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吾輩は幽霊である3 しゅんしゅんぽん旬杯リレー小説星降るエキスプレスの続き



 余は陶然と車窓から星の雲海を眺め黙想に沈んでいた。

 冥土まで星海渡る夜汽車かな

 オフィリアの流るる果ては天の川

 星の欠墓標にせよと百合の人

 はたと宇宙には季語がないことに気づいた。
子規ならきっと適当な語句を拵えるだろう。
物思いに耽っていると車掌が現れ切符をお出し下さいと言う。そんなものは持ってないというと、ポッケを見てごらんなさいというのでポッケを見ると何やら明滅する紙切れがあった。
それを車掌に渡すと結構ですと受け取った。
よくよくその車掌の顔を見るとなんともいえず懐かしいという感に打たれた。
名札を見れば「宮澤」と書いてある。
「お国はどこです?」と聞くと
「私はみちのくのイーハトーブという所から来ました」と言った。
 この銀河鉄道の客は我ら人間黄人、白人、黒人はもとより魚の頭をした化け物だの目の真っ黒な小人だの真っ赤な顔に真っ赤な髪の子供だの、どこの馬の骨だかわからぬ者や魑魅魍魎の類いが入れ替わり立ち替わり乗り降りするものだから、余は同じ日本人がいるというだけで百年の知己を得たかの如く嬉しくなった。
「へえ東北の産だね。僕は江戸っ子さ。」
「左様で御座いますか。わたくしはただ皆様を正しい場所へ御運びするのが仕事で御座います。」
 暫くこの宮澤さんと話をすると鷹揚で迫らない木訥な人柄が感じられとてといい心持ちになった。
古い友人に岩手から来た達人という者があり、よく一緒に連れ立って方々歩いて回ったのだか、彼の言葉使いはその達人を思い起こさせとても懐かしい気持ちになった。
「これから一体どこへ行くんでしょう?」
「次は白鳥駅です。そこで子規さんと会えるかもしれませんよ。」

 そしてとうとう余は子規と再会することとなるのである。
子規は白鳥駅裏手にある広い原っぱで、灰色で目の黒い髪のない小人たちと野球をして遊んでいたのだ。
白鳥駅はここらではかなり大きな駅で一時間も停まっているというので余は宮澤さんに断って子規を探しに降りたのだ。

「よう、待ちくたびれたぞ、漱石居士。」
そう言って駅の待合室でちょこっと手を上げた子規はすっかり禿げ頭のむさい親父と成り果てていた。
最も余が子規と別れたのは英国に留学する前だから無理もない。
「随分意気軒昂じゃないか。業病はあの世まで持ち越さなかったと見える。」
「死んでまで病に悩まされたら堪らんよ。しかし、貴兄の高名は泉下まで鳴り響いているぞ。」
「そりゃ結構なことだ。一体なんで知ってるんだい。」
「そりゃ知ってるさ。つい先だっても元泥棒という男とこの駅で会ってね。日本一の作家は後にも先にも夏目漱石あるのみってね。」
「へえ泥棒にあの世で誉められるとは思わなかった。」
「こうも言ってたぜ。泥棒するなら夏目さんのお宅に限ります。私は山の芋一箱盗んだだけですが、今時分じゃきっと御金がたくさん御有になるでしょうってね。…
 名を惜しむ程の名もなし桃の花 。」
これはどうも子規に担がれたようだ。
大将生前と変わらず口が達者である。
「ところで君はあの気味の悪い小人と野球をしていたようだね。」
「あれかい、あれはあれでも大人だよ。なんでもオリオン辺りの星に住んでたそうだが、他の異星人と折り合いが悪くなって白鳥座まで引っ越してきたそうだ。やつら科学は地球の何層倍も進んでるようだかね、丸っきり文化ってものを知らないようだ。遊ぶということが分からんらしい。」
「それで野球を教えてたのか。」
「うん、いずれ宇宙全土に広がればいいね。地球じゃアメリカが野球の母国だけどね。憚りながらこの正岡、宇宙じゃ野球の神様でさあ。」
そう言って呵呵大笑するのである。呑気なものだ。
大将汽車の停まる先々の駅で長逗留し、付近の住民相手に野球を教えて回っていたそうだ。
いずれ地球人が宇宙に進出して異星人と交流した時、その野球が盛んなることに驚愕するであろう。
「ついでに俳句も教えようとしたけどこれは難しいね。野球は念を送って身振り手振りで教えたけれど。」
それもそのはずである。
子規は学生時分から英語が全く駄目であった。 
まして人ならざる異星人の言葉なぞ覚えられるはずがない。

 それから暫く乞われるままに余の近況を語って聞かせた。
虚子の御陰で作家になれたこと。
十年物書きをしたがついぞ胃病が祟ってこの世を辞するはめに陥ったこと。
書きかけの小説が気掛かりであることなど。
そしてついぞ謝る機会がなかった、英国のことを詳しく書いてくれという子規の手紙を反古にしたことを謝った。
余は英国留学中ついぞ精神衰弱に陥ってそれどころではなかったのだ。
子規はそれについて何も気に病んでる様子ではなかった。
ただああそうかい、そんなことだろうと思ったよと言ったきりであった。
彼はただあの苦しい業病から解放され、幽霊という新境地を得たことがとても嬉しいようだ。

 余は生前、則天去私を人間の到達しうる最高の極致であると固く信じ暗に死後の安寧を予期していたのである。
それがまさか死後もかように意識が持ち越されるなどとは思ってもみなかった。
やはり死後のことは死んでみなくては分からないものである。
子規なんぞ死んで益々旺盛なる好奇の眼を輝かせている。
そのうち宇宙俳句同盟やら宇宙野球機構なるものを拵えたししてもなんら不思議はない。
子規と暫く話をする内に、どういう風の吹き回しかせっかく幽霊になったんだから、銀河の果てまで見物しなくっちゃあ損だということになり、腐れ縁だから君も付き合い給えといわれ余も不承不承付き合うはめに陥ってしまった。

 余と子規を乗せた汽車は小一時間ほどで次の鷲駅に着いた。
子規に外を見物しないかと誘われるが用もないので凝っと座っていることにする。
車窓から外を覗けば銀河の渦の中心に真っ黒い穴が見える。
あれは一体なんなんですがと宮澤さんに聞いてみると、
「あれはブラックホールといいます。一度あの穴に入った者は二度と戻って来れなくなりますので近付かぬ方がよろしいですよ。」
「成程。桑原桑原。」
しかし酔狂なる子規のことだ。
それを知って無闇に近付かないとも限らぬ。
そのため黙っておくことにした。
子規は鷲ステーションの広場でまた別の小人たちと星屑を投げて野球をしているようだ。


 さて次の駅へ出発する汽車の時刻になったので余は子規を探して広場に出た。
さっきまで、野球をしていた目の黒い灰色の小人に訪ねるとあっちに行きましたと黒い穴を指す。
やっこさんどこかで話を聞いてあの穴に飛び込んで行ったようだ。
余は心配になって汽車に戻ると宮澤さんに事の次第を説明した。
「一体子規はどうなってしまうんでしょう。死にはしませんかね。」
もう死んでいるのにこんなことを聞くのも可笑しいが。
「いえ、私も学者じゃないのでよく分かりませんが。しかしイーハトーブの天文学者グスコーブドリ博士からこんな話を聞いたことがあります。大きな星が死んでしまうと自分の重力で潰れて黒い穴になると。一度その穴に吸い込まれた者は二度と戻って来れない。しかし入り口もあれば出口もあるだろう。その出口の先にはきっと別の宇宙が広がっているに違いないと。つまり子規さんは別の宇宙に飛んで行った可能性があります。」
 余はふうとため息をついた。
いくら好奇心の塊で銀河の隅々まで見物するとい言ったって別の宇宙まで行くことはなかろう。
とんだ酔狂である。
しかも余と違って大将無一文である。
別の宇宙だって金が入らぬとも限るまい。
思えば生前から奇妙な因縁であった。
 余は晩年英国の物理学者オリバー・ロッジの「死後の生存」という本を読んでおったが、こうして自ら幽霊となり実地で体験するとは思わなんだ。
人生何事も経験である。
子規は別の宇宙で待っているような気がする。
古い友達としてそれに答えてやらねばなるまい。
余は鞄から余の顔の書かれた御札を掴めるだけ掴むと宮澤さんに渡した。
御世話になった御礼として。
「いえいえ御代は結構ですよ。」
「そうですか。私はあの穴へ行ってみます。やっこさん一人で行かせるわけにもいきませんので。」
「そうですか。くれぐれもお気をつけて。銀河鉄道はこれより十三次元の門へ向かいます。あなたに本当の幸いが訪れますように。それでは御機嫌好う。」
そう言って帽子を取ると深々と御辞儀をした。

それから余はおもむろに光り輝く星野の中を黒い大穴に向かって歩きはじめた。
穴の中で目を回さぬよう海砂糖を舐めながら。

  不如帰銀河の穴で鳴きにけり


「…お客様、終電で御座います。」

 遠くで誰かの声がしたので朧気に目を開ける。
どうもここは電車の中らしい。
なんだかとても長い夢を見ていた気がする。
いつも夢がそうであるように、目覚めるとたちまち雲散霧消してゆく…
必死に辿ってみるけどどうしても思い出せない。
はて、どんな夢だったかな。
何でも随分遠くに行った気がするが…
ふと、ポケットに何か入っているのに気づき手を入れて取り出してみる。
それは虹色に発光する星の欠…
思わず「あっ」と叫んだ。


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