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お米の値段、野菜の値段

専業農家をしているので米と野菜は、ほぼ自給をしています。お店で買わないから関係はないのだけれどネットニュースなどで『野菜価格高騰』等の見出しがあればよく読みます。ここ数年は特に野菜価格が乱高下している印象です。どうして、それだけ乱高下してしまうのか?を、農家目線で考えてみます。

下落を続けるお米の値段

昭和40年代、米の値段は30kgで10,000円くらいでした。当時の初任給は7万円くらい。グッと時代が下がって50年後の令和でも米の値段は30kgで10,000円くらいです。初任給は21万円くらいと昭和40年代のザッと3倍になりました。賃金は3倍になったのに米の値段は据え置き、つまりお米の価値は50年で三分の一になってしまった訳です。燃料費も肥料代も農機具代もかなり上がっているハズなのに米の値段は変わらないまま。そりゃ米農家は少なくなるし耕作放棄地は増えるハズです。

季節外れ

農家になってビックリしたのは『美味しい野菜よりも美味しくない野菜のほうが値段が高い』コトです。土いじりをしたことがない人にはピンとこないかもですが、生鮮野菜には旬の時期があります。旬とは『その作物がいちばん豊富にある時期』のことです。一番たくさん採れると言う事は、その作物にとっては、いちばん居心地がよく、いちばん元気で美味しい時期になります。とても美味しいのだけれど、とてもたくさんあるから必然的に市場価格は安くなります。

冬のきゅうりやトマトって、夏よりも高くないですか?あれは、きゅうりやトマトの生理を無視した時期にハウスを加温しながら無理矢理に育てているのです。普通に考えて日本の冬では、きゅうりやトマトは成りません。旬と正反対の時期に強引に育てているものだから収穫量は少なくなるし経費もかかり味も全然良くなりません。まぁ、当たり前なんだけれど供給量が少ないから市場価格は高くなります。

わざわざ寒い冬に、身体を冷やすきゅうりやトマトを高い金を払ってまで食べなくてもよくないか?とは、お客さん達は思わないようです。

野菜栽培から出荷まで

農家をして気がついたコトに『栽培がむずかしい野菜は出荷が楽で、栽培が容易な野菜は出荷がたいへん』という単純な相関です。もっとも僕は有機栽培農家なので慣行栽培(農薬、化成肥料を使う通常の栽培)でもおなじなのかは微妙ですけれど。兎に角、苦労が前(栽培中)なのか後(収穫後)なのかが違うだけで、結局は手間に応じた単価になります。資本主義は、よくできています。

大概の農業をしたことがない人にはピンとこないみたいですが、畑で野菜を育てる事だけが農家の仕事ではありません。収穫して、整形して、送り出すまでが仕事になります。ナニゲに栽培以降の方がたいへんなこともママあります。

生鮮野菜の収穫適期

収穫後に貯蔵ができる穀類や乾燥豆類、一部の芋類、一部の根菜以外の殆どの生鮮野菜には、収穫適期や短い賞味期間があります。この収穫適期は、野菜の種類にもよるけれど皆さんが思う以上に短いです。例えば、成長の早いキュウリやズッキーニなどのウリ科野菜の場合は、最盛期には一日2回、朝晩の収穫をしないと正品としては販売できないサイズに育ってしまいます。トマトやナスは持って数日、トウモロコシは一週間くらい(ピークのおいしさを求めるなら1.2日)、葉物野菜も始まりから終わりまで二週間くらい。収穫後に花芽の開くブロッコリーなども初収穫から最終収穫まで一週間くらいの猶予しかありません。しかも、時期や天候次第で適期は簡単に短くなったり長くなったりもします。

ドンドンとたたみ掛けるけれども、上記の収穫適期間は栽培速度が乱れやすい有機栽培で尚且つ栽培適期が乱れやすい固定種を育てている極小農家の僕の感覚です。効率を第一優先にしている大面積単一品目慣行栽培農家ですと更に短いスパンでドンドンとズボ取り(全収穫)をしてゆきます。そうしないと手間が増えて利益が圧縮されてしまうからです。

需要ギリギリ、生計ギリギリ

資本主義経済のなかで作物を育て、販売する事で生計を立てている専業農家さん。ナニをどれくらい作付するかは、市場の需給バランス≒これまでの平均単価 を元に決めています。これ自分だけの問題じゃないですからね。日本全国津々浦々の農家さんが総需要100に対して、総供給100を目指して個々に対応をしているのです。(農協などが作付見込み量、単価予想を出したりもしていますが)

この需給見込みがハズレて需要100に対して、供給105(供給過剰≒単価下落)とかになってしまうとさぁ大変!育てれば育てるだけ赤字になったりしてしまいます。

資本主義

生鮮野菜は長期貯蔵ができない。作りやすい時期は安く、作りにくい時期は高い。野菜ごとの栽培から出荷までの手間は結局おなじくらい。利益を出すために薄利多売でやっているから需給バランスが乱れるとにっちもさっちもいかなくなる。簡単には生産調整も在庫調整もできない生鮮野菜は、需給で価格の決まる資本主義的な立ち位置にあります。

気候変動


農業は、不安定な自然相手のお天道様商売なのに安定を求められているし、安定しないと成り立たない収益体制を強いられています。だから見込み100の需要に対して、供給100の作付を産地を替え品種を替えながら全国津々浦々の農家が連動しながら育てています。もう少し利益率が高ければクッション材として多少は安定するのですが、収益性と効率性を限界まで求められるものだからアソビはまったくありません。

そこにきて近年の天候不良が覆い被さります。平年よりも寒ければ生育は遅くなり品薄≒高騰。暖かければ生育は早くなりダブつく≒下落。(逆のパターンもあります)で、影響は短期間では終わりません。収穫適期の短い生鮮野菜は、農家産地の数珠繫ぎリレーで作付けをしているのだから気候が乱高下すれば生育不良で品薄→収穫期が遅れた分に次の分が上乗せされてダブつく、そんな凸凹サイクルが出来上がってしまいます。

循環しない経済

自分の給料はたくさん欲しいけれど、他人にはできる限り払いたくない。安いがいちばん!安いがいちばん!と言い続けた結果、国全体の循環するお金が減った。余力が減った。循環しないのだから自分の給料も上がらない負のスパイラルの出来上がり。値段以外に価値を見いだせなかった国の末路。そこにきてコロナと戦争に端を発した物価高騰。日本国民の殆どが影響を受けているのでしょうが、もうずっと前からギリギリの生産体制でやってきた農家は限界を越えました。離農する人や耕作放棄地もこれから更に増えてゆくでしょう。

農民のいなくなった国、食べるものを生産できなくなった国。そんな国に未来はあるのかなぁ?と不安になる今日この頃です。敵地を攻撃できるミサイルよりも自給率を上げる方が、余っ程安全保障なんじゃないかと思うのですけれどね。お腹が空いてから後悔しましょう。




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