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017.日本人の働き方は――非能率的!?

タネ明かしをすれば、これも時代はさかのぼり、明治維新から明治時代中頃にかけてのことです。

1859年に港を開き、開国した幕府開明派は、産業だけでなく、司法・立法・行政の各方面で急速な近代化を進める方針を打ちだしています。一方、攘夷を標榜して倒幕に成功した維新政府も、政権を取った後は開国に方針を180度転換し、1859年の開港/明治維新を経て、国づくりの指導を仰ぐために大量のお雇い外国人を採用しました。

雇われてきた外国人たちは、日本にやってきて、各職場で指導をはじめるのですが、指導する日本人労働者の仕事ぶりにあきれ、発したことばが前記のことばなのです。「勤勉」とはほど遠い姿です。

日本人の「勤勉」というイメージは、戦後の高度成長期以後、日本人ビジネスマンの勤務時間の長さ、欠勤率の低さ、休暇取得率の低さ、残業の多さ、組織を優先させて自己を犠牲にして集団や企業に奉仕する姿などからさかんに言われました。

このイメージの定着には、滅私奉公というかつての封建時代に言われた主従関係や、主君への忠に命さえ捨てて殉じる「武士道」が、会社と社員の関係に重ねあわせてみられたことも影響しているかもしれません。

しかし、お雇い外国人のことばに見るように、幕末から明治にかけての時代には、日本人は決して勤勉だったわけではなかったようです。

明治6(1873)年に来日し、海軍兵学寮の英学教師を歴任後、東京帝国大学文科大学教師となったバジル・ホール・チェンバレンは著書(④『日本事物誌』東洋文庫 平凡社)で、日本にしばらく住んだ外国人たちの意見を総合すればといって、
  ・貸し方の側(長所)として清潔さ、親切さ、洗練された芸術的趣味を、
  ・借り方の側(短所)として、国家的虚栄心、非能率的習性、抽象概念を理解する能力の欠如(同④)、

などをあげています。

ご紹介した、「彼らは、日常の糧を得るのに直接必要な仕事をあまり文句も言わずに果たしている。しかし彼の努力はそこで止まる・・・」、言われた以上にしようとしないという意見は、1872年法律顧問としてフランスから来日し、以後76年までの4年間、民法草案の策定や司法省法学校で法学教育に力をそそいだジョルジュ・ブスケが記した日本の作業者、職人の仕事ぶりです(⑤『日本見聞記』 みすず書房)。

海外から来日したお雇い外国人たちは日本の各地で専門家として指導に当たり、たくさんの記録を残しています。それらの中に、官庁や学校、民間企業などでの職人や作業者、官僚などの仕事ぶりを紹介したものがありますが、前掲のチェンバレンが④で書いたように、多くの人が日本人の「怠惰な仕事ぶり」を嘆いているのです。

イギリスの初代駐日公使だったラザフォード・オールコックも、日本人の働き方を見て、「忙しそうであるが、適度に働く」と書いています(⑥「大君の都-幕末日本滞在記」下、岩波文庫)。

同様に「給料日は各人ごとに別の日にしなければならない。・・・有り金を全部使い果たすまで戻ってこないからだ」の文章も、1860年にドイツからオイレンブルク遠征隊に参加して来日した画家のアルベルト・ベルクが書いた文章です(⑦『オイレンブルク日本遠征記』)。

 こうした、働かない日本人労働者については、ほかにも多くの外国人が書いています。これだけ多くの人が書いているということは、よほど怠惰さが目立ったのでしょう。

 

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