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ソルフェージュ能力・音感は大人になっても育てられるのか?①

こんにちは。コウジです。前回の記事では、音楽を学習するということにつて、言語学習と共通する部分を中心に述べました。
もし興味がありましたら是非ご覧ください。

内容をかいつまむと、
・音楽には様々な学習活動がある。
・言語にも様々な学習活動がある。
・アルファベットを学ばずには英語詩を学べないように、音楽を学ぶには基礎的な力が必要。
・例えば、長調・短調の響きを聴き分けられずに、その音楽の雰囲気を味わっていると言えるのか?
・英語学習の「聞く」「話す」「読む」「書く」のように、音楽学習の内容も分けられる。これらのバランスが重要。

といった感じでしょうか。

今日は、音楽の基礎的な学習活動の一つである「ソルフェージュ」に焦点を当て、大人になってからでもソルフェージュ能力・音感は育つのか、について考えてみようと思います。
結論から述べると、大人になってから音感を育てるのは非常に難しいのではないか、と最近考えています。しかし、広い意味での「ソルフェ―ジュ能力」に希望を見いだせていければと思います。


ソルフェージュとは

ソルフェージュとは、音楽の基礎的学習の一分野です。詳しいことは以下の記事をお読みください。

簡単に言うならば、「楽譜の読み書きを中心とした、音感のトレーニング」といったところでしょうか。「音感」という言葉も意味が多様ですが、ここでは一先ず、「音を頭の中でイメージし、実際の音と結びつける力」としましょう。

狭い意味での「ソルフェージュ」は、楽譜を見て、ドレミ…の音名をつけて歌うことのようです。「ソルフェ」は音の高さを表す「ソ」と「ファ」から来ています。この歌う活動は「視唱」と呼ばれる活動で、もう一つ主要な活動として「聴音」と呼ばれるものがあります。これは旋律を聴きとり、楽譜に書き起こす能力です。この2つの活動が、現在も音楽大学の入試等で伝統的に行われています。

しかし最近では、「フォルマシオン・ミュジカル」というフランス発祥の考え方にみられるように、楽曲分析や音楽理論との結びつきも重視される、広い概念になっています。

ソルフェージュ能力とはつまり、狭い意味では旋律をドレミをつけて正確に歌える能力であり、より広い意味では、「西洋音楽の枠組みで音を正確に知覚する能力」と言えるでしょう。私はこの広い意味でのソルフェージュ能力の中に、いわゆる「音感」があると考えています。

音感を育てるのに適した時期

さて、音感と言うと「絶対音感」という言葉を耳にしたことのある方は多いでしょう。これは、ある音を聴いた際に、他の音と比較せずに音名を認識できる能力のことです。

絶対音感は、おおむね小学校入学前までなら身に付けることが可能、とされています。絶対音感を育てるためのメソッドとして「江口メソード」と呼ばれるものがありますが、以下の公式サイトの中にも、はっきりと「絶対音感を身につけられるのは、6歳半までです。」とあります。

しかし、ご存じの通り音感とは絶対音感のことだけではありません。これに対比される概念は「相対音感」です。これは、基準となる音の高さを与えられたうえで、音の高さを認識できる能力のことです。これは、大人になってからでも訓練で身に付けることが出来るとされています。

ソルフェージュの研究においては、成田剛という音楽教育家がこの事に触れています。

成田剛著『最新ソルフェージュ指導法』の中では、主にピアノを習う生徒を対象にしたソルフェージュレッスンの実践法が述べられています。この中で成田は、絶対音感と相対音感のどちらを育てるべきか?という問いについて、まずは絶対音感で、向いていない場合は相対音感で、と述べています。
ピアノは鍵盤によって明確に音高が指定されるため、絶対音感の方が都合が良いということなのでしょうか?

成田はソルフェージュ能力を育てるのに適しているのは小学校3学年くらいまで、と述べています。先ほどの絶対音感の年齢制限より若干伸びていますが、やはり早期教育が重要であることは間違いなさそうです。

ソルフェージュ能力の多様性

先ほど挙げた「絶対音感」「相対音感」は、音高を当てられるか?という視点からみた能力でした。しかし、「西洋音楽の枠組みで音を正確に知覚する能力」としてのソルフェージュ能力は、他にも様々な能力を含みます。

たとえば、
・曲の中に一定の拍(ビート)を感じる力
・拍のまとまりを感じ、拍子やフレーズを理解する力
・音程の広さ、或いは音高の異同を判別する力
・和音や音階のもつ響きを判別する力
・アーティキュレーションや強弱、音色などによるニュアンスを感じる力
など、挙げだすときりがありません。

いかにもセンスや才能・感受性といったニュアンスを帯びますが、これらは感受性というより知性であると考えます。なぜなら、主観的である「感受性」とは違い、上記のことは客観的な事実であり、学習によって判別力を高めることが出来るからです。
有り体に言い換えるならば、音楽をすることで耳が育つ、ということです。

閑話休題:自分が受けてきた音楽教育について思う所

ところで、私はこれまで、中高生・大学生の音楽教育に関わってきています。特に大学生の様子を見ていると思うのですが、「音楽」に対し前向きな姿勢な学生であっても、上記のソルフェージュ能力が小学校段階から育っていないことが非常に多いと感じています。

吹奏楽部やピアノ教室でずっと楽器をやっていた、という学生や、そもそも高学歴で認知能力が高い学生であれば、多少ソルフェージュ能力を身に付けている割合は増します。
しかし、大抵の学生は、長三和音と短三和音の聴き分けはできません。例えばピアノでそれぞれの和音を聴かせたとして、音の高さや強弱を変えるといとも簡単に惑わされます。
この記事を読んでいるあなたはいかがでしょうか。少なくとも音楽をずっと好きでやってきた私にとっては、上記の事実は驚愕に値します。

振り返って思えば、和音の響きであったり、拍子の概念についてであったり、音楽の基礎的な部分について学校で教わったのは、小学校低学年のときだけでした。

中学校や高校の音楽の授業では、確かに色んな曲を聴いたり、合唱コンクールや卒業式等の行事に合わせて歌う機会も多かったです。しかし音楽の根幹的な部分については、「もうみんな分かっているよね?」というスタンスで進められていたように思います。

あなたの周りの友人は、合唱コンクールや吹奏楽部の練習で本当に楽譜を読んでいましたか?雑に映像を見せられる授業で、感想に何を書けばいいのか困っていませんでしたか?

私自身はずっと音楽に触れてきたので、例えば教科書に載っている楽譜の意味も理解しながら授業を受けていましたが、大抵の人は、小学校低学年での内容で躓く或いは忘れる等したまま、取り残されてしまっていたように思います。
(ただ5教科と違って、大抵の場合入試に関わらない教科でもあるため、そもそも「学習」をするインセンティブが働かないのも事実です)
それでいて、「みんなで感動する音楽を!」といったキラキラした側面ばかり強調するのは、根を腐らせて花を飾ろうとするような違和感を感じます。

もしかすると、私の周りがそういった状態であっただけで、素晴らしい音楽の先生が基礎的なことから発展的なことまで、バッチリ教えている例もあるのかも知れません。また、どういった社会階層の生徒が集まる場なのか、といった環境要因も大きいように思います。

しかし、特に小・中学校は義務教育である以上、身に付けさせる音楽能力の水準を明確にし、そのメソッドが共有されなければなりません。

続きはまた次回

さて、この記事も長くなってきたため、続きは次回に回したいと思います。

次回の記事では、ソルフェージュ能力を実際に中高生に身に付けさせようとした際の困難、その要因についての考察から始めたいと思います。

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