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前世③ドイツの靴職人~高校時代からの親友Hちゃんのケース

この見える現象、前世説が有力になってきた?

先日、親友Kちゃん、Hちゃんと横浜中華街行ってまいりましたよ。
中華街といえば小籠包と麻婆豆腐、占いだよね★
ということで手相占いと算命学をやってもらった。

算命学の先生は、銀座のママだったとのこと…
70代?だけど若々しくて妖艶で、
すごーくミステリアスな雰囲気が漂ってた。
前の人はヨーロッパの東欧の方かな…

今回は高校時代からの親友Hちゃんについて書きます。
Kちゃんはまだボンヤリしてる部分あるから次回。

Hちゃんとは高校2年でクラスが一緒になり、
昼の食堂戦争、西海岸修学旅行での替え歌選手権を経て(?)以降、16年くらいの付き合いになります。

富山で生まれ育ち、部活のため高校から埼玉で寮生活を始めた自立心の強い女子だ。
第一印象は、クールで淡々としてるといった感じ。
全国大会常連のコーラス部の副部長として60名近い部員をまとめていた彼女…

印象的だったのは3年生の秋、推薦入試の頃…
私は部活を早々に引退していたけどHちゃんはコーラス部の全国大会を控え、本人は推薦入試も控えていて…
気持ちが切れたのか、放課後に泣いてたのを見た。

「この人、泣くんだ」と率直に感じた。
涙とか無縁のタイプに見えたんです。
私は何か声かけたのか、特になにもしてないけど
なぜかそこから距離がグッと縮まり、
大学時代も幾度と会って(渋谷でオールしたりねw)
今も定期的に遊んでる。(ポーカーしたりねw)

そんなHちゃんの前の人は……
時は1960年頃。(時代劇風)
ベルリンの壁ができたのが1961年か…激動の時代のドイツ。。
ランツフートというミュンヘンから車で1時間くらいの場所でシューメーカーを営んでいました。

Hちゃんの造る靴はもう物すごーく歩きやすく、
街中のビジネスマンに広まり、1960年代後半には国内外にも口コミが広まっていく。
当時は男性の革靴をメインに造るシューメーカーが多かったようだけど、Hちゃんは女性物も造ってたんだね。

70年代に入り、イタリアのアパレルメーカーの重役の目に留まり、スカウトを受けます!
物凄く厚待遇だったみたいですよ。
しかし、頑なに(?)ドイツを愛するHちゃんの前の人。
生涯ランツフートを離れることはありませんでした。

寡黙でどことなく哀愁漂う男性。
この方、音楽が嫌いですっ!なんで?
妹さんがいたのかな…?戦争で亡くした?守れなかった。
妹さんは声楽か楽器かの才能があったみたいです。
思い出すから、嫌なんかな?

女性物の靴を造ってたのにも関係ありそう。

おまけで今のHちゃんの旦那さん(Jさん)も見てみました。
中国出身でスラッとした穏やかな男子です。

びっくりしたんですが、、
Jさんの前の人も同じくドイツの男性。
ミュンヘンで生まれ育ち、数学者になりたかったみたいですが、結局は薬を扱う仕事に就きました。
弟は自動車関連の仕事をしてたみたいです。
ある年のクリスマス、弟の娘さん(姪っ子)に靴をプレゼントしたJさん。。
この靴こそ、Hちゃんの造った靴だったのかな?

超偶然かもしれないが、
Jさんはドイツ系の自動車関連企業に勤めているという…
なんか関連ありすぎない?(自信出てきたぞw)

それにしても、Jさんが姪っ子さんに靴を贈った行、
時折亡くした妹を思い出しながら黙々と靴を製作するHちゃんの姿にちょっと泣きそうになった。

孤独に耐えながら、皆に愛される靴を造っていたのね。

今世ではJさんと幸せに!!
孤独を感じたらいつでも私の胸に飛び込んでこい✨
しかし、二人の間に女の子産まれたらすごいな……。
私が靴贈ろうかな。


みんなの前の人の人生にドキドキしながら、
見えるようになって本当に幸せだと感じる。

自分の前の人生も知りたいなぁ…
それだけは全然わからないの…


つづく
(ビーコンティニュー)

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