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時間は取り戻せない、空虚な「助監督、回顧録」

過去の自分の、その時、その作品に、携わった時のコトを、
思いつくままランダムに振り返っていきます。

No.5・当てにされなかった体験

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「少女・村下孝蔵」(1985 4月撮影 music video)
監督:中原 俊
出演:立石 夕香

にっかつ撮影所にお世話になっていたとき、
声を掛けてもらって、
初めてMV(music video)の仕事をしました。

(MVは、まだ出始めたばかりで、アナログ制作のシンプルなモノでした)

中原俊監督の直下で、
「助監督できる!」という、
滅多にないチャンスの仕事でした。

で、

終わってみれば、
結果、失敗!!
もったいないコトをした。

Why?

●まず、残念ながら、今更、言うのも何だが、僕は人見知りなんです。
仕方がない。→頑張るしかない。

●ドラマをしたくて、この道を選んだのに、”音楽の映像なんて”と考えていました。

当時は、今の様にMV(及びPV=promotion video)のジャンルは薄く、
カラオケのバック絵(歌詞の後ろに流す映像)という位の
お供え物だという風に、僕は思っていました。

でも、この作品は立派なMVでした。「後悔先に立たず」です。

●中原俊という監督を知らなかった。
毎度の事だ。→勉強不足。
後に、「櫻の園」「12人の優しい日本人」を手掛ける監督となりました。

このような心情が作品作りの姿勢に出てしまったんだろう。

「監督は僕を見抜き、自分で段取りも含めて、
すべて率先して進めて行くようになりました。

今でも記憶に残っています。

僕と云えば、ホント、雑用のみで、
演出上の云々はタッチしなかった、
というより、させてもらえなかったように思う。

ただ、弁当の準備、荷物の積み降ろし、
当たり障りのない報告・・・みたいなコトだけ。


●「ドラマじゃなく、はじめてのジャンルの仕事だったら、それなりに勉強しろ!
●「手を抜くな。考えろ!
●「受けたなら、キチンと最後までやれ!

云々、すべて、お見通しで、
自らも助監督経験者なので、
足手まといだと、僕を当てにしなかったように思われる。

でも、監督は、僕に対して常にニコニコと振舞っていた。

それが怖かった。

撮影が終了すると、
僕は、編集、音付けには参加せず、
消えるように撮影所を離れて行きました。

ラッシュも完成作品も見た記憶はなく、
ただ、頭に残っているのは、
マザー牧場の菜の花と少女とクレーン撮影をした、
という断片だけです。

*ラッシュ=撮影状態確認のための、音声の入っていない未編集プリント。またはその試写。

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少女(歌詞)

お話を頂いた、にっかつ撮影所さんにも迷惑を掛けたと思います。

その後、にっかつ撮影所さんからのお声はなかったです。

後悔先に立たず

肝に銘じますが、
今でも懲りずにやらかします。

共に生きて行こうと思います。

こん時の教訓

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1、知らなきゃ、勉強しろ!
2、手を抜くな。考えろ!
3、受けたなら、最後までやれ!
4、後悔先に立たず


今回の「助監督、回顧録」いかがでしたか。

また、よろしくお願いします。


【よければ、どうぞ!】


では、さよなら。

サポートしていただけましたら、より一層、充実した日々が送れると共に、明日へのパワーが漲ります!よろしくお願いします。