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自分の情熱に制限をしない

今日の祈り

「自分の情熱を制限しない」ということを、心と体で実感する機会を与えてください。

自分の情熱を制限しない

『人生の答えはいつも私の中にある』アラン・コーエン

今朝の書物占いで出たメッセージ。
そもそも自分の情熱って?それを制限しないって?と思考がはじまる。
お決まりの、わからないとやらないわたしの登場だ。
制限しまくってますね~。
わからないとやらないという制限を外し、祈ることにした。

朝、シェアキッチンでパンを焼く。
予定していた動画撮影が行われ、カメラマンの彼と話をしながら「情熱」について知る。

彼の様子を見ながら、
「ほんとになんでも撮るんだねぇ。」
と、私の中からほろりと言葉が出てきた。
すると、
「なんでも撮っときゃいいんよ。何だって使えるんよ。あとは、編集力だから。」
さらっと言う彼。

「そっかあ。」
一旦、受け止める。が、
「そうかぁ??」
彼のなんでもは、彼の中でのなんでもであって、なんでもではない。
そう思った。

「なんでもって言ってるどれもに心が動いてるんだねぇ。」
そう声をかけると、
「そうかもしれないねぇ。何に心動いてるかまではわかんないんだけどねぇ。」
さらっと言う彼。

そんな彼の姿を見ながら、「これが情熱かぁ。」とそんな感覚があり、気づけばわたしは魅了されていた。
なにかメラメラとしているわけでもなく、ギラギラもしていない。
ただ、きらりと光るものは確かに感じた。
彼の美しさ。
彼の中には叶えたい希望があって、その「想い」がきらりと光るのだろう。

午後、パンの委託納品先の雑貨屋さんへ行くと、雑貨屋の店主あっこが言う。

「みんな忘れるんよねぇ。」

彼女は直観リーディングセッションをやっており、ちょうどリーディングが終わった直後だったようだ。
課題を解決するために受けたリーディングも日が経つと、自分の課題をうっかり忘れて生きている人が多いのだと。
まぁ、ね、わかるよ、わかる。
わたしもそうですから。

課題を解決することはしあわせになることとつながっていて、しあわせを実感するという人間の生きる目的につながっている。
きっと、きっとよ、情熱って目的を生きる(幸福を実践する)ための燃料なんだと思う。

自分の情熱に制限をしない

情熱を制限するということは、生きる目的から逸れたり、生きる屍になることを意味する。

そんなことを考えていたら、ビジョンがみえてきた。いや、思い出した。
わたしは、『暮らしの中に医療と福祉と教育が内包された環境』をつくるんだった。いや、つくっているんだった。
ビジョンが近い画がこちら。

「虫眼とアニ眼」養老孟司・宮崎駿


描いているその様子は、ほのぼのとしているけれど、現場で働くとそのしくみや制度を目のあたりにし、理想と現実とのギャップに萎える。
そう。
そうやって、情熱というエネルギーが萎んでいくんだ。

自分の情熱を制限するということは、自分の可能性に心を閉じること、自分には無理だと諦めること。

自分の情熱を制限しないということは、自分の可能性に心を開くこと、自分にある才能を活かしながら、必要なスキルを身につけ続け、叶うまでチャレンジし続けること。そして、枠を広げ続けること。

なるほどね。
数日前からオグ・マンディーノの「この世で1番の奇跡」を読んでいる。
わたしはすぐに情熱を不安や恐れでかき消す自分がいることを知っている。だから、本の力、オグ・マンディーノの力を借り、おまけに睡眠を味方につけて情熱に制限をかけないことを実践しようとしている。
ポンコツな顕在意識よりも潜在意識に頼ってみよう!キャンペーン中なのだ。まぁ、実験ね。

今日の祈り、叶いました。
情熱を制限しないって、このビジョンを想い描き続けることだとしっくりきています。

最後に、お知らせ。
昨日面接を受けた病院の内定が決まりました。
新たな現場、新たなステージで環境に屈することなく、柔軟さやしなやかさを磨いていこう。そして何より「忍耐」を学べそうな予感がしています。
はてさて、わたしの心はどんなふうに動いていくのか。
介護の現場と同様、日報を綴っていきます。

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