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【小説】団地の子①

 <あらすじ>
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 周りからの苛烈な苦情で母子家庭の主人公は安いアパートを転々とした。泣き声。足音。幼い子供は何かと音を立てるのだ。そんな時に見つけたのが子供の通学路で見つけた古い団地の建物だった。団地は古いが鉄筋だった。頑丈なので、アパートほど音は気にならない。しかも家賃も格安だった。迷わずアパートから転居して、主人公親子はやっと穏やかな生活を手に入れた。
 はずだった。
 古くから住む住人。団地ならではの人付きあい。主人公は少しずつ違和感を覚えていくことになり、やがて耐えがたい恐怖を味わうことになる。

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 薄暗がりの中で、扉の内側にある取っ手が激しく上下するのが見えた。ノゾミは涙を流して震えていた。私はノゾミをきつく抱きしめた。衝突音はその回数を増すごとに、どんどん大きくなっていた。振動が、壁や床、部屋全体に伝わってきた。扉の向こう側の人間は、本気で扉を破壊しようとしているようだった。
「やめてください」
 私は叫び声をあげた。
「私たち、もう出ていきますから。だからもうやめて」



 玄関を上がるとすぐダイニングキッチンで、左に浴室、正面には六畳の和室が横に並んでいた。真新しい和室の襖は換気のために開け放たれていて、これまた真新しい萌黄色の畳が見えていた。部屋はイグサの香りに満ちていた。
   内見に付き添いはいなかった。事前にインターネットで申し込んだら直接希望の部屋へと行くよう案内されて、あとは勝手にどうぞという方式だった。鍵はドアの取っ手にかかったキーボックスに入れられていた。
  簡単すぎて少し不安な気もするけれど、考えようによっては誰にも遠慮がいらないので気が楽だ。
  ダイニングの板張りの床には傷一つない。台所の水回りもトイレの便器も真新しい。浴室の給湯器もタッチパネル式だった。
 私は壁に手を触れた。壁紙は貼られていなかった。コンクリートに白い塗装がされていた。ひんやり、固い感触がした。
「綺麗だね」と私はノゾミに言った。ノゾミはいつの間にか右の和室の窓から下をのぞきこんでいた。私もノゾミの横にならんで下をみた。こちら側は緩衝地帯の緑地になっていた。ちょうど真下あたりでは、アジサイが何株にも連なり青紫の小山のようになっていた。
「綺麗だね」とノゾミは言った。

 階段を降りていると、ちょうど今見た真下の部屋に、年配の女性が帰って来たところに出くわした。女性は私たちをみとめると、「こんにちは」と挨拶をした。感じの良い人だった。私たちも「こんにちは」と挨拶をした。女性は腕に買い物袋を提げていた。女性は私たちを見て「もしかして内見の方?」と言った。私は「はい、そうです」と返事した。
   女性は「あらあ、ぜひ来てくださいな」と言った。「ここのところはめっきり若い人が減っちゃって。とっても住みやすいとこなのに」
  女性の目線は私の後ろにいるノゾミの方へと向いていた。顔を思いきりほころばせていた。心からの言葉に受け取れた。
「楽しみにしているわ」と言って、女性は扉の内側へと消えた。
 
 夫とは二十二のころ友だちを介して知り合った。付き合って一年くらいで妊娠し、結婚した。けれど夫は私が妊娠したからしかたなく結婚したという感じだったので、その関係はすぐに破綻し離婚した。だからうちは私とノゾミの二人きりだった。
 私に身寄りはいなかったので、私たちは安いアパートを転々とした。なぜ転々としたかというと、いつも隣とか下の住人から文句を言われ、事実上、すぐに追い出されてしまうからだった。安いアパートの壁は薄い。天井も薄い。電話やテレビの音すら筒抜けだ。だから子供が泣こうものなら眠っていたって飛び起きる。それに子供は駆け回る。普通に歩く時でさえ、気を抜いたら音が下に響くのだから、駆け回ろうものなら地響きみたいな音がする。
   横から壁を、下から天井を叩かれたりなんてしょっちゅうで、大家を介して注意を受けたり時には部屋の扉の前から直接怒鳴られたりもした。郵便受けに「出ていけ」と書いた紙を入れられたりもした。
 そんなふうになってしまうともはや身の危険を感じてしまうので、ノゾミのことを考えるとそこから出て行くしか選択肢はない。
 私が家賃を払えるくらいの安いアパートに、小さい子連れの入居者なんていなかった。ほとんどが一人暮らしだった。そしてそのほとんどが、自分が生きることで精いっぱいだった。部屋には寝るためだけに戻る人もいた。夜勤で昼間は寝ている人もいた。そういう人たちには何かと音を立てる幼児なんかはもはや迷惑を通り越して災厄だ。だからそれを取り払おうとする彼ら彼女らの気持ちもよくわかる。けれど私たちも生きなくてはいけない。やがては蛇蝎のように忌み嫌われる日が来るのを知りながら、私たちにはそういう世界を渡り歩くことしかできないでいた。
 
 とても大きな団地だったので、その存在自体は前から知っていた。様子を詳しく知ることになったのは、ノゾミの小学校が、団地の敷地内にあるからだった。入学式、保護者会、運動会などがある度に、私は団地内を歩いて小学校へと行った。とても不思議な光景だった。側壁に「19」とか「20」という数字の振られた横長方形のベージュ色の建物が、規則正しく建ち並んでいる。けれど工場みたいに無機質なわけではない。通りから丸見えのベランダには、布団やシーツ、その他衣服の洗濯ものとか花の咲いたプランターなんかが見えていて、むしろ生活感に溢れている。
 建物の入り口付近では、年配の、エプロン姿の女性が話し込んでいる。井戸端会議というやつだ。最近ではあまり見かけない、なんだか懐かしい光景だった。駐輪場には子供用の自転車や、キックボードなんかも置いてある。家族での入居もあるのだろう。建物はどれも五階建てだった。エレベーターは無い。鉄筋コンクリート造りだが、見たところかなり築年数が経っていた。私よりは確実に年上だ。

 鉄筋だからたぶん生活音は左右上下に響きにくい。
 子供が住んでいる形跡がある。
 駅からは少し離れているし、おまけに建物も古いので、たぶん家賃はそんなに高くない。

 そして露わに並んでいるベランダを見渡すと、洗濯物はもちろん、エアコンの室外機もカーテンもなく、空室と思しきところもぱらぱらとある。
 今私たちの住んでいるアパートも、苦情や嫌がらせが続いていよいよ住み続けるのは厳しくなっていた。
 引っ越し先の有力候補として私はスマホでその団地のことを調べてみた。賃貸物件は、東京都の住宅供給公社が扱っていた。公社のサイトは洒落たイラスト基調で今風だった。
 築四十八年。部屋は1DKと2DKの2タイプだ。広さは35~40㎡程度。今の部屋の二倍以上ある。けれど家賃は今より安く、おまけにリフォーム済みとある。礼金も仲介手数料もない。1DKと2DK、それぞれの内部をVRですみずみまで確認できるようになっている。確かに壁や床や建具は綺麗で築四十八年とは思えない。
 私はスマホを持つ手が汗ばんでいた。この団地の存在に、なぜもっと早くに気づかなかったのか。サイト内の空き部屋状況を調べると、まだ二十軒ほど空いていた。私はそのまま内見の申請をした。

 環境的にも経済的にも理想的だった。実際内見をして、その思いはますます強まった。唯一の懸念が左右上下の住人だった。例え高級マンションでも一軒家でも、周りの住人と折り合いが悪いとたちまち地獄のように住みづらくなる。けれど今日、偶然下の部屋の住人と出くわした。柔和な感じの人だった。私たちの入居を歓迎してくれていた。今までの経験上、下の階の住人と揉めるケースが一番多かった。何よりも足音が苦情になりやすい。鉄筋だから、それはアパートよりはずっとましだと思われた。けれどもし足音がしたとして、彼女なら決して怒鳴り込んできたりはしないだろう。
 私の不安はなくなった。ずっと不穏だった毎日に、やっと光が差し込んできた。
 築四十八年の団地の一室に、私はこれからの生活を委ねることにした。

 公社の物件ということで、入居には審査があった。必要書類を揃えて申し込みをし、二週間ほどで無事審査を通過して、三週間後には契約手続きをした。
 それまでのアパートから団地まではバス停二つぶんくらいの距離だった。これまで転々と住む場所を変えたので、私たちの荷物は旅人みたいにささやかだった。タンスやベッドなんて持っていない。あえて大物と言うならば、2ドアの、一人暮らし用サイズの冷蔵庫があるくらいなものだった。
 だから引っ越し業者を頼むまでもない。けれど私には車がない。こういう時に頼れる友人もいない。だから私は安い便利屋に頼むことにした。遺品の引き取りとか庭の草むしりとか、何でも頼める便利屋だ。もちろん引っ越しもやっている。当日便利屋は軽のワンボックスで来た。スタッフは若い男性一人だけだった。それでもあっという間に荷物は積みこまれ、あっという間に新居に運ばれて、引っ越しには二時間ほどしかかからなかった。
 
 片づけが一段落したところで私とノゾミはあいさつ回りに行くことにした。時間は食事どきをはずして午後四時ごろにした。団地の一つの棟にはだいたい三つから四つの戸口、つまりエントランスがあった。入ってすぐのところに昔ながらのアルミ製の集合ポストがある。階段を中心として左右に部屋があり、一つの戸口には基本、十部屋がある。101と102、201と202・・・・・・501と502、といった具合だ。私たちは202だった。最初はお隣と下だけに挨拶をすればそれで事足りるかとも考えた。けれど結局101から順に回ることにした。狭い戸口で挨拶するところやしないところをわけるのも、何だかおかしな感じがしたからだ。
 101の表札には、漢字一文字で「周」とある。シュウさんでよいのだろうか。インターホンを押すと、「はい」という威勢の良い女性の声が聞こえてきた。
「あ、えっとこんにちは。今度202に越してきた、カシハラというものです」
 女性は「あー、はいはい」と言い、インターホンはぶちりと切れた。そして十秒ほどして扉があいた。
「どうも、こんにちは」
 着古した紺色の綿シャツに、チノパン姿の女性が現れた。化粧はしていなかった。日焼けして、頬にそばかすが目立っていた。ぎょろりと大きな目の目じりには、笑顔で無数の小じわが寄っていた。年齢は、六十代半ばに思われた。
 「こんにちは、カシハラです。よろしくお願いいたします」
 よろしくお願いしますとノゾミもおじぎした。
「あらかわいこちゃん。いくつ?」
 シュウさんの喋り方にはなまりがあった。6歳ですとノゾミは言った。シュウさんは「小学生?」と訊いた。ノゾミはうなずき「一年生」と言った。
 シュウさんは「あらそう」と顔をほころばせ、今度は私の方を見た。
「お母さんも若そうね。まるでお姉さんみたいだよ」
 私は「いやいや」と恐縮した。
「嬉しいよ。若い人増えて。団地はジジババばっかりだから。もうみんな死にかけてるからね」
 私はなんと答えてよいかわからず「はあ」と愛想笑いした。シュウさんは階段中に大きな笑い声を反響させた。
「団地って独特なルールがあったりするからさ、わからないことあったら訊くんだよ」
「ありがとうございます」
 それじゃあねと言い、シュウさんは扉を閉めた。
 一度深呼吸をし、振り返って102のインターホンを押そうとした瞬間、扉が開いて初老の女性が現れた。私は慌てて「こんにちは」と言った。
「こんにちは。ごめんなさい、お向かいとお話しているのが聞こえちゃったから」
 女性は、内見の帰りに会った人だった。
 私はシュウさんの時と同じように月並みな挨拶をした。女性はヤマガタさんという方だった。ヤマガタさんも、「若い人たちがきて嬉しいわ」と概ねシュウさんと同じ反応をした。玄関に、大きな男性用サンダルが置かれていた。スポーツ系ブランドのロゴは無く、スーパーのワゴンに積まれて売られていそうなものだった。ヤマガタさんは、夫婦で入居しているようだった。
 私たちは階段をのぼり、私たちのお向かい、201のインターホンを押した。表札には「佐藤」とあった。無反応だった。十秒くらい間をあけて、もう一度押してもやはり誰も出なかった。扉の内側で人が動く気配もない。不在のようなので、私たちはそこをとばして階段をのぼることにした。
 301のウチムラさん宅ではメガネの中年女性が現れた。用件を伝えると、「わざわざありがとうございます」と女性は言った。聞くところによるとその女性はウチムラさんの娘さんとのことだった。ウチムラさんは高齢で体が不自由なこともあり、定期的にここを訪れては身の回りの世話をしているらしい。
「ヘルパーさんとかお医者さんとか私とか、頻繁に出入りをしてご迷惑おかけしますがよろしくお願い致します」
 そう頭を下げると女性は「ちょっと待っててくださいね」と奥へ行き、「ほらお母さん、二階に引っ越してきた人」と言いながら、ウチムラさんの手を引き連れてきた。ウチムラさんは杖をつき、掴んだ娘の手に全体重を預けていた。歩くのもかなり辛そうだった。
 私は慌て、「わざわざすいません」と言った。
 髪の毛はもう真っ白で、ウチムラさんはとても痩せていた。彼女は私たちを見ると落ちくぼんだ目を見開いて、そして次の瞬間にはくしゃくしゃに顔をほころばせた。
「うれしいわあ。若い人」
 そのセリフは今日だけでも三度目だった。
 次に私は302の「島倉(シマクラ)」さん宅のインターホンを押した。「はい」と比較的若い男性の声がした。今までと同じような感じで挨拶すると、「そうですか。わかりました」と通話は切れた。一分ほどまってもそのままだったので、彼に扉を開く気はないようだった。
 401のオカさんは高齢の女性だった。髪がちりちりと長くて三白眼で、一見冷たい感じの人だった。だから扉が開いた瞬間、私は少したじろいだ。けれど彼女は見た目に反してとてもおしゃべり好きな人だった。
 私は十年前に夫を亡くし、娘は結婚して出て行って、横浜のほうに住んでいる。夫婦が二人とも生きているのは101のヤマガタさんと、お向かい402のイチカワさん。302のシマクラさんは、はじめは夫婦とその息子の三人家族だったが、ずいぶん前に夫は亡くなり、そして妻も認知症が進んで施設に入り、今は四十代の息子の一人暮らしになっている。101のシュウさんは、はじめからずっと一人で住んでいる。子供もいるということだが詳しい話は聞いたことがない。子供とか孫らしき来客を見たこともない。私たちが越してきた202には以前家族連れが住んでおり、その家族は二年ほど前に引っ越して、その後も若い夫婦と幼児の家族が住んだがすぐに引っ越した・・・・・・と言った感じで、オカさんはこちらからは何も聞いてないのに、こと細かにこの戸口の解説をした。
「ちなみに201ってどんなかたですか?」と、私は訊いてみた。私はお隣にはどんな人が住んでいるのか気になっていた。このオカさんの感じなら、訊いても差し支えはないはずだった。
 オカさんは201?と小首をかしげたあと、「ああ、サトウさんね」と言った。「どんな人って言われても難しいわね。あんまり人付き合いのあるかたじゃないみたいだし、私もよく知らないのよ。私と同じくらいの年齢の、小柄なおとなしい感じの男性ね。悪い人じゃなさそうよ。会えばちゃんと挨拶してくれるから」
「そうなんですね」
 特に問題のある人ではなそうで、私は少しほっとした。
「どうして?」とオカさんが訊いてきた。
「いえ、うちのお隣さんでしたので。先ほどお伺いしたんですが、お留守だったんです」
「ああ、そういことね」と彼女は言った。
「そう言えばあの方最近見かけないわね」
 402のイチカワさんは、五十代くらいのボブカットの女性だった。小顔で目鼻立ちがしっかりとして、かわいらしい感じの人だった。昔アイドルだったと言っても差し支えなく、なんなら今でもモテそうだった。笑顔が素敵でおっとりとして、今日一番話しやすい人だった。
「それでは」と話を切り上げかけたとき、奥からぬっと背の高い男性が現れた。白髪交じりだけれど痩せていて、若々しい感じの人だった。男性は「これあげる」とノゾミに板チョコを差し出した。
 ノゾミは目を輝かせて「ありがとうございます」と受け取った。
「いいんですか?」と私が恐縮すると、男性は、「どうぞどうぞ。孫にあげるためにたくさんストックあるんです」と言った。
 するとイチカワさんが私に顔を近づけてきて、小声で「うそですよ」と言った。
「孫はまだ五ヶ月の赤ちゃんです。それは夫が自分のために買ったんです」
   イチカワさんの夫は後ろからイチカワさんの頭をわしづかみにした。イチカワさんは「もう」と夫を叩くふりをした。
 5階の部屋はいずれも表札が出ていなくて空室だった。一階の集合ポストも封がされていたので間違いない。私たちは今まで挨拶した部屋の前を通り過ぎ、202へと帰宅した。

 

 夜は片づけやら挨拶やらで疲れていたのでピザを頼むことにした。ささやかだけれど私たちはそれで引っ越しパーティーにした。私は発泡酒でノゾミは白ブドウのジュースで乾杯をした。そのあとは二人でお風呂に入り、ゆっくり湯舟につかることにした。まだノゾミが二歳くらいだったころ、入浴中にうっかり彼女がはしゃいでしまって隣人から壁越しに怒鳴られて以来、私たちは浴室では一言も口をきかずに極力早く出るようにした。湯舟は冬でも使わなかった。
 ノゾミは湯舟でクラスのおもしろい男子のこととか図工の授業で褒められたことなどいろんな話をしてくれた。ノゾミとこんなふうにゆっくりお風呂に入るのは、本当に久しぶりのことだった。私は、彼女のとめどない話をいつまでも聞いていた。

 翌日は日曜だった。ノゾミとすっかり眠りこんでいると、近くからサイレンの音が聞こえてきて目が覚めた。私たちは玄関から見て左側の和室を寝室にした。そこには掃き出し窓がついており、ベランダに出られるようになっている。私は布団から出て立ち上がり、カーテンを少しだけ開いて外を見た。ちょうど正面に建つの棟の、やはり正面の戸口あたりにパトカーと、救急車が一台ずつ横付けされていた。見たところ両方とも空だったので、警察官と救急隊員は、その戸口にあるいずれかの部屋に向かったようだった。しばらくすると、戸口からライトブルーの上着にヘルメット姿の救急隊員が現れて、救急車の後部ドアを開けた。そしてその上着よりも濃いブルーのシートを取り出して、戸口から救急車の後部座席までを幕を張るようにして目隠しをした。
 うちからは幕のすき間から少しだけ戸口のあたりが見えていた。ストレッチャーで運ばれている黄土色の毛布のかたまりが、一瞬その隙間を横切るのが見えた。
 窓から見える日曜午前の光景は、あまりにものどかなものだった。空は晴れて澄み渡っていて、絶えず小鳥がさえずっていた。建物前の緩衝地帯の緑地では、葉桜や芝生が初夏の日光を受け、鮮やかに緑を照り返している。シロツメクサも揺れている。救急車が停まる二つ隣の戸口の緑地では、紫陽花が紫色の小山になっていて、それを高齢の男性が慈しむように眺めている。シルバーカーを押した女性がちらりとだけ救急車を見て通りすぎていく。初老の自転車に乗った男性が、救急車には目もくれずに通り過ぎていく。
 今、そこに救急車とパトカーがいて、ブルーのシートが貼られて生死不明の誰かが運び込まれている。明らかな異常事態にも関わらず、その数メートル四方をのぞいたまわりでは、団地時間は頑なにいつものペースで流れている。
 やがてブルーシートは取り除かれ救急車は去った。今度はサイレンは鳴らさなかった。

 それから一週間ほど経った平日の午後、不意にインターホンの音がした。久々の休日で、ダイニングでテレビを観ていた私は反射的にそれを消した。音量は決して大きくないはずだった。けれど常に苦情に怯えていた私はそれがもはや癖になっていた。
 私は壁にあるインターホンの室内機で「はい」と応答をした。
「こんにちは、シュウです」
「ああ、はい」
 なんだろうと思いながら玄関に行き、扉を開けた。シュウさんはチューリップハットをかぶって首にタオルを巻いていた。そして手にナスがたくさん詰まったポリ袋を持っていた。
「ナス好き?」
「え?ええ、好きです」
「あげる」とシュウさんはナスを差し出した。
「え、こんなに?」わたしはそれを受け取った。「ありがとうございます」
「いつもたくさん出来すぎちゃって。一人じゃ片づけられないから、こうして配り歩いてるの」
「これ、作ったんですか?」
「そうそう。この近くにもともと畑だったところがあって、それを持ち主が小さく分けて、近所の人に貸してるの」
「へえ」と私はナスを持ち上げしげしげと見た。つやつやと光沢があり、一つ一つがとても立派なナスだった。
「ナスのほかにも育ててるんですか?」
「やってるよ。じゃがいも、いんげん、ニンジン、トマト、たまねぎとかスイカなんかもやってるよ」
「すごい」と私は思わずつぶやいた。そんなにたくさんの野菜を自給自足できるなら、かなりの節約になるからだ。
「あなたもやる?畑」
「え、できるんですか」
「できるよきっと。今少し空いてるからね。私が話を通してあげる」
 私は少し考えてから、「ありがとうございます。でも私にはできないと思います」と言った。「畑って、きっと毎日ちゃんと面倒見ないといけませんよね。私、仕事が忙しくてそんなに手をかけられないと思うんです」。
「あらそう。それじゃあしかたない」
 そう言って、シュウさんはこれからも野菜を届けて構わないかと訊いてきた。私はもちろん大歓迎だと言った。いつも、必要以上の野菜ができてしまって彼女はその都度配る相手を見つけるのにとても苦労しているとのことだった。彼女にしてみれば、もし私たちが新しい引き取り手に加わるのなら、それはとても助かるとのことだった。
 けれど私としては、一方的に野菜を届けてもらうだけというのは落ち着かない。申し訳がない。そこで私は都合がつく時だけでも彼女の畑を手伝いたいと申し出た。
 シュウさんは、「別にいいのに。あなた真面目だね」と言った。
 
 それからさらに一週間くらいあと、私はシュウさんに連れられ畑に行った。畑は歩いてすぐだった。団地を出て、その隣の一軒家が建ち並んでいる住宅街を抜けたらすぐだった。突然、別世界が開けていた。畑は下りの斜面に広がっていた。シュウさんの話の通り、畑は細かく区分けされていた。大体八畳くらいの大きさだ。各々の区画で思い思いの野菜が育てられている。時期的に、トマトやゴーヤが多かった。支柱に巻き付きたわわに実をさげていた。
 シュウさんの区画は斜面の中腹あたりにあった。彼女はトマトとゴーヤ、ナスとニンジンを育てていた。私はところどころに生えている、雑草を引き抜くのを任された。雑草を見つけるたびに屈んで引き抜くというのをしていたら、すぐに腰が痛くなってきた。おまけに畑には日を遮るものが何もない。真夏の苛烈な日光で、私は頭がぼんやりとした。
「今度の日曜のクリーンデイ、あなたも参加する?」
 シュウさんが、赤くなったトマトをもぎりながら話しかけてきた。ぼんやりしていた私ははっとした。
「すいません、それって何でしょう」
「うちの団地は二ヶ月に一回、それぞれの戸口のまわりをお掃除する日があるんだよ」
「知りませんでした」
「自治会報見なかった?ポストに必ずいれられてると思うけど。掲示板にも貼り出されてるし」
   正直、全く注意を払っていなかった。たぶん、チラシやエステのDMなんかと一緒に捨ててしまったに違いない。掲示板も一度も見たことがない。
「掃除じたいは大してするとこないんだけどね。まあ、同じ戸口の人でも普段はなかなか話せない人もいるからね。二カ月にいっぺんだから顔ぐらい出したほうがいいかもね」
「いつも皆さん参加するんですか?」
「そうだね。だいたい全部の部屋の人が来るね。夫婦のところもどちらかは来るね」
 私はふと前から気にかけていたことを思い出した。
「201のサトウさんも来ますかね?」
「サトウさん?」
 シュウさんは怪訝な顔をした。
「お隣なので、引っ越して来てから何度もご挨拶しようとしてるんですが、いつもお留守なんですよ」
「ああ、サトウさん。確かに最近見かけないね」
「出入りしている気配も無いし、生活音もまったく聞こえてこないんです」
「引っ越ししているところは見てないね。もしかしたら夜逃げでもしたのかもしれないね」
 シュウさんはさらりとそう言い、トマトからニンジンのうねの方に移動した。
「まあ、ある日突然見かけなるとかさ、団地ではそれなりに聞く話だよ」
 私はふいに窓から見た救急車のことを思い出した。私のなかに、得も言われぬ不穏な気持ちが湧いてきた。
「それ、何してるんですか」
 私は話を切り替えた。
 シュウさんは、ニンジンのうねの前に屈んで何やらやっていた。
「間引きだよ」とシュウさんは言った。
「こうして数を減らさないとね。ニンジン大きく育たないから」
「なんだかかわいそうですね。みんな大きく育てられたらよかったのに」
「そううまくはいかないよ」
 シュウさんは、瑞々しい葉を淡々と抜いていた。

 その日の夕飯の時、畑の様子を伝えると、ノゾミは「へえ」と興味のありそうな顔をした。
「今度ノゾミも行ってみる?」
 ノゾミはうんと肯き「ノゾミもお花を育てたい」と言った。
「お花かあ」
 シュウさんの畑はもう野菜でいっぱいだった。それにたまにしか手伝わない立場で花を植えたいとは言いづらい。どうしたものかと悩んでいると、ふと戸口前の緑地のことが思い浮かんだ。もちろん緑地は共有部分にあたるので、ものを置いたり何かを植えたりするのは禁じられている。けれど実際のところはけっこう勝手に使われている。他の戸口では、花壇を作ってひまわりとかユリを育てている住人もいる。
 もちろん、もともとの団地の植栽もあるのだけれど、それに加えてそういう「勝手に」植えられた草花が、よりいっそう団地を彩っている。
 うちの戸口の緑地は今のところ誰にも使われていない。
「畑はね、もうお野菜でいっぱいなんだ。そのかわり、うちの一階の前のところに花壇を作ってみるのはどう?」
 ノゾミは「うん」と肯いた。「それでいい」
 花ぐらい、本当ならベランダで育てられそうだった。けれどせっかくだから、ノゾミには土いじりをさせてあげたかったのだ。ノゾミは物心ついたころから花が好きだった。けれどアパートの猫の額みたいに狭いベランダでは小さな植木鉢を置くのが精いっぱいだった。どうせなら、ベランダではむずかしい大きな花がいいだろう。
「じゃあそうしよう。お花は何にする?」
「ひまわり」とノゾミは即答した。

 それから三日後のこと、その日はノゾミが歯医者だったので、私は彼女に付き添うため仕事を午後までにした。その歯医者を終えて帰ってきて、私たちは花壇を作ることにした。
 緑地は一階のベランダと、前の歩道の緩衝地帯として設けられていた。広さは十畳ほどだった。そしてそれを囲うように私の背よりも高い生垣が設けられていた。一階は、そういう遮蔽物が無いと道行く人から部屋の中が丸見えになる。だからうちの戸口の場合は101と102のベランダの前に緑地が設けられている。戸口の出入口からはその緑地に挟まれごく短いコンクリートブロックの道が伸び、それが団地前の歩道につながっている。
 生垣の常緑樹には、固くて小さい濃い緑色の葉っぱがびっしり生えていた。ほかの場所でもよく見かけるものだった。何という名前かは知らない。生垣は、そんなにきちんと手入れされていないようだった。高さにはバラつきがあり、ところどころ隙間があった。見たところ他の戸口の生垣も、だいたい同じようなものだった。生垣の内側部分というよりは、ほかの人たちは皆そういう隙間に花を植えていた。私たちもそれにならい生垣のほつれているところを使うことにした。建物を背にすると、生垣の側面にあたる場所だった。シャベルでノゾミと地面を掘り起こしていると、戸口から人が出てくる足音がした。私は顏を上げ、何気なくそちらの方を見た。
 私は思わずぎょっとした。
 これまでに見たことのない人だった。Tシャツにハーフパンツという出で立ちで、首も腕も太かった。胸板も厚かった。頭髪は、限りなく薄くてほとんどスキンヘッドになっていた。そして上唇が隠れるくらい豊かな白い口髭を蓄えていた。額が出ていて眼窩が深く、それで目のあたりが陰になっている。彼はまっすぐ前を見据えて近づいてきた。私たちのことは視界に入っていないようだった。
「こんにちは」
 私は勇気を振り絞って挨拶をした。彼はちらりと私たちを一瞥し、そのまま通り過ぎて行った。
 机くらいの広さを念入りに耕したあと、わたしたちはひまわりの種を蒔いた。そしてあらかじめ作っておいた看板を立てた。看板は、いらなくなった木箱の底を利用したものだった。ノゾミが絵の具で「ひまわり」と書き、ひまわりの絵も描いた。
 花壇はなかなかの仕上がりだった。私は花壇を背景に、はにかむノゾミの姿をスマホで撮った。
 私は「楽しみだね」と言った。
 ノゾミは大きく肯いた。

 次の日の朝、私はゴミ捨てのついでに学校に行くノゾミを戸口の前まで見送ることにした。二人で玄関を出て階段をおり、戸口出たらすぐに昨日作った花壇が目に入る。
 はずだった。
 花壇の看板はいくつにも折られて打ち捨てられていた。土を掘り起こしたところは滅茶苦茶に踏み荒らされていた。
 私たちは何も言わずにしばらくそれを見つめていた。
 「ひどいね」と私はつぶやいた。「いたずらかな」
 ノゾミは無表情で花壇のあったところを見つめていた。そして「やっぱり植えちゃいけないとこだったのかな」と言った。
 私にはわからなかった。まわりの様子を見たうえで、私はたぶん大丈夫だと踏んでいた。ノゾミの言うとおり、もしかしたら一見皆勝手に使っているようでいて、実のところ何かしらのルールみたいなものが存在し、つい知らずにそれに反してしまったのかもしれない。あるいは純粋に、登下校中の小学生のいたずらかもしれない。
「ほかのところでまたやろう」
 私は努めて明るくそう言った。ノゾミは「うん」とうなずいた。
「いってらっしゃい」
 遠のく小さな背中を見ながら、私は胸が引き裂かれる思いがした。ノゾミはきっと、深く傷ついていた。
 彼女はいつの間にか泣かない子になっていた。それは私のせいだった。赤ん坊の頃から彼女が泣くと、私は何とかしてそれを止めようとした。あやしても駄目なら口もとをおさえたりもした。泣くと、アパートの隣人から壁を叩かれたり怒鳴られたりするからだった。
 だからノゾミは転んでひざを擦りむいたり頭をぶつけたり、インフルエンザで苦しくても声を出さないよう、顔をくしゃくしゃにして涙と鼻水を流しながら耐えていた。やがては涙も流さなくなり、嬉しくても思い切り笑うことはなくなった。怒ることもなくなった。感情を現わすことそのものを、彼女はためらうようになっていた。
 私はノゾミの後ろ姿を曲がり角で見えなくなるまで見送った。それから花壇だったところに座り込み、壊された看板の破片を手に取った。ばらばらになったひまわりを見て、私は自然と涙が溢れ出してきた。
 その時、生垣の向こうで微かに窓が動く音がした。それは、102の方だった。

 クリーンデイは朝9時からだった。ジャージのパンツに長袖のTシャツを着て、八時五十五分に扉を開けるとそこには既にエプロン姿のオカさんがいた。彼女はほうきで階段を掃いていた。私はオカさんに「おはようございます」と挨拶をし、急ぎ足で階段を降りて戸口から出た。
 この前見かけた体格の良い白ひげの男性が、102のベランダ前の緑地で生垣の枝を大きな剪定バサミで整えていた。101のベランダ前の緑地には、初めて見かける中年男性が、ナタのような刃物でやはり生垣の枝を切っていた。中年男性は、やや太めの体形だった。頭に赤いバンダナをして、銀縁の四角い眼鏡をかけていた。迷彩柄のタンクトップから、白くて太い腕が伸びていた。彼は滝のように汗を流して一心不乱に枝を切りつけていた。枝を切るにはどう考えても過剰な勢いで、ナタを振るたびに「ひゅっ」と風を切る音がした。白ひげの男性の剪定バサミも、じゃきんじゃきんとすごい音を立てていた。傍目から見ると、二人の屠殺人が、なにか大きな家畜を解体しているかのようだった。
 同じ戸口で見たことないのは102のヤマガタさんの夫と201のサトウさん、それから302のシマクラさんだった。オカさんから聞いた話の限りでは、おそらく白ひげの男性がヤマガタさん、バンダナの男性がシマクラさんだった。
 戸口の目の前にはシュウさん、401のイチカワさんの奥さんがいた。301のヤマウチさんはいなかった。彼女はたぶん、自力で三階から降りてくるのは不可能だ。娘さんは住人じゃないのでクリーンデイに参加する義理はない。
 汗だくの屠殺人たちとは対照的に、シュウさんとイチカワさんは談笑しながら地面に落ちた枝を拾って大きなポリ袋にいれていた。
 私は女性二人に「おはようございます」と挨拶をした。シュウさんは「おお、来たね」と言った。イチカワさんは、にこやかに「おはようございます」と言った。
「何をすればいいでしょう」
 私はシュウさんにそう訊いた。シュウさんは「そうだねえ」とまわりを見渡した。そして「特にないね」と言った。私は「もしかして来るのが遅かったですか?」と訊いた。シュウさんは「そんなことないよ」と言った。私は「じゃあ、私もこれやりますね」と落ちた枝を拾おうとした。けれど「いいよいいよやらなくて」と一斉に二人から止められた。そして二人は再び世間話を開始した。
 取り残されて、私はどうしたものかと戸惑った。手持ちぶさたで、戸口前の通路を行ったり来たりした。
 その時、シマクラさんのいる緑地を隔てて隣の戸口に原付バイクがやって来た。バイクには、十七、八くらいの男の子が乗っていた。彼は戸口の出入口付近でエンジンを切り、半帽ヘルメットに手をかけた。
「おい」
 シマクラさんが生垣の中から呼びかけた。男の子はシマクラさんの方を見た。
「どこ行くんだよ」
 シマクラさんは怒気を含んだ言い方をした。男の子は、その様子に気圧されていた。
「いや、上に。友だちの家に行こうかと」
「そこにバイク停めるなよ」
 男の子は「え」という顔をした。
「でもみんなここに停めてないですか?」
「それは一瞬しか停めない郵便局とか新聞配達のバイクだろ?」
 男の子は困惑した顔をした。
「そんな長くは停めないすけど」
「そんなってどれくらいだよ。郵便局とか新聞配達くらいでどかすのか?」
 男の子は舌打ちをした。そしてエンジンをかけ「誰だよコイツ」と吐き捨て戸口から去った。
 シマクラさんはその様子を鳩のように胸を張りながら見届けて、再び物を言わない生垣の枝をナタで激しく切りつけた。
 私は鼓動が早打っていた。そして沈鬱な気持ちになっていた。久々に男性の怒声を耳にして、心底怯えていたからだった。
 シュウさんとイチカワさんは、その様子を何も言わずに眺めていた。男の子が去ると、何ごともなかったようにまた世間話を開始した。ヤマガタさんはずっと生垣を切りつづけていた。そのやり取りに、気付いていたのかすらわからない。
 それから十五分ほど経ったころ、特に誰かが仕切るというわけでもなく、クリーンデイはいつの間にか終わっていた。ヤマガタさんとシマクラさんは、気がついたらいつの間にかいなくなっていた。枝を入れたポリ袋も無くなっていた。シュウさんとイチカワさんも、二人のあいだで世間話を終えると「じゃあね」と言い残して帰っていった。結局、私は最後まで何をすればいいのかわからなかった。シュウさんには一応顔くらいは出したほうが良いと言われたが、特にみんなで戸口のことを話し合うわけでもなければ、何かの作業をちからを合わせてやるわけでもない。ろくに自己紹介もできずに、私はただ右往左往としただけだった。文字通り、顔を出しただけだった。正直、これに何の意味があるのかわからなかった。

 買い物から帰ると集合ポストの前のスペースに、ノゾミのキックボードが置きっぱなしになっていた。額や背中にじっとりと汗をかき、両手に買い物袋を提げた私は思わず「もう」とつぶやいた。ノゾミはそとでキックボードで遊んで帰ってきて、おそらくポストの郵便物を取ろうとしたかなにかで一度それを置き、そのまま家に持ち帰るのを忘れたのだ。
 私は両手の買い物袋を両方左手に持ち替えて、右手でキックボードを持ち上げた。その時、キックボードのハンドルに、A5くらいの紙が貼られているのに気がついた。
「ここは共有スペースにつき、私物を置くのはやめること」
 紙には印刷された文字でそう書かれていた。自治会とか公社の名前は記されていない。だからこれはこの近くの住人により貼られたのかもしれない。とにかく公式にしろローカルにしろ、私たちがルールを侵したのは間違いない。
 私はこの団地でとにかく穏やかに暮らしたいと考えていた。だからこういう悪目立ちは、例え大したことじゃなくても避けるべきだった。もし花壇もいたずらではなく、誰かの私たちに対する制裁だったなら、これでもう二回目の「掟破り」ということになる。
「気をつけよう」
 そう固く誓った数日後、仕事に出かけようと扉を開けると、そこには水色のごみ袋が置かれていた。私は、なぜそこにごみ袋が置かれているのかわからなかった。ごみ袋には貼り紙がされていた。私はそれを剥がして手に取った。
「曜日を守れ」
 貼り紙には印刷した文字でそう書かれていた。
 ごみ袋は半透明だった。冷凍餃子の空き袋が見えていた。それは昨夜、確かに私が出したものだった。ゴミ捨て場は金網のゲージ造りになっており、出入口の扉をきちんと閉めれば猫やカラスには荒らされない。だから生ごみを含んだ燃えるゴミでも前日の夜から捨てる人もいた。私は燃えるゴミに関しては、忙しくても収集日の朝に出していた。例え猫やカラスに荒らされなくてもその匂いは漂ってくる。マナーとして、匂うものをあまり前から長い時間、とどめるのはやめるべきだと考えていた。
 逆に燃えないゴミは、ゲージの有無に関わらず、もともと猫やカラスには荒らされない。匂いもない。だから私だけに関わらず、前日夜頃からかなりの人が捨てていた。実際、昨夜も私が捨てた時には既に水色の小山ができていた。
 燃えないゴミの日は、確かに厳密には今日だった。けれど私だけがそれを守らなかったわけではない。たくさんのゴミのなかから、うちのゴミだけを識別するのは不可能だ。つまりうちのゴミに貼り紙をしてここに置いた人物は、どこからか私が捨てるところをじっと見て、私がいなくなった直後にそれを持ち帰ったということだ。
 それは、明らかに私が標的にされていることをあらわしていた。そしてその私に狙いを定めている人物が、ちょっと普通じゃないことをあらわしていた。
 それからさらに二日後のこと、今度は仕事から帰ってきたときのことだった。
 扉の前に、Amazonの段ボールが置かれていた。それはたぶん、私がネット注文した米だった。それが置き配されたようだった。ここからはスーパーとかコンビニまで少し距離がある。ただでさえ暑いこの時期に、米のような重いものを持って帰ってくるのは重労働だった。それで私はAmazonを利用した。
「共有部分に私物を置くな」
 その段ボールにも貼り紙がされていた。
 私はその場にへたりこんだ。めまいを覚え、そのまましばらく立てないでいた。
 キックボードや燃えないゴミに関しては、確かに私はルール違反をした。けれどここは扉の目の前だ。ここに一切物を置くなと言われたら、しかもAmazonみたいに一時的に置かれる宅配物すら許されないのなら、今後置き配は利用できないということになる。自治会とか公社が定める公式ルールには、そんな定めは無いはずだった。事実うちの戸口でも、扉前に傘立てが常に置かれている部屋もある。一時的になら、生協の発泡スチロールのケースが何段にも積まれていることもある。私のAmazonなど比べもにならない大きさだ。
 だからこの貼り紙は、不公平だし理不尽だった。貼り紙の主は、ルールを周りに徹底させたいというよりは、単に私のやることなすこと全てが気に入らないようだった。
 歩道からでも扉の前が見える101ならまだしも、2階の扉の前の荷物はそこを通った人しか気づかない。つまり貼り紙をしている人間は、普通に考えればこの戸口の誰かということになる。
 まっ先に浮かぶのは、ヤマガタさんの夫とシマクラさんだった。純粋にその二人との接点が、この戸口で一番薄いからだった。特にシマクラさんはクリーンデイの際、ルールに対する厳しい姿勢を見せつけられている。だからこれまでの二回の貼り紙も、彼ならやりかねないようにも思えてしまう。
 けれどだからと言って、ほかの人の可能性がないとは言い切れない。シュウさんとかヤマガタさんの奥さんは、とても親切な人だった。オカさんもウチムラさん親子もイチカワさんのご夫婦も、とても感じの良い人たちだった。
 けれどそれらはせいぜい、一ヶ月あまりここに住んでの印象だった。彼ら彼女らが、本当は私たちのことをどう思っているかなんてわからない。学校でも職場でも今まで住んだところでも、表面上は優しくても裏では悪口を言われたり、実は嫌がらせの犯人だったなんてこともある。
 私は疑心暗鬼になっていた。シュウさんやヤマガタさん、オカさんやイチカワさんと階段で会っても、私はまともに目があわせられなくなっていた。鼓動が高鳴り、すれ違うと自然と歩みが早まっていた。

 私は集合ポストの前に決してキックボードを置かないよう、ノゾミに注意した。燃えないゴミも前日に捨てるのをやめた。置き配もやめた。扉の前には濡れた傘を一時的に架けるのもやめた。私たちを標的にしている人間に、攻撃の糸口を与えないためだった。
 それで貼り紙は貼られなくなった。けれどそれは、今度はもはや何の建前も無い純粋な嫌がらせへと変化した。
 ある日の深夜、玄関の扉に衝突音がした。私もノゾミも、一度で跳ね起きるくらいの大きさだった。私は震えながらドアスコープを見た。外には誰もいなかった。寝室に戻ると不安気な様子でノゾミが私のことを見た。
「誰か来たの?」
 私は首を横に振り、「誰もいない。何だろうね?」と努めて明るくそう言った。
 私もノゾミも、不安で朝まで寝付けなかった。衝突音は、結局その一度きりだった。
 その衝突音が鳴るのは、だいたい三日にいっぺんくらいのペースで必ず深夜と決まっていた。大人が、本気で蹴っ飛ばしているくらいの大きさだった。一度のこともあれば、二度連発のこともあった。私はその正体を突き止めようとして、ある時衝突音がした瞬間、玄関まで駆けてドアスコープを覗いてみた。けれどやはり誰もいなかった。かすかに何かの気配を感じたが、上か下か、それがどこに遠のいたのかはわからなかった。
 待ち伏せも考えたのだが、衝突音は決まった曜日の決まった時間になるわけではない。午前1時から3時の間でばらつきがあり、その間、寝ずにずっと待機するのは難しかった。
   私たちはその恐ろしい衝突音に怯えて毎晩ほとんど眠れなくなり、ノゾミは体調を崩して学校を休みがちになった。私も仕事中に何度も居眠りをした。
   そしてさらにある日から、玄関のポストに二つ折りの紙が入れられるようになった。紙には、一言次のような文字が印刷されていた。
「出ていけ」
 相手は、ついに明確な要求を出してきた。けれどだからと言って、私にはどうしたらいいのかわからない。出ていけと言われたところで他に行くあてもない。お金もない。
 私には、私たちがどうしてここまでの仕打ちをうけるのかがわからなかった。これまで住んだアパートは、いつも私たちの立てる騒音が原因となり追い出されてきた。壁や床が薄いという事情もあって、小さな子供と暮らしている私には、自分たちが図らずとも周りに迷惑をかけてしまっているという自覚があった。けれど今回はそれがない。ゴミ捨ての曜日違いやキックボードや置き配が、退去を求められるほどのこととは思えない。
 私は公社に相談しようかとも考えた。けれどすぐに考え直して諦めた。以前住んでいたところでも、扉前から怒鳴られたり「出ていけ」の紙を郵便受けに入れられた時、管理会社に相談したことがある。けれど管理会社にはそういう住民間のトラブルには対応できないと言われ、警察に相談するよう促された。それで警察に相談したところ、電話口の刑事に「証拠はありますか?」と言われたので「出ていけ」の手紙ならあると伝えたのだが、「それだと証拠としては弱いので、スマホとかで怒鳴られたり紙を入れられるところを撮影できますか?」と言われ、断念した経緯がある。そんな現場をスマホで撮影できるわけがない。そんなことをしたら、何をされるかわからない。それにもし証拠を手に入れ警察が動いたところで、それにどれくらいの効果があるかはわからない。私は刑法についてはよくわからないのだが、迷惑行為くらいじゃきっと刑務所には入らない。口頭での注意だけだとか、軽い罰だとかえって相手が逆上し、事態がより悪くなる可能性もある。
 だから私にできるのは、相手をこれ以上刺激しないようできるだけおとなしく生活し、その気持ちがおさまるのをひたすら待つことしかなかったのだが、攻撃の頻度は収束に向かうどころかむしろ日増しに増加した。
 夜中の衝突音も、「出ていけ」の紙が投函されるのも、もはや毎日になっていた。攻撃の相手は、どうやら私たちを追い払うという目的を達成するまで、その手を緩める気はないようだった。
 私たちの精神は、毎日、着実に蝕まれていった。

団地の子②に続く
https://note.com/cute_marten912/n/n4e95be3cab12

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