【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第11話-春、班決め〜瑞穂

 結局予想外の出来事に、修学旅行の打ち合わせどころではなくなってしまった。瑞穂にとってこの二日間は濃密過ぎる時間だったのだ。
 自転車で轢いてしまった貴志と同じクラスで、同じ班になった。昨日出会って友だちになった理美は、その貴志の弟と付き合っているという。しかも貴志はそれを知らなかった様子。
 そりゃあ色々聞きたくなるってもんでしょ!と、瑞穂のテンションは終始上がりっぱなしだった。
 質問攻めにしたものの、同じ委員会で出会ったという内容に嘘はないが、理美が貴志に振られた話は伏せられていた。
 理美と悟志は普通に仲良く交際している。手もまだ繋いでいない。別にそれが貴志への未練だとかそんな真実を答える必要などないのである。
 「二人の初々しい関係」といった上っ面だけで十分に場は盛り上がるのだから。あえて深い真相に触れないといけないほど、このメンバーの人間関係は成熟していない。
 組んで一日すら経っていない班。まだそれだけの関係だった。いまはまだ…

 気がつくと18時を迎えていて解散となった。
 恋バナの時間の溶かし方って、こうも恐ろしいものなの?瑞穂はウキウキしながら帰り支度をしている。自分の周りに幸せそうな人がいる。それだけでなんだか嬉しくなるものだった。
 すでに日が落ちる準備を始めた空は、赤紫に染まっている。家につく頃には完全に暮れてしまうだろう。
「裕、福原の事、送っていけるか?」
 貴志が裕に声をかけるが、「反対方向だなあ」と気のない返事をする。
 貴志は頭を抱えた。わざとだな…裕はどうやら貴志と瑞穂を二人にするつもりらしい。
 当の瑞穂はそんな事に気づきようもなく、
「まだ早いからダイジョーブだよ」
 手をぶんぶんと振り回して断った。貴志がため息をつく。全身から嫌そうなオーラが滲み出てくるのが見えるようだった。
「仕方ない、俺が送る」
 ため息交じりにそう言った。
「逆方向どころじゃないじゃん!わざわざ家出てんじゃん!それこそホントダイジョーブダヨ」
 なぜか片言で瑞穂が断りを入れる。いやいや気まずいことこの上ないでしょ。謎のダンスをクネクネと踊りながら、一人で帰るジェスチャーをする。
「ダメだ!」
 予想外の強い口調。貴志の顔を見ると、唇を噛み締めていた。前髪の奥の目は…ひどく険しく歪んでいる。
「女子が夜に一人で歩いちゃ絶対ダメだ!」
 その一言を振り絞った声は震えていた。それはまるで何かに怯えているようだった。
 貴志の圧に耐えられず、瑞穂は首を縦に振る。しかし気まずい。最悪の出会いから一日が経つものの、いまだにまともな会話には至っていない。
 なんだろう?自転車で轢いた事、ねちねち責めるつもりかな?など疑心暗鬼もいいところだが、貴志の教室での態度ではそう感じなくもない。やだなぁ…
「ほら行くぞ」
 準備を終えた貴志が瑞穂に合流してきた。もう日は半分落ちて、空は薄紫に色を変えていた。

 無言。足音と車の音以外何も聞こえない。まるで一人で歩いてるんじゃないか?と思うほどに、無言。並んで歩いてはいるが、会話など全く無いまま二人は帰路の半分を消化していた。
 初対面で「馬鹿は死ね」と言ってきた貴志。しかし料理上手で兄弟仲は良いという意外な一面を知った。今日から話し始めて、不思議と話の合う、陽気で良い奴な山村裕が親友だという意外さ。
 たぶん今見えている北村くんが本当の北村貴志ではないのだろう。そう漠然と感じる。
 人に嫌われて、班割りでは厄介者扱いされて…矢嶋は北村貴志と同じ班になったことを「罰ゲームだ!」と言っていた。
 そんな扱いを受けたい?演じてまで?なんで?
 わからない。でも本当に嫌な奴なら、今だって自分の家から出てまで送ってくれようとはしないだろう。
 日が暮れかけていて、街灯の少ないこの地域は暗い。正直な所慣れない土地ということもあり夜道は怖い。ただ、それ以上に今はこの空気が怖い。

 とにかく何か喋ろう!
 沈黙に耐えられず口を開こうとした瑞穂の言葉は、最初の一文字を発音する前にかき消された。
「福原、ひとつ聞いてもいいか?」
 沈黙の重い空気を切り裂いたのは意外にも貴志だったのだ。何を聞かれるのか怖かったけど、何も話さないよりはましに思えて、瑞穂は黙って頷いた。
「なんで俺たちと同じ班になろうと思ったんだ?」
 貴志は車道側を歩いている。ご丁寧に後ろ髪を前に流す向きは、わざわざ右側に変えられていた。そのせいで瑞穂から貴志の顔は見えない。どんな表情をしているのかも、わからない。
 さっきの険しい顔は何だったんだろう…そう感じるほどに貴志の口調は穏やかだった。
 いつも貴志の班は、壮絶なくじ引きやじゃんけんバトルによって、敗者が押し付けられるように決まっていた。福原・高島ペアが声をかけ、押し付け合いは矢嶋ひとりの罰ゲームとなったのだ。
「高島さんが俺と同じ班を提案するはずがないから、福原から声をかけたんだろう?」
 理美が貴志に告白した事も、結果その恋が散ったことも瑞穂はまだ知らない。嫌われ者の貴志にわざわざ近づくのは転校生の自分くらいなんだろう。瑞穂は勝手にそう解釈した。
 理由を聞かれてもわからない。答えようもない。ただなんとなく興味が湧いたのだ。あの自転車事故が気になってはいた。でもそれが理由になるか?いや、そんな事はない。
 薄紫だった空が次第に濃紫色に染まっていく。再び沈黙が訪れた。

「高島ちゃんと弟くん、驚いたね」
 今度こそ沈黙は瑞穂が破った。あの時の驚いた表情。一瞬貴志の素の感情が垣間見えた気がした。どうしてだか気になった一言をつぶやいてみる。
「実は自分も好きだったとか?お兄ちゃん?」
 からかうような口調でもなぜか胸が痛む気がした。その理由は瑞穂にもわからない。
「俺は…」
 ここで軽薄に「あいつ俺に振られたから弟にのりかえたんだぜ」と答えていれば、口の軽さや言動に瑞穂も呆れて、貴志を嫌っていたかも知れない。
 いつもの貴志ならそうしていた。なぜか…できなかった。後で貴志はそれを後悔することになる。

 貴志からの返答はないままだった。再び足音だけが響く。そしてろくに会話もないまま瑞穂の家の近くまでたどり着くのだった。
「福原はもっと気をつけたほうがいい」
 貴志が唐突につぶやいた。貴志の方を見てもやはり表情は見えない
「女子の独り歩きは、お前が思ってるよりも危ない。
 何か起きたらって言葉は、何かがあったからこそ言われるんだ」
 表情は見えないけど、声が震えている。
「それに俺が裕と組んでお前を騙してて、帰りに何か変な事をしようとしてたらどうするつもりだったんだ?」
 自分から送ると言い出して、そんな事を言われても。瑞穂は理不尽さを感じながらも、その言葉は飲み込んだ。
「俺がクラスで嫌われてるのはもうわかってるだろう?
 どうして俺を避けようとしないんだ?
 それなりに嫌な思いはさせただろう?」
 貴志の声に困惑の色が混じる。嫌な思いをさせている自覚がある…と言うことは、空気を読めなくて嫌われてるわけでなくて、やっぱり自分で嫌われるように仕組んでる?
「なんで?」
 瑞穂の答えは貴志の質問には答えず、ただ疑問に疑問をぶつけただけの返事をした。
 飲んだ紅茶が思いのほか熱かったときのように、喉から胸にかけてもやもやが広がっていく。何かが胸に引っかかる。違和感?それとも…

 沈黙が流れる。いや、流れるほど長い時間の沈黙とはならなかった。一瞬の会話の淀みを瑞穂がかき回す。
「気になってること、聞いていい?」
 瑞穂の声に貴志が頷いた。そのまま言葉を続ける。
「北村くんを轢いた時、私は避けようとしたんだよね…でもぶつかった!
 まさかとは思うけど、あれって…わざと?」
 私が怪我をしないようにわざとぶつかって、クッションになってくれた?
 言いたい事が伝わった瞬間に、貴志が驚きで息を飲んだのが見えた。驚きに目が見開かれているのが、すでに日が暮れて暗いのに、長い前髪の奥に隠されているはずの目なのに…なぜかわかってしまった。
 しばらくの沈黙の後で貴志が答える。今度は沈黙が流れるほどの時間を、要していた。
「そんなわけ、ないだろ」
 貴志の声はそっけない。しかし確かに震えていた。
 ほぼ同時に家の前に着いてしまい、それ以上の会話の口実を失った瑞穂は、貴志に手を振って見送った。

 胸の鼓動がなぜか早くなっていた。しかしなぜか悲しい気分だった。貴志の戸惑いの意味を瑞穂が知るまでは、まだまだ時間が必要だったが、この時の瑞穂にはそれを知るすべもない。
 どうしてだろう?瑞穂にとって、貴志はすでに嫌な感じを受けない相手になっていた。なぜか貴志の事をもっと知りたい…と、思っていた。
 
 それは瑞穂にすら自覚はないままに、静かに、本当に静かに恋が始まろうといている瞬間だった。

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