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読書感想文と同級生。

夜勤を終えた帰り道。車の外気温計は17℃を表示していた。

車を降りると、夜風が涼しくて少し肌寒く感じるくらいだ。つい先日まで賑やかだった虫の声も、今はなんとなく穏やかでしっとりとした音色に聞こえる。(実際、虫の声は温度が高い時はテンポが速く、気温が低い時はスローテンポになるそうだ)

もう、一気に秋である。


高校の頃、たしか今くらいの時期だったと思うけど、現国の授業で読書感想文を書く課題を出された事があった。(もっと寒い時期だったか?いやまだ夏の制服を着ていたから、やはり今頃だろう)

学校の課題(宿題?)としては定番の読書感想文だが、高校時代のそれを特に覚えているのは、読む本を自分で選ぶ事になっていたにも関わらず、なかなか決められなくて、決まらないままどんどん提出期限が迫ってきて焦った記憶があるからだ。

少々言い訳をさせてもらえば、私は読書が苦手だったわけではない。むしろ本は好きだった。ただ課題として提出するには推理小説やSF小説ではもちろん駄目で、例えば『○○文学全集』みたいなものに収録されているような、ちょっとオカタイ作品でなければならなかった。

そんな『読書感想文に適した本』を無理やり選んで、それなりの時間をかけて読むという行為が私にはとても面倒に思えた。だから本を探すのも難航したのだ。

そんな時にアドバイスをくれたのが、同じクラスの飯田さんという女の子だった。

飯田さんと私は同じ中学出身だったが、特に親しいわけではなかった。というか、私は同じクラスに友人と呼べる人がいなかった。

私が通っていたのは、そうたいしてレベルの高くない公立の女子校だったが、発達障害(当時はそんな言葉は全く知らなかったけれど)である私には、女子の集団に特に求められる「空気を読む」というのがとても難しかった。

言葉のニュアンスや、相手の顔色からその場の雰囲気を察して、相応しい言動を行う……という自分とっては無理難題と思えるような途方もない高等技術を、クラスの女子達は軽やかにやってのけているように思えた。

結果として高校三年間、私はなんとなく一人でいる事が多かった。(若干、浮いていたと言ってもいいだろう)

話を飯田さんに戻そう。私の記憶にある飯田さんは、いつも自分の席で静かに本を読んでいた。彼女もあまり集団の中にいるのが好きじゃなさそうだったけれど、私と違ってちゃんとクラスには溶け込んでいた。顎のあたりで切り揃えられた真っ直ぐな髪。キュッと結ばれた唇。本を読んでいる時は、いつも背筋がピンと伸びていた。

そんな飯田さんと、偶然二人きりで話す機会があった。

ある日の放課後の事。秋の空は、もうすでに暮れかかっていた。教室に残っているのは飯田さんと私だけ。先生に何か用事を頼まれて遅くなった、多分そんな感じだった。

「飯田さん、いつも本読んでるよね」とか「どんな本読んでるの?」とか、おそらくそんな事を最初に私が聞いたのだと思う。

私の問いに、飯田さんは「うん。私、太宰が好きなの」と、答えた。

「太宰が好きなの」

私が言うと何カッコつけてんだって感じのセリフだが、飯田さんの口から発せられると、とても自然で、素直に(ああ、そうなんだ)と思えた。

私は思い切って、飯田さんに読書感想文の提出期限が迫っているのに読む本が決まっていない事を相談してみた。この文学好きの同級生になら、何かヒントがもらえそうな気がしたのである。

少し考えたあと、飯田さんは「それならー」と言った。

それなら、カフカの『変身』ていう小説があるんだけど……ある男が朝起きたら一匹の虫になってたっていう話。これなら、そんなに長い話じゃないし読みやすいんじゃないかな。

カフカの『変身』、初めて聞いた。朝起きたらいきなり虫になってるって、いったいどんな物語なのだろう。話が長いとか短いとか関係なく、単純にこの小説が読みたいと思った。

かくして、私は高校二年の秋に初めてカフカを読み、無事に課題を提出したのだった。

その後、飯田さんと私が特に親しくなるという事はなかった。そして卒業後は一度も会っていない。


文学少女だった飯田さんは今、どんな大人になっているだろう。どのような人生を歩んでいたとしても、おそらくピンと背筋を伸ばして太宰を読む姿は変わっていないんじゃないかな。

たぶん、きっとそんな気がする。

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