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卒業式改めDCEU留年式

 この記事は私のDC映画に対する愛憎をぶちまける為の記事です。ガンガンネタバレしていきますので覚悟してください。

ザ・フラッシュ見たよ!

 実は初日に見に行っていたのですが、感想記事を出すのに時間がかかってしまいました。まあ色々と感情を整理する時間が必要だったわけです。さて、ドラマフラッシュを最初に見たフラッシュとして刷り込まれている私がザ・フラッシュを見た感想とは!
 面白かったです。面白くはあったんです。原作フラッシュポイントと比較しても翻案としての作り方は上手く練り込まれたいい映画だと思います。何よりもこの映画一本で纏まっているのでここから見ても大丈夫な造りになっているのが評価できます。それと、まあ、悔しいけどエズラの演技は良かったです。特に母親と別れるシーンなんかはすごい良かったし実質二人分の演じ分けをこなしていたのもすごい。凄いからこそ悔しいというか惜しいというか。さて、全体への感想はこんなもんです。次はこまごました部分やアローバース関連の事とか話して行きます。

理想のジャスティスリーグ

 まずは冒頭のシーン。バリーの見てて苦しくなるくらいの陰キャしぐさやセンスあるタイトルを使ったギャグ。テンションがブチ上がる音楽と高速アクション。そして何よりもジャスティスリーグの絡みですよ。あのバットマンのアクション! 「ファルコーネのバカ息子がやらかしてな」この短いセリフだけで分かれ! とまでの傲慢さ。最高じゃないですか。俺たちに、向けて言われてるんですよ。このセリフは! 最高じゃないですか!(二回目)それにアルフレッドがバリーに連絡するというのも横のつながりを感じられてよかったです。何よりあのマフィアを殴る時のベンアフバットマン。有り余るパワーと積み重ねた経験を感じさせてかっこいい! からの印象的なメインテーマ引っ提げて現れるワンダーウーマン。美しく、強く、バットマンもフラッシュもまだまだ子供と言うような貫禄。素晴らしい。この三人の絡みは正にアンサンブル。やはりヒーロー同士の交流、関係性というのがいいんですよ。アメコミヒーローの素晴らしさはそこに詰まっていると。そう強く思います。これが、これが見たかったんです。ずっと見たかったしずっと見ていたかったんです。この世界を、ただ眺めていたかった。望んでいたものはそこにあったんです。ようやく、ようやく気付いたのに、もうお別れしなければならない。正直に言いますと、私はこの映画を卒業式と思って見に来たんです。DCEUがDCUにリランチする。それにベンアフのバットマンは最後とアナウンスされていますし、色んな意味でお別れの気分で行きました。でもね、でもね、お別れしたくないよ。ベンアフのこと好きだよ俺。ベンアフだけじゃない。ジャスティスリーグみんな好き。カヴィルもガルガドットも、モモアもフィッシャーも、悔しいけどエズラも。このジャスティスリーグが、このジャスティスリーグがいるDCEUが好きだった。大好きだった。それを思い出していたんです。ワーナーへの不信や役者のスキャンダルなどで色々と熱を削がれていたのに、思い出してしまったんですよ。なんて罪深い映画でしょう。卒業できる気がしません。ずっと、多分一生この世界に囚われてしまうんだと、思っています。

異なる世界、マルチバース

 さて、魂はまだ囚われていますが時間は先に進みます。母親を救うためバリーは過去に戻り歴史を変える。それにより迷い込んでしまった別の時間軸。異なる分岐。ぶっちゃけコレマルチバースじゃなくてハイパータイムじゃね? とは思わなくもないですがまあいいでしょう。その世界で出会ったのはもう一人のバリーともう一人のバットマン、そして異なるクリプトンの生き残り。この世界における戦いが本作のメインです。そこも素晴らしかった。二人のバリーの演じ分けと、バリーがバリーのメンターになり導いていくという構図でフラッシュの能力を説明しつつバリーアレンと言う人間の本質を掘り下げていくドラマ構成には唸りました。そこは原作にはない部分なのにかなりすっと入ってくるし納得できる。評価できる点です。特にバリーの性格の違いの演じ分けと、違いから逆説的に浮かび上がるバリーの共通項、その善性、優しさ、献身などが見事に表現されていたのが良かった。最初はかみ合わないバリーが段々と絆を深めたり、能力のレクチャーをしたり、サブカルの歴史が違うという点でギャグや世界観の深掘りをしたりと細かいところもよかったです。細かいところと言うとバリーがちょくちょくもの盗むのは解釈違いなんですけどまあ本筋ではないので軽く流しておきます。同時期に公開してるスパイダーバースはちゃんと金払ってたから余計に気になっちゃうねというところもありますが。それはそれとして、語るべきは他にもいます。まずはバットマン。マイケルキートンと言えばティムバートンが監督したバットマンのシリーズで主演を務めていました。そのレジェンドのカムバック。興奮しないはずがありません。あのギラギラとした眼。特徴的な動き。存在感。正にあのバットマンが帰ってきたと、否応なくわからされるマイケルキートンの演技力。感服しました。劇中の活躍も素晴らしく、隠居状態ながらも唯者でない雰囲気やわかりやすいようなそうでもないようなマルチバースの説明。マーサ! マーサ! ソ連基地での大立ち回りと傷を縫うあの狂気の笑み。そして何より対クリプトン軍での戦いと散り様。最初から最後まで魅力たっぷりで彼無しにこの映画は成り立たないと思える存在でした。「もう戻してくれた」あの世界のバットマンを見ていると隠居状態と戦っている時で随分顔つきが違うなと思わされます。楽しそうに人を殴るあの顔、あの目。バットマンこそが彼の素顔であると言わんばかりの。実際、ティムバートン版でもバットマンこそ彼の本性であると描かれていたこともあり、彼の心が戦いに惹かれていたと感じられました。だからこそあのセリフなのです。バリーが来てからのあの時間こそ彼にとっての生きた時間だったのです。更には、現役時代にはいなかった仲間までいる。マイケルキートンがバードマン、ヴァルチャーなど色々なことを経験し、バットマンであった時間を人生の折り返し地点より先から見返したという文脈も乗って、あのシーンは本作屈指の名シーンと言える出来でした。
 そしてスーパーガール。私にとってはドラマ版も印象深かったのですが、今作のスーパーガールは独特で、なおかつとても素晴らしい。サッシャカジェの一挙手一投足が美しく、力強く、その奥底に優しさを感じました。原作におけるサブジェクトワンの様に今作のカーラは地球に来た直後に軍事基地に幽閉されています。つまりは地球に来て初めて出会ったのが悪意と恐怖なわけです。深い悲しみと怒りによって培われた人間不信。その思いがサッシャカジェの顔に深く刻み込まれていました。けれど、けれど彼女は出会うのです。ヒーロー達に。顔も知らない自分を救ってくれた存在。そこで彼女の中にある本来の優しさが目覚めるわけです。ゾッドの蛮行を見過ごせず。バリー達の動向を気にかけてしまう。そんなカーラの、スーパーガールの優しさを見せてくれてドラマ版が好きな私も満足の出来でした。特によかったのはバリーが能力を取り戻すために雷に打たれる実験をしている場面。何も言わず現れて手伝ってくれる。カーラ。あのシーン、一見して説明不足に見えますが、その手前でカーラの聴力を描写しているんですね。つまり、あの洞窟内でのやり取りを聞いていたという事でもあります。そこで何も言わず協力してくれる不器用な優しさ。とてもいい。それと、予告でもあった「一体なにをした! 」と激昂するシーン。あれもよかった。何となくバリーがやらかしたシーンかな、と予想していたのですが、実際はカルエルを殺されたことをゾッドが告白し怒るシーンでした。作中一怒ったことが幼い従弟のことと言うのがいいですね。カーラの愛の深さを感じさせます。若干描写は他に比べて少ないのですがその中でも魅力をしっかり発揮していました。だからこそ、だからこそ、もっと見たかった。そんな思いが強いです。
 そして何よりも今作でバリーを更に好きになれました。スピードフォース内での三人のバリー。あの闇落ちしたバリーもまたバリーなんですよ。救いたいという願い、仲間への愛情、母親への想い、そういうものを全て背負い、一人で走り続けてしまった成れの果てですが、不思議と哀れな存在に思います。特に、未来のバリーに対するアンタは俺のヒーローだという場面。あそこで、根っこにはやはりバリーがいるのだとわかるのです。しかし、それでも、バリーは世界を戻すことを決めます。過ちを正す為、もう一人の自分の思いを託されたが為、無数の世界を守る為、バリーは走る。そして辿り着くのがあのスーパー。運命を動かしたあのトマト缶。あのシーンに今作の全てが詰まっていた。あの、ヴィランもヒーローもいなくただ親子の会話だけがあるシーンこそ何よりも感動的なシーンだった。泣きそうになるのをぐっとこらえて会話し、そして別れを告げる。バリーアレンのバリーアレンの個人としての責任と決着。それがあのシーンに詰まっていたのです。見事に表現されていたのです。素晴らしかった。素晴らしかったのです。
 何よりも、あの世界があのチームが。バリーとバリーとバットマンとスーパーガールのいるチームがこの映画の中で大好きになってしまった。もっと見ていたかった。わかっていたんですよ。この映画はフラッシュポイントをやるって。この映画で描かれる世界はあり得ない世界、あるべきではなかった世界、去るべき世界です。でも、この世界にもっといたくなってしまった。お別れするんだってわかっていたよ。でもね、でもねお別れしたくないよ。キートンが、サッシャが、悔しいけどエズラも。このジャスティスリーグがこのジャスティスリーグがいるDCEUが大好きになってしまった。なんて罪深い映画でしょう。卒業できる気がしません。ずっと、多分一生この世界に囚われてしまうんだと、思っています。

新たな世界

 さて、バリーの決断によりフラッシュポイント世界から脱しジャスティスリーグのいる世界に戻ってきました。けれど少し違う世界。冒頭でブルースから渡された監視カメラの映像にはバリーの父の顔が映っており無罪の決め手となる。元の世界だと残念ながら証拠にはならないとされていたのに。おかしいなとバリーは思う。そして、現れるブルース。その姿はなんと、知らないブルースだった。しかし我々はその顔を知っている。けれど確かにあの世界のブルースではない。ジョージクルーニー! そんなこんなでジャスティスリーグはいるけど違うジャスティスリーグの世界に来てしまったのだ。慌てて知り合いに連絡するバリー。そしてわかったことは、この世界のアクアマンは結構知ってるアクアマンだったという事でした。色々と言いたいことがあるオチだけども、まあ納得できる範囲である。まあフラッシュポイントだから、と言うのがかなり大きい理由だと自分の感情を分析している。予習していなかったら割とキレていたのかもしれない。前の記事でも書いたが、フラッシュポイントは大人の事情を一つの物語として表現したものである。だから、そういうメタ的なオチも受け入れられたのだろう。あと、ドラマのクライシスも見てたしね。

サプライズについて

 ここからちょっと毛色が違います。書いてる私もちょっと平熱超えるテンションで書いてると思います。そこを呑み込んでみてください。
 今作のサプライズ要素、上でも書いたワンダーウーマンやレジェンドキャストのマイケルキートンは概ね最高でした。じゃあ他は? みたいな話をしていきます。と言うか主にあれですね。マルチバースのシーン。
 なんというかその、個人的には物足りなかったというか、ワーナーの思想が透けて見えたなあという感想です。具体的に言うとグラントガスティンを出せってことが愚痴の大半です。別にね、メインに絡まなくていいんですよ。ちょっとだけあの輪の中に入れて欲しかったというそれだけです。俺がドラマ版に思い入れがあるというのが主な理由を占めますが、それだけじゃありません。義理の話です。ドラマ版フラッシュのクロスオーバー回『クライシスオンインフィニットアース』は映画ドラマ問わず過去キャスト大集合のまさにお祭りと言った話でした。そう、アローバースは映画もドラマも同じマルチバースの仲間として認識しており、そこに差はないと主張してきました。そして何より、出てるんですよエズラ。時間としては短いんですけどちゃんと出てます。ドラマ版『クライシスオンインフィニットアース』のあらすじを簡単に説明すると、マルチバースを食いつくす存在アンチモニターによってマルチバース全体が滅亡の危機に瀕していました。それを止める為に選ばれたヒーロー達、グリーンアロー、フラッシュ、スーパーガール、スーパーマン、マーシャンマンハンター、レジェンドオブトゥモロー、バットウーマン、などが戦うという話です。アローバースの集大成と言うべきマルチバースの壮大な叙事詩である本作には8年の積み重ねがありそれを簡単に超えろとは言いません。まあ私は比較するために前日見てから行ったんですけど。ただ、ただ私が望んでいたのは認知して欲しいという事だけなんですよね。あのマルチバースのシーン。DCの歴史を表現していました。アダムウェスト版バットマン。リーヴ版スーパーマンとヘレンスレイターのスーパーガール。そしてまさかの没になったニコラスケイジのスーパーマン。それらの歴史を映すことで本作はレガシームービーとして過去を肯定するという表現になっています。特に、過去があるから今があるというメッセージを持つ本作には重要なシーンです。でもね、でもね、その過去に10年続いたドラマ版は入れて貰えなかったんですよ。ドラマ版はずっと仲間だと思ってラブコールを発し続けているのに。クライシスにおいてブランドンラウスがスーパーマンを再演したことの意味を私は知っているんですよ。私は『スーパーマンリターンズ』大好きなんですよ。名作だと思ってますよ。でもね、あれは売れたのにボツになったケイジ版の補填も背負わされたせいで目標額に達せず続編が作られず失敗とされてしまった不遇の名作なんです。ラウスはあの作品に対して長年悔しい思いを抱いていて、それを再演によってわだかまりが溶けたと言っているんですよ。ただ演じただけでなくやり直し、セカンドチャンスとしての意味もあるんです。それこそ、『スパイダーマンノーウェイホーム』でもガーフィールドの再演はそういう意味があったじゃないですか。でもね、この救済は本来ワーナーが、映画でやるべきだと思っているんです。勿論ドラマでの再演は興奮したしやってよかったと思ってます。あとアトムとの演じ分けも評価されるべきだと思うんですけどね。ラウスも杉田さんもよくやりましたよ本当に。マルチバースのシーン、あそこにラウスもいるべきだと思うんですよ。それを、それを無視して失敗扱いされた原因であるケイジだけいるっておかしいじゃありませんか?!そこもどうかと思いますね。一部では本作をアメコミ版『仮面ライダージオウオーバークォーツァー』と呼ぶ人や春映画とも言われています。後者はともかく前者と言うには歴史を舗装したいという感情が漏れ出ていて相応しくないと思うんですよ今作。そもそも、白倉Pがディケイドからずっとやろうとしてたメタ的な作風の方がアメコミっぽいと思うんですよね。白倉Pはアメコミを映画でしか知らないので意図的にそうしているわけではなく偶然似通ったと思うのですが、いや別にどっちが先だから偉いとかは言いたくないしそんなつもりはないですけどでもちょっと表現として合ってないんじゃないかって。ただ私がモヤモヤするという個人の話ですよ。

アメコミにだって、春映画はできる!


採掘場!
爆発!
巨大化!

東映の専売特許じゃねえよ! みたいなことを言いたかったんです。アメリカだったパワーレンジャーが報映されてますからね。特撮の遺伝子は世界中に広まってるし逆もしかりなんですよ。知ってますからねジェラミーのアクションが露骨にスパイダーマンなこととか。今はDCの話だけど! 

脱線しましたが、言いたいことはワーナーは義理がねえよって話です。これじゃまるで片思いじゃないですか。二人でアメコミ実写化を盛り上げていこうって、頑張ってきたじゃないですか。ドラマで宣伝もしたし、向こうが使うって言うから泣く泣くスーサイドスクワッドを全滅させたり、フラッシュの知名度はぶっちゃけエズラより10年ずっとやってたグラントの方が貢献していると思うんですよね。それに、一言、一言もなしってなんですか。日本語版のCMで福山潤がやってたのは何だったんですか。そもそも、エズラがフラッシュという名前を知ったのはクライシスが初めてなんですよ! それちゃんとわかってるんですかワーナー! おいワーナー! グッゲンハイムやバーランティになんのオファーもないってどういうことだよ! というかあの知らないジェイギャリックは誰だよ! せめてJWSだろ! あれでフラッシュの別世界見せた気になるならグラントを一瞬でも見せてくれてよかっただろ! あの、グラントもJWSもどっちかでよかったんです。ただ、エズラ以外にもフラッシュが、バリーアレンがいるってことを覚えていて欲しかっただけなんです。なんかね、もうね、それだけなんですよ。私個人の意見としましてはグラントを次の映画バリーにと言うのは反対ですね。もう10年頑張った人にこれ以上とは言えないし、映画のファンからしても困惑すると思うんですよね。だから素直に新しい人にする方がいいって思います。いっそのことウォリーにしてもいいと思うんですよね。一時期フラッシュと言えばウォリーだったし現行のコミックもウォリーですしね。DCUがロビンのいるバットマンを推していくならそこからつなげてタイタンズ出すってのもありだと思うんですよ。だったらやはりウォリーは活きてくる。まあ、私の願望はそこそこに、とにかくグラントを映画に出して欲しいけど映画のフラッシュがグラントになるのは反対ってことです。
 まあでも、サッシャカジェがドラマ版スーパーガールのメリッサブノワに役作りのヒントを聞いて、ドラマ全シーズン見たというのを聞いて少し救われました。できればまたカーラやって欲しいなあと思います。あと、ヘレンスレイターはアローバースのキャストなので一応出たよ! と思うようにもしています。

これから

 きっとDC映画はこれからも見て行きます。後ドラマも。期待はあります。直近で言うとブルービートルはなかなか楽しみです。外骨格型のスーツと大剣やらアームやらのワクワクするガジェットが心をくすぐります。それにジェームズガン体制についてはまだ未知数ですし不安もありますが、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー3のアダムのアクションを見てスーパーマンだ!と思ったのでアクションは安心できます。また、ムスキエッティ監督もバットマンのアクションがベテラン感と溢れるパワーの表現が素晴らしく、ブレイブアンドボールドも期待しています。けれど、やはり未練はあるんですよ。カヴィルという最高のスーパーマンとベンアフという最高のバットマンがいながら不完全燃焼になったDCEUとそれでも最高の演技を見せてくれた二人と、あと見たいものも色々あって……。これからどうDC映画と向き合っていくのか答えは出ていませんがそれでもきっとこれからも見続けると思います。その根底にあるのはきっと、コミックのヒーローが好きという感情があるのです。だからこそそれを表現する人達も見たいと思うのです。それでは、これで〆ます。縁があればまたどこかで。


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