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057.関心は名産品より“つくり方?”

北太平洋に南北に延びる日本列島は、地域ごとに気温差があり、3か月ごとに季節が変わるため、各地方で特徴のある産品が生み出されています。各地域で異なるそうしたさまざまな産品への関心の持ち方も、わたしたちに特有なものがあります。
現代でも、書店には旅や食べ歩き、名店紹介などの書籍やムックがところ狭しと並んでいますし、百貨店の催事として行われる各地方の「○○物産展」とともに、雑誌の特集も、定番の人気プログラムになっています。こうした、名産品を紹介する書籍の出版や物産展の人気は、最近の特徴かと思いますが、いまに始まったことではないようです。
宝暦4(1754)年に出版された、平瀬徹斉著、長谷川光信挿画の①『日本山海名物図会』(平瀬徹斉著、長谷川光信挿画、図6-1)は、各地の名産品を挿絵で紹介するカタログ本です。第1巻「鉱山」から始まって、第2巻「農産物・加工品」、第3巻・第4巻「物産品」、第5巻「海産物」と紹介されています。
 
図6-1 『日本山海名物図会』(平瀬徹斉著、長谷川光信挿画、国立国会図書館蔵)

 

(国立国会図書館蔵)


江戸幕府が定まって150年、新田開発も進み、このころには各藩が奨励した地場産業の育成も成果をあらわしはじめて、名産物などの販売を活性化するための物産会所が、各地に設けられるようになりました。伊勢詣りと並んでこうした物産会もまた、庶民に産業や産品への強い関心を呼び起こしたようです。
そして、こうしたものを紹介するために書籍が作られるようになります。いまでいえばカタログ誌ですが、諸国名産品の紹介など、庶民の好奇心をくすぐり、大いに流行ったそうです。『日本山海名物図会』もその一つです。
また、寛政11(1799)年には②『日本山海名産図会』(平瀬補世著、蔀関月挿画)なる本も出されています。わかりましたか?
『日本山海名物図会』の「名物」が「名産」になっただけの完璧なパクリです。挿絵も装丁よく似ています。こんな風に、柳の下の二匹目のドジョウを狙ってパクリ本が出版されるほど人気が出たということが言えるのですが、なぜこうした書籍があの時代に、こんなに売れたのか、実は、これが非常に不思議なのです。
江戸時代の中頃です。パクリ本が出されるほどに、出版文化が栄えていたということに驚きますが、その前に、内容に驚きます。書名から見ると、各地の名産品を紹介するカタログ誌のように見えますが、中身はそんななまやさしいものではないのです。
たとえば、『日本山海名物図会』の第一巻は、ご紹介したように鉱工業の産品ですが、挿絵入りで紹介されているのは、金山堀口、銅山諸色渡方、銅山鍛治、金山諸道具、金山鋪口、金山鋪口の中、鉑石くだく、銀山淘汰、山神祭、釜屋、銅山床家、鉛、真鞴(吹)、大工所作、金山淘汰、南蛮鞴(吹)、鉄山、鉄蹈鞴(てつふみたたら)、灰吹、銅山ふき金渡し方……などなどです。
字はわからなくても、また意味が明確に分からなくても結構です。目で見て、おおよそどんなことが書かれているのか、ざっと雰囲気を感じていただければ結構です。フリガナをいれた鞴の文字が「たたら」です。たたらとは、ふいごのことですね。砂鉄を溶かすために、強い火力が不可欠です。その火力を起こすために、ふいごを踏んで風を送りますが、この作業をたたらを踏むと言います。たたら製鉄とは、たたらを使って火を興して鉄を溶かすので、たたら製鉄と呼ばれました。
この鉄蹈鞴のページでは、たたら製鉄の現場でたたらを踏んでいる光景(図6-2)が紹介されています。片側に3人ずつ計6人でたたらを踏んでいます。すべてがこの調子です。
 
図6-2 たたら製鉄を紹介する「鉄蹈鞴」『日本山海名物図会』


(国立国会図書館蔵)

 
名物図会といいながら、「名物」の紹介ではなく、それを採集している現場と、作っている現場の「名物産品の現場紹介」の本なのです。現代風に言えば、メイキング本、「ものづくりの現場拝見」です。『日本山海名物図会』というタイトルの書籍の中身が、製鉄の現場でふいごを踏んでいる作業風景とは、いったい誰がどのような関心と目的で手に取るのでしょうか? 現代で言えば、オタクの世界そのものです。
しかも驚いたことに、『日本山海名物図会』は、1754年に発行された後、1797(寛政9)年、1829(文化12)年……と都合、3回も発行されたものが見つかっています。2刷、3刷、と重版しているのですね。
解説もありません。専門書というには網羅的すぎて浅く、ここから同業の専門家がものづくりのノウハウを得ようという実務書には無理があります。各藩の産品開発にと、武士が求めたのでしょうか? ということになれば庶民も手に取って見たのでしょう。
諸国名産に関心があるだけではなく、その作り方、現場の様子に関心を持っている庶民とは、いったいどんな人たちなのでしょうか? かなり物見高く、好奇心も旺盛だったことは間違いないようです。諸国名産品の形や料理法や味への関心ならばわかりますが、作り方への興味とは、どういうわけか? しかも製鉄現場です。好奇心の方向がおかしくありませんか、と聞きたいところです。
日本という国の国民、ものづくりへのこだわりぶり、尋常ではありません。
何とも不思議な民族ではありませんか。

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