新学期不安になってしまう、優しいあなたへ。

新学期とは文字通り学校生活で新しい学期が始まる時期のことで、特に1年度の初めである春なんかは色々ガラッと生活も代わり学年も上がり、仲の良かった友達や慣れた先生とも離れることになる。これからどうなるのか、うまくやっていけるのか、まだまだ未知数で頼りなく思えてしまうこともあると思う。そこから深いところまでズブズブと思考は沈み、他人からするともはや杞憂としか言えない領域まで心配してしまう。

「気にしすぎー」「心配事の96パーセントは起きないらしいよ」
こう言ってくれる人もいるだろうけど。
本当にありがたいけれど。こっちとしては。
知ってるんだよ!
勝手に頭によぎるんだよ。
それを消すのはどうしたらいいの?と叫んでしまう。もちろん心の中でだが笑

これは優しい人が陥りやすい穴だと思う。

良くも悪くも他人のことを考えてしまうんだと思う。そして自分に原因を求めてしまう。

それでいいと思う。
それが原因で悩むけれど、それはあなたの優しさだから。
無理に直さなくてもいいし手放すこともない。

たしかに、目に見えないものを見ようとするよりも、見えているものを見ないようにする方が辛いことはよくわかる。

しかしそれを見る事が出来るのはあなたにとって強みだと思う。そういうメガネを持っていたとして、あなたはこれを外してもいいしつけててもいいんです。

最後に私なりに考えた対処法。
杞憂に陥るとき、良い悪いとジャッジを下すのではなく、いっそのこと他人事だと思って俯瞰して受け流す気持ちで見てはどうでしょうか。
工場の流れ作業のように一つ一つ点検をするのではなく、川の流れる水をぼーっと見つめるんです。私には関係ないんだ、どうしようもない、いつか過ぎる事だ、と。
その時のあなたにはまだ何も判らないんです。
無理に判別しなくていいですしそれ自体が間違っていると思うかもしれません。有意義なものではないです。むしろ毒になります。
きっとうまく行きますしね。
経験上そうでしょう?笑
大抵の事はどうにかなります。
さもないとあなたは今これを読めていないです。
そして、自分に重きを置きましょう。
他人がどうであれ、私は変わらないものであり、芯がある。
ある意味で人間は1人で生まれてきて死んでいく。
 
自分勝手でも誰もあなたを咎めない、まず興味を持たれていないのだ。

空を見てほしい。
私の妹は「私が死んでもこの空には月が昇って沈むんだろうな」と悲しげに呟いた。
確かにそうだ、私が死んでも地球の裏側では誰かが生まれている。

まてよ、めちゃくちゃ安心することでは無いか。
私がいいことをしたとしても悪いことをしても、空はここにある。確固たるものがある。
 

私は何をしたっていいのだ。
私が何をしようと地球は回り続ける。


これくらいのマインドで生きていきたい。

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