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ヒッコミ・ジ・アン


1 ヒッコミ


 こういうのは理屈じゃない。なぜだかヒッコミは目立つ男の子だった。活発で、騒がしいという意味ではなく、むしろおとなしいほうだった。髪の毛がくせっけでふわふわで、顔はまんまるでホッペタがぽたぽたしていてよく女の子に見間違えられた。ヒッコミはうちゅう組で、わたしはもり組で、教室は違っていたけれど、遊びの時間のとき、みんなが決まって外の庭できゃーきゃー駆け回る中、ヒッコミだけが教室にあるピアノを弾いていたりして、印象深かった。ギターもこの歳で弾けるらしい。
 
 このあいだ幼稚園の行事でお芋ほりをしたのだけど、そのときのことだろうか、「おいも」という歌を即興でつくってピアノを上手く弾きながら歌っていた。おいも、ぼくのなかのおいも、それはげんせき…とかなんとか。でも遠慮がちに、ちいさくなって歌っていた。先生には内緒でピアノをつかっている、わけでもないらしく、ヒッコミくんピアノとっても上手ねえー先生より上手よおー、と、通りすがりのうちゅう組担任の大谷先生にほめられていた。なんで小さい声で歌うのだろう。音程もとれていて、透きとおった可愛い声質で、けっしてへたではないのに。

「ラズノグラーシエ」という言葉に、最近わたしは本を読んでいて出会った。外で駆け回るより本を読んでいるほうが好きだ。そのほうが落ち着く。けっこうむずかしい本も読んだりする。  
 この言葉の意味をだれかにわかってほしいけれど、わたしは幼稚園に仲のいい友達はいないし、理解してわたしみたいに感動(とまではいかなくてもいいが)してくれる子どもはいなさそうだ。(わたしも子どもだけど)先生は子どもをさげすむ大人の対応しかしてくれなさそうだし、あてにならないし、つまらない。…ふと思いついた。あのヒッコミなら、どうだろうか。
 
 わたしは遊びの時間に隣の教室をのぞいてみた。音がする。またヒッコミは誰もいない教室で自由気ままにピアノを弾いていた。わたしはヒッコミと一度も話をしたことがない。教室にふみこむ勇気があと一歩足りないところで、ヒッコミはドアの隙間にしがみつくわたしに気がついてぴたとピアノをやめてしまった。わたしはヒッコミと目が合った瞬間、
「ラズノグラーシエって知ってる?」
と口に出していた。ヒッコミはぽかん、と口を開けたけれどすぐに、  
「なにそれ食べもの?」
と返してくれた。  
「ちがう、食べものじゃない」  
「じゃあラグノズラーシエってなに?」  
「ラグノズラーシエじゃなくて、ラズノグラーシエ」  
「ラズ?なんかむずかしそー」  
「いつもここで歌ってるよね?」
わたしがそう言うとヒッコミは、え!きこえてたの!と耳たぶを赤くした。小さくうたってたのになぁー、ぽりぽり、とホッペタをかいた。  
「それ、いつも思ってたんだけど、なんできみ、小さくしか歌わないの?」  
「えっ、だってへただもの。はずかしいし。でも歌うのがすきだからつい歌っちゃうんだけど」
なんだそれはー。謙虚なようちえんじって存在したのか。(わたしもようちえんじだけど)  
「ほんとに心の底から下手っておもってるの」  
「うんそうだよ。ぼく音楽教室に通ってるんだけど、ぼくよりうまいこ、たくさんいるんだよ」
わたしは上手いと思ってたのに。けっこうショックだった。
「…そっか。ヒッコミは、歌、下手くそなんだ。そうだよね、よーく思い出してみるとそんな気がしてきた」  
「…うん。」  
「…いま、うんって言ったけど、そのとき胸がうっ、って、ならなかった?」  「へ?」  
「そのうっ、てかんじが、ラズノグラーシエ」
ヒッコミはきょとんとしたけれど、胸に手を当てて、ドクドク鳴っている心臓の音をたしかめているようだった。  
「いま思い出してるけど、たしかに、うっ!てなった、かも」
目をまるまるとさせて、ヒッコミはわたしをみつめた。
「ちょっともういっかい言ってみて」  
「ヒッコミの歌は、ヘボくてへたくそ」  
「…うっ!ってなった…。なんでだろう。自分でわかってみとめてるのに」  
「あきらめきれてないってことだよ。どんなにコンプレックスでも、どうにかしたいって心の底では思ってる証拠。でも、だから毎日ピアノ弾いてるんでしょ?」  「練習はしてるんだけど…」
「ならもっと大きな声でうたわなきゃ意味なくない?」
「そうかも」  
「それで、もう自分のことへたくそって言わないでよね。ヒッコミはべつにそこまで下手じゃない」
「…うん。わかった。ありがとう。えーと……。そういえば名前なんだっけ?ごめんね」  
「わたしの名前は、ジ」  
「ジ?」

ヒッコミの歌の、ひそかなファンだよ、とは口にださないでおいた。    



2 ジ


 アンはジ、のこと、すきだよ。ジはもりぐみの女の子で、アンはうちゅうぐみで、となりの教室で、はなればなれなんだけど、運動の時間はもりぐみもいっしょだし、おやつの時間もどちらかの教室でいっしょにたべたりする。ジはとてもクール。みんなより大人っぽいおねえさんって感じで無口なほう。このまえおひるねの時に、おねしょをしちゃったこがいたんだけど、みんながダセーと言って笑っていたのに、ジだけは笑っていなかった。どうでもいいってふうにもみえたんだけど、笑ってるよりはまし。かっこいい。もりぐみの先生のくじらせんせいも、いちもくおいているよう。でも、「ジちゃんって子どもらしくない」と職員室で言っていたのをたまたまドアの前を通ったときにきいてしまって、かなしくなった。    
 だから今日のおやつの時間、うちゅうぐみがもりぐみに行っていっしょにオレンジジュースとドーナツをたべているとき、ジのとなりに座って、耳元でこっそり「アンはジのことすきだよ」とふんぱつして言ってあげた。  
「なに、急に、きもちわるい」 すぐにまゆをよせ、しかめつらをした。ジはズバズバとものを言う。このまえも、「一人でいる方が楽だから、あんまりこっちにこないで」と、もりぐみのほとんどのこに言っていた。  
「あれ、ジのコップにはいってるの、オレンジジュースじゃない」 カップの中は黒ぐろとしていて香ばしい匂いがたちのぼる。  
「これ?コーヒー。先生のを少し分けてもらった」 そっけなく言う。でもちゃんとジは会話をしてくれる。  
「コーヒー、のんでみたい」  
「かってにのめば」
あっさりのましてくれる。わーい。ずずずっ。…にがーい。こんなにおいしそうな匂いなのに。ジはコーヒーのめてすごいね、と言うと、つーんと、 
「べつにすごくない。ふつうに、飲むひとは飲む。」 コーヒーをジもすすった。ジはコーヒーが似合う。そして今日のおやつ、オールドファッションを食べ始めようと口に運ぼうとしたので、
「すとっぷ!すとーぉーっぷ!」
手でジの口とドーナツのあいだをさえぎった。ジはむっとして、  
「…まだなにか?」  
「あのね、アンね、オールドファッションのおいしい食べ方をあみだしたの!」  「なにそれ」
どうでもいい、というような顔をしたけれど、きいてくれるようなのでうれしいな、とおもいつつ、続けて話す。  
「いい?まず、チョコのかかっている部分と、かかってない部分の中間を、ひとくちめ食べます。」ぱくっ!さくっ!もぐもぐたべて、ほら、ジもやってみて!とうながすと、しぶしぶちゃんと中間からたべてくれた。  
「そして、チョコのかかっているはしっこと、かかってないはしっこを、かわりばんこに、たべましょう」 いったとおりはしっこを交互に、ジともくもくとドーナツをたべすすめた。(首を少しだけ左右にふってたべるので、はたからみていたほかのこたちに、なにそれー、と笑われた)    
「…それで?」 ぱくっと最後のひとかけらを食べ終わり、ジは問いただしたので、 「チョコがほどよいバランスで、最後までたべられます」 えっへん、と答えた。 「あっそう」  
ごちそーさまでしたー!おやつの時間がおわって、お皿とコップを片付け、うちゅうぐみにもどる。ジって、オールドファッションみたい。と帰りぎわに言うと、  「ほんと、アンってへんてこ」と言って、ジはひとりトイレへ行ってしまった。    
チョコのかかってるところも、かかってないところも、どっちもすきだよ。



3 アン


 とにかくアンは泣き虫だった。ようちえんの遠足で、はじめてどうぶつ園に行ったときも、こぐまをみて泣いた。「ゾウとかライオンとかゴリラならまだわかるけど、なんであんなに可愛い小熊で泣いちゃうのかしらねぇ」 オオカミ先生はそう言ったけど、アンはぼくにだけひっそりおしえてくれた。  
「こんなせまいどうぶつ園にとじこめられてて、かわいそうで、かなしかったの」

 



 アンは最初、お肉を食べるときも泣きながら食べていた。おべんとうの時間、からあげをフォークでつつきながら、アンは先生にきいたのだ。  
「とうもろこしせんせい、これはなにでできてるの?」  
「それはね、にわとりさんだよ」
一瞬かたまったアンはその2秒後、泣きだした。
「ごめんね、にわとりさん」
ぶた肉の日も、牛肉の日も、「ごめんね、にわとりさん」とあやまっていた。
(ぼくはアンに真実を伝えることができなかった。アンのかなしそうな顔はできるだけみたくなかった)
 ぼくはアンの肩をつついて、ありがとう、って言ってたべればいいんだよ。とおしえると、アンは「ありがとう」ともごもご言いながらたべた。きほんてきに、アンはたべることがスキなのだった。

 (ぼくとアンはいつ友だちにになったのだろう。まったく思いだせないんだけど、気づけばいっしょにいたんだ)

 あるとき、ようちえんの行事ではじめておいもほりに行った。慣れないピカピカのながぐつをはいて、ママもいっしょにようちえんから道路のはじっこをみんなでぞろぞろ歩いた。りっぱなさつまいもとじゃがいも畑だった。ぼくはアンとアンのママともいっしょにおいもをほった。アンはピンクのながぐつをどろどろにして、ついでに顔もどろどろにしてたくさん笑っていた。  
 そのときの思い出を絵にしましょう。とオオカミ先生(本当はオオタニだけど、アンはオオカミとかんちがいしている)は言って、みんなはおのおの絵を描きはじめた。みんなが同じように地面を一直線に描いて、空と太陽と、おいもがうまっている土と、つるをひっぱる人間を描いている中、とつぜんアンは泣きだした。 「アンちゃん、おいもは土の中にかかなくちゃ」 とオオカミ先生に言われ、アンは泣きだしたのだった。アンの絵をみてみると、おいもは土の上にごろごろ浮かんでいた。「すぐに泣くのはやめなさい」とまた怒られ、さらにアンは泣きとおした。  結局、クレヨンで描かれたおいもは、茶色の水彩絵の具で上から塗られ、はじいていた。

 「ねぇヒッコミ、アンね、おいもを土からだしたところを描きたかったの…」  ようちえんから帰ってきて、ぼくの家のそばにある、やま公園で、ふたりでブランコをこいでいたときアンは言った。アンの目のまわりは赤く腫れて、空はもう夕暮れだったから、よけいにアンの顔はほてってみえた。ほぼ毎日のように涙を流すアンをみていて、ぼくは心配になる。  
「ヒッコミ、アンね、もう自分がいやんなっちゃうの」 そう言って土をズリズリくつでけずりながら、ちいさくブランコをこいだ。ぼくもおもいきりこぐのをやめて、ゆっくりこぐ。  
「すぐに泣いちゃうのはよくないことってわかってるんだけど、どうしてもなみだはでてきちゃうの。それで、ああ、これで何回めだろうっておもった瞬間、いままで泣いてきたいやなことが、また体の底からよみがえってきて、どんどんかなしくなってとまらなくなるの」  
「それで、自分のことがいやになるの?」  
「うん、きらいになる」  
「…そっか」  
「あたらしい自分になりたい」  
「新しいって、どんな?」  
「泣かないでちゃんとする」
 あーでもなれるかなあ、ズリズリズリ。土はたくさんけずられて、そこだけへこんでいた。  
「ぼくはね、ひとは、それぞれ物語をもってると思うんだ」  
「ものがたり?」  
「うん。それは、ぜったいに、自分だけのもので、赤ちゃんのときから眺める景色は同じようでちがう。こうやって同じ景色をみていたとしても感じることはぜったい、ちがう」 地平にしずみかける太陽にぼくはウィンクした。アンもまねをしようとしたけど、両目をとじただけだった。
「土の中にうまってるおいもと、似てるんだ」  
「なにが?」  
「ぼく、とアン、と、みんな」
「かたちとかがバラバラなところが?」  
「うん。それをね、みがくんだよ。新しく、しなくていいんだ」 
「ピカピカでも、おいもはおいものままだよ?」  
「それでいいよ。だって、おいしいもん」  
「うん、おいも、おいしかったー」 アンは目をつぶって、味を思い出しているような顔をした。  
「アンがでてきた瞬間が、新しい命がでてきたことなんだよ」  
「しってるよ」  
「なら、よかった」  

アンは、家に持ち帰ったさつまいもがほくほく、こっくりしてて、おいしすぎたから、ママとスイートポテトをつくって、5個いっきにたべたと、うふふっと笑って話してくれた。


©️2016 Mari Seki



©️2023 Mari Seki

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