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006.横浜第二合同庁舎(旧生糸検査所)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物006/本町通り周辺≫
*旧生糸検査所。リニューアルされ、今は合同庁舎として使われています。
馬車道と本町通りの交差点にあり、裏に4棟あった帝蚕倉庫は事務棟(007)だけを残してなくなりました。
 
 馬車道通りが本町通りを突っ切って新港地区に進むと、万国橋通りになりますが、そのすぐ左にあるのが旧生糸検査所、現・第二合同庁舎です。
開港と同時に本町通り、弁天通りに設けた日本商店で生糸が売れ出すと、全国から横浜に生糸が集まってくるようになります。しかし、そのうちにブームに乗った粗悪品や、品質・量目をごまかしたものなどが市場に出てくるようになり、悪質業者も現れて金銭も絡んでトラブルが発生するようになってくるのは自然の成り行きです。
 全国の農家で副業のように作られる生糸は標準化など考えられていませんから、産地によって荷姿もまちまちで、品質や量目も均一さを欠いていました。外側を良質の生糸でくるみ、内側には粗悪品を包み込むなどの悪質な事例も発生し、外国商人から抗議が寄せられるなどの事態も発生するようになります。
そのため、厳しく交渉する外国商社が独自に検査を行うようになり、交渉になれていない日本の業者は外国商人の言いなりに不利な金額で支払わざるを得ないなどのケースもでてくるようになります。
 健全な取引で生糸を販売するためには、品質・量目をしっかりチェックし、正規な商品であることを何らかの形で保証することが求められるようになってきて、日本政府も命綱の生糸取引を守るために重い腰を上げます。こうして政府は明治29(1896)年、フランスから生糸の検査法を学び検査機械を買い入れて、品質・量目などをチェックするために生糸検査所を設立することになります。
 それまで、各商人が独自に取引相手に品質保証をしていたのですが、粗悪品を追放するために公的機関が保証する、という仕組みが作られたわけです。輸出に際して生糸の検査が義務付けられるようになったのは昭和2年からですが、現実の取引では品質・量目の正否は業者自身の利害に直接跳ね返ってきますので、先をいっています。
生糸検査所は後に通称キーケンと呼ばれるようになり、利用者も順次増えていきます。こうして粗悪品が市場に出されなくなり、生糸の品質向上が図られ、これによって外国商社との取引で頻発していたトラブルもなくなり、輸出が一気に増大していくことになります。

1階の中央に四隅の煉瓦柱が印象的な正面玄関、車寄せがあり、重厚感を出しています。
装飾はカイコ、繭を連想させるデザインになっています。

 ■鉄筋コンクリートに赤いレンガ外装
 しかし、この建物も大正12(1923)年の関東大震災で焼失したため、生糸輸出の拠点として新しい生糸検査所が、場所を現在の、みなとみらい線の馬車道の上、万国橋通りに移し、大正15(1926)年、検査品を保管する倉庫、帝蚕倉庫とともに建てられました。
 生糸輸出の全盛時代であり、倉庫面積を入れるとその規模は壮大、隣接する旧正金銀行とともに県下最大の建造物でした。1990年に横浜市指定歴史的建造物に指定されています。
 設計は、帝国大学工科大学校造家学科で建築学を学び、横浜正金銀行技師として妻木頼黄の業務を支援した遠藤於莵(おと)。で、遠藤は、当時で始めた鉄筋コンクリート工法の先駆者として知られ、後で紹介する旧三井物産横浜ビル(025)、旧三井物産横浜支店倉庫などのビルを経験したのち、このビルを設計しています。柱など、出っ張った部分にレンガを張り、凹部はコンクリートがそのままというユニークな外装が特徴です。
 後で紹介する日本大通りにある三井物産(025)はタイル張りなのですがが、このビルもその意味で、コンクリートの上に張る材料が、タイルに代わって赤レンガだったということかもしれません。構造ではなく、外装の意匠の違いということになります。

正面の上部に飾りがあります。羽化したカイコをモチーフに
したもので、生糸検査所の面影を残しています。

 ■赤レンガをタイルとして使う
 同時に建造された帝蚕倉庫の4棟と、生糸検査所倉庫事務所などはいずれも鉄筋コンクリート構造の外装に赤レンガがタイルとして使われ、これらが並んだ光景は、この北仲地区一体のランドマークとなっていました。帝蚕倉庫は事務所棟1棟を残して解体され、ここに民間の高層ビル「ザ・タワー横浜北仲」、KITANAKA Brickが建造されました。このビルは46階がフリーの展望室になっていますので、一度上がって横浜港のビューを楽しまれるといいでしょう。KITANAKA Brick Northに渡り廊下で唯一残された旧帝蚕倉庫の事務所棟が連結されています。4棟あった帝蚕倉庫が事務所棟(007)を残して姿を消してしまったのは残念です。

ザ・タワー横浜北仲46階の展望台からの横浜市内の俯瞰光景がみられます。
東西南北が見られるようになっていますが、写真は東の方向(横浜港)の光景。
ベイブリッジ、大さん橋が見えます。

 もともとの生糸検査所は、敷地は約5万㎡、庁舎は鉄筋コンクリート造り地下1階地上4階。屋上には噴水庭園がありました。帝蚕倉庫ともども、煉瓦の重厚感がずっしりと量感を持って迫ってくる県下最大規模の建設物で、キーケンの名で知られていました。
 平成2(1990)年に再開発が行われ、一旦取り壊されたのち、平成5(1993)年6月に国の横浜第二合同庁舎が完成、低層部に併設される形で前面に連結されてよみがえりました。旧生糸検査所としては、第二合同庁舎と名称は変わりましたが、ほぼ昔の面影を残したそのままの姿で生かされたのはうれしい。
●所在地:神奈川県横浜市中区北仲通5-57

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