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夢日記についての考察

2024年1月27日

夢日記をつけると狂うと言われる理由の考察

夢日記とは、夢で起きたことを日記にするものである。
と仮定する

この時、夢というものは自身における記憶の映像を繋ぎ合わせたものである
と仮定する

通常なら、夢は忘れ去られるものである。
だが、夢の映像を文字として記録することはそれを脳へ記録することである

これにより夢を認識するという状態になる

そこで「夢でこんなことがあった」という言葉が生まれ
ひとつの世界を形成していく

夢の国の物語と言えるだろう

初めに、何気ない夢があった。
覚えていることが恐怖だとして
とても怖かったという風に書く

ああ、次はどうなってしまうのだろう
もう見たくないな。

恐怖や不安は静かに根づいている

やがてそれも忘れていく。
ふとした瞬間に思い出すことがあり
繰り返される悪夢が訪れる

そこで、自分はどうする?
解っているから、今度こそ逃げられる!
次はこう動くんだ!

ああ、きっと逃げられない。今回も食われて死ぬんだ

といった考えを持つかもしれない

認識するから、覚えている。
これに留まらず、霞の向こうにある記憶も
何回も見れば、認識されていく

記憶は混ざり合い、やがて新しい命をはぐくんでゆく
その命が私にとっての希望であるか、絶望となるか

どちらにせよ、生きている間、逃れることはできないだろう


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