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THE SEX PISTOLS

NEVER MIND THE BOLLOCKS HERE'S..[77]THE SEX PISTOLS

VIRGIN (UK Press Original) 

パンクのイメージを決定づけた衝撃的なイギリスのパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズ (Sex Pistols)。初にして唯一のオリジナルアルバムは'70年代のロック・シーンを揺るがした最大の衝撃言われている『勝手にしやがれ/NEVER MIND THE BOLLOCKS HERE'S THE SEX PISTOLS』。1970年代のロックミュージックシーンが演奏テクニックや理論を重視する音楽(プログレッシヴ・ロックetc)が溢れていた頃、ロンドンのキングスロードでヴィヴィアン・ウエストウッドデザインの服を売る小さなブティーク 『SEX』 を経営しアメリカでニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めるなど、ニューヨーク・パンクに触れ、パンク・ロックをイギリスで流行させようと目論んでいたマルコム・マクラーレンが、『SEX』に出入りしていたSteve Jones(ギター)、Paul Cook(ドラムス)、John Lydon(ヴォーカル)と、ブティークの従業員であったGlen Matlock(ベース)の4人がロックバンドとして結成させた[この結成が伝説になっているが実際はポールとスティーヴなどの何人かがすでにバンドを結成していて、マルコムの店で働いていたためにマルコムと関係するようになった]。ザ・クラッシュ、ダムドらとともにパンクロックムーブメントを代表するバンドの1つ。これらのバンドは、パンクロックの創生期とされる為初期パンクと呼ばれ、当時のセンセーショナルさから、世界中の様々なアーティストに影響を与えた。オリジナル・アルバムはわずか1枚、デビューから解散までの活動期間は1年と2ヵ月。'75年頃から活動を開始、'76年に「アナーキー・イン・ザ・UK」で衝撃的なデビューを飾りパンクの一大ムーブメントを起こすとともに、その言動やファッション[切り裂いた洋服を安全ピンで留め、短くカットされツンツンに立てられたヘア・スタイルは、元々リチャード・ヘル(テレヴィジョンやハートブレイカーズの創設メンバーであるニューヨークのミュージシャン)がやっていたものを、マルコム・マクラレンがセックス・ピストルズにフィードバックしたものという説、ジョニー・ロットンが、アンチ・ファッションとして、当時ロングヘアが流行っていたために短くしたりしていたという説など色々な説がある]が、テクニック/音楽理論を必要としないシンプルで攻撃的な演奏がその後のロックに大きな影響を与えた。'77年にGlen Matlockがビートルズ、ポール・マッカートニーが好きであると公言したことを理由としてマルコム・マクラーレンに脱退させられた(実際には他のメンバー、特にジョニーとの軋轢が限界に達したために、自らバンドを去った)、代わりにセックス・ピストルズの熱狂的なファンであり、John Lydonと親交のあったポゴダンス[ぴょんぴょんと真上に飛び上がる動きを繰り返すダンスで、パンクの演奏者や観客が行うのがよく知られる。名前の由来は玩具のポゴ・スティック、日本ではホッピング]を考案したとされるSid Viciousが加入し、ヴィジュアル面でよりパンク的でスター性のあるバンドとなった。「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」がチャートで1位になるが、放送禁止となる。77年、ビートルズの『ホワイト・アルバム』を手がけたクリス・トーマスのプロデュースでファースト・アルバム『勝手にしやがれ』を製作、EMI/A&Mなどメジャー契約を結ぼうとしたがメジャー・レーベル契約のプログレッシブ・ロックのミュージシャンたちの強硬な反対やバンド側の姿勢などで、最終的に当時新興だったヴァージン落ち着いた、でも、マイク・オールドフィールド(ヴァージン契約第1号ミュージシャンでもある)が最後まで契約に反対していた。予約だけでゴールド・ディスクを獲得。翌年、アメリカ・ツアー終了後に突然の解散宣言が表明された。ジョニーはその後PILを結成、シド[Sid Vicious (本名、ジョン・サイモン・リッチー - John Simon Ritchie)は、極度の麻薬中毒者としても知られる。パンクロックを地で行く生き方から「パンクの精神」と呼ばれ、崇拝する人間はイギリス国内外問わず数多い]は、79年にヘロイン過剰摂取により21歳にして他界、1979年2月2日。大手音楽レーベルや政府、ロイヤルファミリーまでを標的にした歌詞、破れた洋服を安全ピンで留めるファッション、短くカットされツンツンに立てられたヘア・スタイル、インタビューでは人を馬鹿にしたような態度/SHIT,FUCK を連発するなど、このバンドの権力や体制に反抗的な態度は、不満を抱えた若者たちを駆り立てる結果となり、イギリスでは放送禁止令まで受けてしまうが、世界中の若者たちにとっては反抗を象徴する存在だった。その一方で保守的思想の愛国主義者からはその言動や楽曲、ファッションまでが敵視され演奏会場の提供拒否や排斥運動が起こり、メンバーが右翼の暴漢に襲われて重傷を負うまでに高まった。MI5(英国機密情報局)にはセックスピストルズに関する膨大な量の資料『1977年コンテンポラリーミュージック破壊活動分子』が残されている。
 
 
https://youtu.be/7qnQ9bZAMLo
 

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