ジャーニー

大相撲好きです。他に落語、昭和、政治史、おもちゃ、ゲーム、ミニカー、長寿者研究など。長…

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大相撲好きです。他に落語、昭和、政治史、おもちゃ、ゲーム、ミニカー、長寿者研究など。長い歴史に埋もれた隠れた事実を掘り起こしたい。ご意見ご感想・取り上げてほしいテーマなどお待ちしています。基本フォローいただければフォローします。

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五街道雲助の人間国宝に考える

落語界に慶事。五街道雲助が重要無形文化財保持者に認定された。落語家では4人目。演芸では講談の貞水、松鯉と合わせ6人目である。 小三治の次の国宝は誰かという予想は巷されてきたが柳家権太楼、柳家さん喬、五街道雲助、春風亭一朝、入船亭扇遊といったところの名が挙がっていた。いずれも1980年代半ばの真打で同世代。芸術選奨文部科学大臣賞や紫綬褒章を受賞していることが共通。ある意味人間国宝になる前段階といえる。しかし一般的知名度の面では今一つというのがあり誰も認定されないという意見も多

    • 衆院選からみる

      衆院選が終わった。情勢通り自民は大きく議席を減らし、自民単独過半数割れの191。公明も苦しく、石井代表が落選、副代表も落選と24まで下落。自公でも過半数割れという状況に堕ちた。立憲が148で躍進というよりも回復。野党第1党が100議席以上獲得するのは2003年の選挙以来という。 このところ民主→立憲は存在感を出せず苦境続きだった。しかし安倍晋三の急死がもたらした、統一協会、裏金の問題はいわばそれに風穴を開けるものとなった。とはいえ野田代表はさほどの喜びはない。やはり政策面で

      • はなしの土俵~明治の相撲

        雑誌相撲32年1月号から。小島貞二氏が相撲人にインタビューする、はなしの土俵は元関脇浪の音。明治15年生まれで明治31年初土俵という古老。 共同通信社の紹介から 初代高砂浦五郎の晩年の弟子。165cm、80㎏ほどの小兵ながら、38年十両、39年に入幕、40年に関脇とここまでは早かった。回向院の小屋掛け興行時代に三役としてあったごく古い力士。押し相撲を主とし、当時の大関荒岩にちなんで小型荒岩という異名もあった。 力士会のストライキである新橋倶楽部事件では中心として待遇改善

        • 番付発表で考える…

          九州場所も番付。 新大関大の里だが、巡業を一時離脱と不安あり。ここまで勢いだけで来てるといってもいい。その勢いが止まる材料が何になるかというのが考えてしまうが… 負け越しすらないというのは前代未聞。 大関2人は影も薄く期待はしにくい。照ノ富士も糖尿病と膝のケガで離脱。本場所は難しいだろう。 三役に誰が収まるか。不振の十両力士の中で誰が残るかというのが目玉だったが、小結には若元春と正代。王鵬は上位で奮闘したが筆頭に止められた。 十両から幕下には欧勝海が残った。 朝乃山は幕

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          大関の凄み

          元大関の旭國が亡くなった。77歳。近年は糖尿病で足を悪くするなど闘病していたという。 北海道愛別町出身。地元の相撲で活躍し入門したものの、173センチの身長に届かず、4場所も新弟子検査を不合格と出だしより苦難があった。以降はスピード出世で駆け上がるも膵臓を悪化させ、再び苦難が降りかかった。徹底した食餌療法によりこれを克服し上位に定着した。 相撲ぶりも上背のハンデから独特の姿勢を編み出し、ピラニアと称され、どの力士にも徹底して研究し弱点を見抜き、相撲技の研究に余念ないことか

          大関の凄み

          明治の行司・16代木村庄之助

          16代木村庄之助は20世紀、国技館開館を庄之助として迎えた行司。 明治後期に立行司木村庄之助として長くトップに在り、梅常陸時代の名行司と称された。また初めて式守→木村と名乗った行司でもある。その点、明治という世相が近代化する中での名行司といえる。 共同通信社発行の大相撲力士名鑑に紹介がある。ウィキペディアもほぼこの引用だが、簡単ながら経歴を紹介しているので転載。 嘉永2年11月12日生まれで本名は柘新助。文久3年に初土俵を踏んだ。 豊橋市教育委員会発行の「郷土豊橋を築いた

          明治の行司・16代木村庄之助

          引きこもり番組に考える

          山口県で40年程ひきこもっていたという男性。テレメンタリーという各地方局制作のドキュメンタリーの番組で視聴したが、youtubeではyab山口ニュースなどで数回にわたって放送されていた。 引きこもりとされる男性は国近斉さん。58歳の頃より密着し、現在62歳。 こういった引きこもりの実態は知られていない。 当人が当然出ない、出たがらない、周囲も引きこもりとしたがらない、存在も隠したいというのがある。特に長期にわたって引きこもりといわれる人の実態はいまだ明らかではない。それだ

          引きこもり番組に考える

          出羽海の後継をめぐって②

          読売大相撲36年2月号「ある跡目相続」より。昭和35年に亡くなった元常ノ花の出羽海。定年の近い64歳での一期とはいえ、その後継は紛糾した。とはいえ協会の金庫番というべき元出羽の花の武蔵川か、千代の山の九重という2人に絞られた。 武蔵川は現役時代は一介の幕内力士にすぎなかったが、戦後の混乱期に経理面で頭角を現し、理事から取締と昇進した。国会での参考人招致の際、代表して出席し、堂々と答弁するなど協会随一の切れ者とされる。九重は若いものの横綱として出羽海の看板であった。安芸の海が

          出羽海の後継をめぐって②

          昔のベテラン力士

          最近はベテランの幕下以下がゴロゴロいる。30代以上ではベテランといいにくい。若者頭世話人を今年4人採用したが、あまりベテラン感のない力士もいる。琴裕将は現役生活8年。まだ若手の部類といっていい。現役でざっと思いつくところで芳東、大雷童、北はり磨、富士東、鳰の湖、竜勢。このあたりは関取経験が多いが、序ノ口に滞留する力士も増加。 雑誌相撲、昭和28年1月号の27年秋場所の幕下以下星取表。これをみると昭和20年以前初土俵で十両未経験の力士は21人。 最古参が大幡山で16年。伊勢

          昔のベテラン力士

          NHKBSどこへいく

          NHKBS。従来のBS1、BSプレミアムという2K放送の2チャンネル体制がNHKBSと1チャンネルに統合し、実質プレミアムは4K移行してもう10か月。 しかし番組編成が貧弱となったことは否定できず、特に2KであるBSはスポーツ中継に圧倒され通常番組も激減。 BSも観るものがないと思ったところにこんな記事。 読売新聞だがbsの再放送の多さを取り上げた。 初回放送を見逃す視聴者のために、NHKはもともと再放送枠が多かった。それは1970年代でも同様である。放送枠を埋めやす

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          大関昇進と相撲界

          大の里が大関昇進。「謹んで申し上げます」など少しミスがあったものの唯一無二と口上。ここに史上最速大関、ちょんまげ大関の誕生。初土俵の翌年に大関、負け越し経験なし、すべての場所で三賞受賞のまま大関。何もかも異例である。一体どこまで勢いが続くのか。尊富士の優勝と合わせ常識を覆す記録続きの相撲界だ。誰が止める。 十両も発表。昇進は6人。元大碇の甲山の息子・若碇、ウクライナの安青錦、琴勝峰の弟の琴手計改め琴栄峰。再十両に栃大海、千代丸、生田目。6人の昇進は久々。引退力士に加え十両は

          大関昇進と相撲界

          秋場所おわり

          大の里が勝って2度目の優勝、 そして大関昇進確定。史上最速の初土俵から9場所、負け越し経験なしの大関となる。異例なことで異常ともいえる。快挙だが手放しで喜んでいいか。このまま大の里時代が到来ともいえるがいったい誰が壁となるかも重要だろう。 と思ったが千秋楽阿炎戦。阿炎がのど輪からはたくと大の里バッタリ。阿炎は勝ちにこだわるタイプで形振り構わないのだが…締まらない終わりとなった。阿炎は10敗力士。やっぱり脆さが残る。大関で大の里3連敗!とアナが連呼するような場面を想像してしま

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          大の里優勝から考える~立ち合いと押し~

          14日目。大の里が勝ち2度目の優勝、そして大関昇進も確定だ。史上最速の初土俵から9場所、負け越し経験なしの大関となる。異例であり異常ともいえる。快挙だが手放しで喜んでいいか。 今場所は大の里の壁となる力士がいなかった。というのも平幕上位以上が不調力士ばかり。大関2人は勝ち越しがせいぜいで、三役も停滞気味だったが貴景勝の引退に加え阿炎、平戸海が負け越し。久々に大きく入れ替わる。好調は霧島ぐらいなものでその霧島とて大の里戦は変わり身を見せ失敗。技能派の若隆景が気を吐いたが、

          大の里優勝から考える~立ち合いと押し~

          貴景勝土俵を退く

          秋場所。大の里にいよいよ土がついた。12日目若隆景戦。まさに伏兵。大の里の両手押しから突っ張りで例のように出て行ったがしのいだ若隆景。右を固めた体勢から両差し果たすや逆襲で一気に出た。大の里も体勢崩れながら突き落としにいき、傾いて土俵詰まるも踏み止まって立て直す。 大の里、体を浴びせるように棒立ちながら寄り立てるもこらえ、左に打っ棄って体入れ替えて黒房でひと押し。大の里遂に敗れた。若隆景としては大の里の特徴を全て見抜いていたように思える。待ってましたとばかりの会心の勝利だっ

          貴景勝土俵を退く

          大相撲のゆくえ

          日本の男性最高齢者が大正3年生まれとなった。大正3年といえば五黄の寅。相撲界で言えば当たり年で安芸ノ海、羽黒山、前田山と横綱3人、名寄岩の大関1人を輩出。しかし双葉山の2年下という時代の不運で、一時代を築くまでとはならず引き立て役に終わった。とはいえ戦前戦中の角界、戦後の混乱期も中心にあった。力士人生も長く羽黒山が昭和28年、名寄岩は29年と栃若時代の幕開けまで土俵に在った。その全盛期は長い。しかし引退後は短命で安芸ノ海が64歳まで存命だったのが目立つぐらい。 大正5年の丙

          大相撲のゆくえ

          大の里を誰が止めるか

          中日終わったが大の里全勝。今場所は引かずに我慢して押しているのがいいのだろう。押し一本で大関というのも不安材料だが、ハワイ勢を思い起こす相撲がそれを打ち消してしまう。四つになるとイマイチだがどうなのか。稽古といっても師匠中心では限界がある。押しだけでは全盛期は短い。曙も武蔵丸も、四つである程度相撲が取れ、武蔵丸の場合右を差す相撲で横綱をつかんだ。 他の力士を見ると大関2人は目立たない。琴櫻も優勝して当然のような発言もあったが、序盤からこれでは厳しい。むかしからなまくらという

          大の里を誰が止めるか