音で内臓が攻撃されているような感覚です。
いつにも増して笑顔が多く、声を張り上げる場面も多かった気がした義勝の声が、ある曲で太くなりました。
耳鳴りのような感じになりはじめたのはそのあたりからでした。
“いつも”が積極性や攻撃的に塗り替えられたのは、普段は少ないフォーメーションチェンジを(かれらの範囲内で)最大限にしていたことからも明らかでした。
巨匠が歌う横で義勝と武正はツーステを踏み、上手下手を行き来する場面が特定の一曲だけでなく何度かありました。
MCのグッズ紹介では八木氏がドラムセットから降りて、センターのピンスポットマイクからグッズの使用感を伝えています。
恐らく、こんな試みも全て彼らにとっての変化の一部だろうと思います。

「俺らができる、今一番カッコいい姿を見せます」
熊本では聴き慣れないこんなセリフが巨匠から飛び出しました。
最後の曲の直前です。
遅めのテンポでサビから巨匠が歌い、フェードアウトしていくころギターとドラムが穴を空けるように入ってきました。
男くさいにおいが流れ込んでくる、まさしくロックな曲です。
個人的にはまだ体験したことのないあの瞬間が、もうじきやってくるのでしょう。
2番が佳境に差し掛かるころでした。
白いスタンドにぶらさがっていたマイクを巨匠がひったくり、コードがからまったスタンドは斜めに倒れていきました。
あわててスタッフの方がやってきます。
ギターはもうどこかに置いてしまったようでした。
ファンの男の人が2人ほど、まるで浮き輪に身を預けるようにフロア前方のお客さんの頭上を浮かんでいるのが見えました。
ひっくり返って足が頭より高くなったりしています。
現場は混乱。
腕を伸ばして支える側はかなりの気合がいるでしょう。
初めて観るダイブの光景は、絶対に怪我をしてはいけない制約の中で、しかし人の上を飛びたくなるという謎の衝動を抑えきれていないという緊張感に満ちていました。
さて巨匠です。
マイクのみの身軽になった巨匠は大サビに入るとき、少し反転して右肩をこちらに見せ、次の瞬間倒れ込むように客席に身を投じました。
客のダイブは下から人の間をよじ登って上に上がっているのでさほど怖さはありませんが、小高いステージから位置エネルギーとともに落ちてくるのはさすがに足がすくみます。
自分も高所から落ちていくような、ふっとした感覚です。

巨匠がピンボーカルのこの曲は、身を投げて客席に消えてから声が消えました。
最後列からだと巨匠の姿が全く見えません。
奥からスタッフが心配そうに何人か出てきました。
この曲でのダイブは恐らくコロナ前からずっと定番だったのだと思うのですが、久しぶりに解禁したことで受け止め切れなかったのでしょうか。
それでも場内ではかすかにパートの続きが聴こえてきます。
巨匠がマイク無しの肉声で歌っているのか、ファンの合唱が自然発生しているのでしょうか。
見えないだけにいよいよ不安になってきたころ、巨匠がダイブしたエリアから人が徐々に消えていき、広がった穴から様子が明らかになってきました。
心配だった巨匠はしっかりと両足で立っています。怪我はなさそうでした。
背中から倒れ込むのはかなりの勇気がいるはずです。
背中から行こうとしても、落ちる瞬間に半身になったりしてしまいそうなものなのですが、巨匠はひるまずスタントのワンシーンのようにきれいにフロアに身を預けていました。
岡山ではそのエリアに男の人が少なくてきちんと受け止めきれず、リフトが沈んでいってしまったと後で知り、だからあのとき巨匠が現れるまでに時間がかかったんだなと納得したのですが、その後の熊本公演でも力を抜くことなく飛び込んでいたのはファンへの信頼感以外の何物でもないでしょう。

岡山の夜は21時前の市街地でも一歩入るとかなり静かです。
人通りも少なく明かりもポツポツとしかない道を歩きながら、涙が流れてきました。
3月の武道館から帰るみちのりで流した涙に似ています。
思うところがあって出てきたものではなく、何かに押されて物理的に流れてきたような感覚。
その正体は寂しさに他なりませんでした。


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