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政治家のふるまい

政治資金問題。自民党は39人に党員資格停止や離党勧告の処分を決定したが、反発の声も多い。正直外から見ていると井の中の蛙といった印象を受ける。過去、郵政民営化問題などでも除名や離党が相次いだものの、ほとぼりが冷めたとばかりにのちに復党のケースが多かった。今回のケースも処分議員側から不服の声も多いが、何かポーズのように見えてしまう。地元や地方議会ではさらに厳しい声も多く、単なる脱税と糾弾されたり、辞職を要求する声もある。全く収まらない。どこへいくのか?

さらに静岡県知事の問題発言。とりあえず全文引用。

県庁の職員になるには、かなり高度な知見をマスターしないといけない。かつその他の準備があると聞いております。皆さん、優秀ですから、なかなか思いを分かってくれない人がいるかもしれない。そういうときに情理を尽くすということが大切です。情と理、情理を尽くして自分が正しいと思う信念を貫くということが大切です。そして、そのためにはやっぱり勉強しなきゃいけません。実は静岡県というのは、県庁というのは別の言葉で言うとシンクタンク(政策研究機関)です。毎日毎日野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳、知性の高い人たちです。ですから、それを磨く必要がありますね

要するにわれわれは農家など第一次産業、 第二次産業の人間とは違う、体力仕事ではなく頭脳を使うエリートという事を言いたいようだ。

ここで我々と強調したのは川勝の性格を推察してのことである。この知事はこれまでも騒動となる発言を繰り返しているが、そのすべてに共通するのは、相対的な考えを基にしていることだ。つまりマウント。

一つ例を見ると

こちら、食材の数でも439ある静岡県の食材のうち3分の2以上がここにある。あちら(御殿場)はコシヒカリしかない。
浜松、遠州、その中心、ここ、経済はここが引っ張ってきた。あちらは観光しかない。

応援演説の候補者の出身地である浜松と対立候補の出身の御殿場を比べ、浜松を持ち上げる手段として、あえて米しかない・観光しかないと蔑んでいる。浜松は政令指定都市であり、御殿場の批判をしなくとも人口や行政規模の点では優位なのは明らかだ。単に浜松の規模の大きさをアピールすることでも演説は成り立ちそうなのだが、候補者以上に自分が優位に立ちたいという本心も透けて見える。浜松の発展は自分の実績という意味合いも含んでいるか。

この知事はあくまで自分本位なのだ。リニア問題、応援演説、訓示にしても、自分が何者よりも偉いという考えが根底にあるように思える。

川勝は前職は早稲田の教授で専門が比較経済史という。それだけ万事を比較することが習慣になり、それ以外に物が言えなくなっているようだ。

周囲との関係を客観的に見る人や自己肯定感が高い程、このようなことに陥りがちというが、知事や教授としての業績に対する自負も、度々問題となる言葉を吐く根拠なのだろう。

県職員は高度な人材というが、今はともかくかつては待遇がいいとはいえず、希望者も少なかったという。大学時代のある教授は「大学院に行きたかったが、当時の大学院は研究者の養成が目的で難しい。浪人に留年とこれ以上親に負担もかけられず就職となったが、民間も上手くいかず公務員となった。正直当時の公務員というのは人気もなく、特別に試験の対策もせず合格し入庁した」と振り返っていた。これは拾ってもらったというニュアンスがある。それは50年程前のこと。現在はどうかはさておき、短絡的に知性云々と決めつけられるのか?


それに加えて国会議員の非常識行動。長谷川岳議員が機内で客室乗務員に高圧的な物言いをしていたことから始まり、札幌市や北海道の職員に対し、パワハラや業務の強要という話に発展している。

長谷川岳といえば北海道の一大イベントであるよさこいソーランを立ち上げたことで知られ、いわばその時流に乗って国会議員となったが、このよさこい自体、地域の祭りながらも賛否が大きいことで知られる。これもいわば長谷川の人間性を反映しているのではないか。かつてよさこいも強引な運営方法がやり玉に挙がったが、否定的な意見は主に騒音はじめ参加者のマナーや参加費用の高額さであり、長谷川が無関係となった現在も未だに解消されない点もある。ちなみによさこいソーランも全盛期と比較し動員数は減少している。

さらにパワハラ云々以上に長谷川が要求する業務への対応が、過労死基準を超えるほどということが問題となっている。さまざまなことが取り上げられているが、説明の都度職員を呼びつけることもあり、出張費が500万を超えるともいう。一連の問題も川勝同様、強引な要求をして自分が優位であることを明確にするための行動なのだろう。その立場に酔っている面もある。長谷川も根っこは同じだ。

川勝も長谷川も前代未聞かのような報道をされているがそうは思わない。あるところで某国会議員を見たことがあるが、やはり傍若無人な要求や言動を多々していた。

思うに国会議員や知事というだけで丁重な応対をしがちである。それがそもそもの誤りではないか。どこでも来賓であるかのような振る舞いをし、それに相手側は応える。こういった高慢さにつながるのだろう。泥だらけになって働く政治家がいてもいい。寧ろその方が清々しく見える。

政治家の傲慢さばかりが相次いで目立つ。政治不信ならぬ政治無関心といきそうだが、それを渡りに船とばかりに政治家がさらにつけ上がらないでほしいところだ。



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