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062 江戸版自動機を生んだ二丁テンプの考案

それに対して日本では、相変わらず、日の出と日没を境にして、1日を12にわけ、昼/夜のそれぞれを6等分したものを一刻(とき)とする不定時法が使われていました。詳細は、「060 不定時法に合わせて自動化――和時計の工夫」を参照ください。
不定時法に合わせた時計は、1刻(2時間)の長さも昼夜で異なり、それが季節の移り変わりとともに、毎日変化していきます。
この不定時法で使える時計を作ろうとすると、
・夏至⇒冬至に向けては、
・昼は時間を短くするために針の進み方を少しずつ早くし、
・夜は長くするために針の進み方をゆっくりさせていく
必要があります。
・冬至⇒夏至にかけては逆に、
・昼は針の進み方を少しずつ遅くし、
・夜には針の進み方を早くさせる
必要があります。
前章の延喜式の開門時間の項や、「060 不定時法に合わせて自動化――和時計の工夫」でもご紹介しましたが、昼の長さは、夏至から冬至にかけては、毎日1分31秒ずつ短くなり、夜の長さは逆に毎日1分31秒ずつ長くなります。日の出、日没時間がこの半分、1日に約45秒ずつ変わり、1週間で約5分、ひと月に20分ほど早く/遅くなります。
この変化に合わせて、どうやって針を進めるのか、それが課題です。
ここからさまざまな不定時式時計のための機構が生み出されるのですが、そのプロセスで、時間の進み具合の調整を人間が切り替えることで行う、独自のからくり機構を生み出してしまいます。
日に2回、昼夜の進みを主導で切り替える二丁テンプの工夫がそれです。
時計はテンプと呼ばれる機械で一定のリズムを刻み、針をすすめます(図6-6)。
不定時の和時計も初期はテンプが一つでした。そのため、時間の進む速さが違う昼と夜のために、毎日、日の出と日没に、テンプのおもりの位置を移し替え、時間の進み方を変える必要がありました。
この面倒さを避けるために施された工夫が、テンプを二つにしてそれぞれ昼と夜のリズムを刻ませ、それを日の出と日没に切り替わるようにすることでした。その機構が採用されて生まれたのが二丁テンプの和時計です。
 
図6-6 二丁テンプのしくみ(左)と和時計(右)

 


ここれを人がほぼ15日おきにセットしなおすことで、昼と夜の時間の進み方の変化を、自動的に切り替えて調整することは可能になりましたが、日一日と変化していく昼夜の長さ、季節の移り変わりは調整できません。そこで、年間を24節句に分けて、2週間に一度、手で調整することで、季節の変化に対応させたのです。和時計の図で、テンプに刻まれているギザギザのミゾがこのための目盛です。
前述のように、日の出の時間は、明石の夏至の日には4時46分、遅い冬至には7時02分と、年間で2時間以上、1月に20分、1週間で5分ほど変化します。この変化までは自動で処理できず、2週間に一度、手でおもりの位置を調整する必要がありました。
こうしたからくりを組み込む工夫と技能があったことも驚きですが、それ以上に、この難解な課題に対して、何とか工夫をしてそれを可能にしてしまおうとする職人の業のようなものに興味を持ちます。
これを、仕組みや設計の問題として解決するのではなく、現場の技能力でカバーすると言い換えると、そのまま、現在もあちこちの工場で日常的に起こっていることでもあります。これも日本人のDNAみたいなものかもしれません。

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