(8)日清戦争――日・シナ関係の歴史的大逆転
私たちから見る日中関係は、日本(倭)が歴史始まって以来、長い間、先進国として中国から学び手本として多くのことを吸収してきた。シナから見れば中国大陸(黄河中下流域の中原地域)を制した朝廷が自らのことを「中華」と呼び、長い間、自分たちは世の中心にあるとしてきた。
周辺には北には夷狄(いてき:東には東夷(とうい)、北に北狄(ほくてき)、西に西夷(せいい)、・西戎(せいじゅう)、南に南蛮(なんばん))という野蛮な敵がいて、服従させて貢がせる相手であった。志賀島から出土した金印「漢委奴国王」はシナの皇帝が倭国の王を任命した印である。
しかし、19世紀になると、明治維新をへて西洋文明をいち早く取り入れて近代化した日本に追い越されるという世界史的な大逆転現象が起こった。
常に上の立場にいて、遅れた国と蔑んでいた日本が先を走っていると知ったシナは「まさか」と驚いた。そのきっかけになったのが1894(明治27)年の日清戦争だった。近代化して最強と考えていた自慢の北洋艦隊が日本の戦艦に敗れたのだ。
■シナが「日本文化圏」に入る?
ところが残念なことに、このことは日本、中国両国民にそのままには理解されていない。理解どころか、知られてさえいない。中国の現政権にとって、統治するためにはあまり知られたくない事実なのだろう。それに合わせて日本側からも、表明することを避けているのはどう考えたらよいのか、嫌がることを言うことはない、ということだろう。
私は特にそれを大声で主張する気はないが、お互いに正しい関係を築くためにも、もう少し何とかならんか、という思いがする。あまり強く主張すると、箸を持つ側の翼だけが強そうに思われかねないので、「正確な歴史」認識の違いということにしてこのあたりでやめておこう。
《シナ(チャイナ)文化の特異性》(岡田英弘著作集Ⅳより)
(1)中国:民族の成立とシナの歴史
(2)第4のシナ:日本化の時代-中華民国以降—日本の影響
(3)中国民主化の始まり――孫文・辛亥革命
(4)中国人は人を信用しない。
(5)中国には外交政策・世界政策がない
(6)漢人にとって「公」とは、私腹を肥やす手段
(7)現代中国語に革命をもたらした日本語
(8)日清戦争――日・シナ関係の歴史的大逆転
(9)シナ/中国における支配者のカリスマ性と正義
●おまけ「中国にもない漢字・漢文の大系が日本で出版されているわけ」
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