K-popに感じる違和感

K-popが世界で大人気!…実感と乖離している評判

テレビやネットの記事で、「K-popが世界的に大人気」や、「韓国はエンタメで世界的に大成功を収めている」といったニュースを目にすることが多くなりました。
個人的な感想ですが、自分はK-popの何が良いのか全く分かりません。
楽曲が良いとも思わないし、アーティストが魅力的だとも思いません。
正直、どのグループも個性がなく、みんな似たりよったりにしか見えません。
女性グループは、モデルのようなスリムな体型でロングヘアーの人たちが、扇情的な目つきで、露出の多い服装で手足を激しく動かすダンスをしているというイメージで、男性グループは、黄色や紫といった奇抜な色でマッシュルームのような髪型に、アイラインやアイシャドウをつけて不自然なほど白くツヤツヤな肌、服装はペラペラのジャケットとくるぶしに付くか付かないくらいの中途半端な長さのボトムスで、女性グループ同様、手足を激しく動かすダンスを踊っている、というイメージです。
好き嫌いは個人の主観ですし、一昔前には「ガングロ」のような、完全に人によって好みの分かれるスタイルが流行したこともあるので、自分の好みでないものが売れてる=おかしい、とも思いません。
でも、なんかK-popが売れてるって言われてもにわかに信じがたい感覚があるんですよ。それも世界中で…?本当に?
「テイラースウィフトが世界中で人気がある」と言われれば、しっくり来るんです。
だってテイラースウィフトの曲って、しょっちゅう聞きますから。
CMやテレビ番組のテーマ曲に使われていたり、ジムやカフェでもよく流れてますよね。外国の空港でも流れてました。
テイラースウィフトのファンじゃなくても、知らず知らずのうちにその曲を知っていて、後からそれがテイラースウィフトの曲だって分かることもありました。
ジャスティンビーバーや、あいみょんや、米津玄師や、Official髭男dismの曲も同じです。
気づいたら「グッバイ!」のフレーズをどこかで聞いて知ってて、後からそれが「Official髭男dism」というアーティストの曲であることを知りました。

でもK-popは違います。
テレビやネットニュースであまりにも「人気がある!」と言われているので、自分でBTSやBLACKPINKをYouTubeで検索して、初めて彼らの曲を聞きました。
で、実際に聞いてみても、どこかで聴いたことのある曲ではなかったですし、歌もパフォーマンスも、特に自分的には刺さりませんでした。
自分の場合は、好きになる曲って最初に聞いた瞬間に、「お、これ良いかも…」って思うことが多くて、テイラースウィフトやジャスティンビーバーやOfficial髭男dismの曲も、聞いた瞬間「お、なんか良い感じの曲」って思ったので、売れる理由もなんとなく分かります。
でもBTSの曲もBLACKPINKの曲も、そういった感覚がなくて、特に何も思わずに「あーこんな曲なんだ」という感じで聴き終わりました。
繰り返しになりますが、それもあくまで自分の感覚なので、「自分に刺さらなかった曲=売れるはずのない曲」だとも思わないです。
でも、それを差し引いてもやはり違和感があるんですよね。

全てのK-popグループが「売れている」のか

それがきっかけでYouTubeやネット記事を調べてみて思ったんですが、テレビやネットの「K-popが世界中で大人気」というニュースに取り上げられてるのって、ほぼBTSとBLACKPINKだけのような感じがするんですよね。
実際にYouTubeの再生回数を見てみても、確かにこの2グループはどの曲も数億〜数十億回再生されてることが分かります。(この再生回数には水増し疑惑があるようですが、今回はその件には触れません。)
他のグループは、デビュー時にはメディアで大々的に取り上げられますが、その後失速していくという印象です。
デビュー曲はYouTubeでの再生回数が1億回を超えているようですが、その後の再生回数はデビュー曲ほどは伸びず、メディア(少なくとも日本のメディア)に取り上げられる機会もぐんと減りますよね。
「失速」とは言っても数千万回は再生されてるので、日本のアーティストに比べると確かに再生回数は多いです。でも、彼らのデビュー曲の再生回数や、BTSやBLACKPINKの曲がどれもコンスタントに数億回以上再生されているのに比べると、やはりデビュー曲以降は「失速」しているという印象があります。

あれだけ雨後の筍のように次から次へとグループが出てきて、人気をキープしているのが2グループだけって、それは「K-popが人気」なのではなく、「BTSとBLACKPINKが人気」と言う方が正確だと思います。
なので、BTSやBLACKPINKという一部のグループの実績を根拠に、K-pop全体が人気で売れてる、というのはちょっと話を誇張し過ぎな感じがします。

話が飛躍していくK-pop論評

もう1つ思うのは、K-popの凄さが話題になる時って、「K-popはすごい」だけで話が終わらず、そこから話が飛躍していくことが多いということです。
「K-popが世界で大人気」までは、まだわかるんです。
YouTubeの再生回数がいくらなんでもおかしいとか、不自然なくらいメディアに取り上げられるとか、人気と言われてる割に街なかで聴かないとか、色々違和感はあるにせよ、これだけメディアに登場しているという時点で、「売れてる」と言えなくもないと思うんですよ。
ジャニーズにしろLDHにしろ坂道系グループにしろ、日本のアーティストだってメディアとタッグを組むことで売れてきたという部分はあるでしょうし、もっと古参のミスチルとか安室ちゃんとかB'zとかドリムとかも、やはり事務所やプロデューサーが戦略的にメディアを利用してきたことで、実際の人気とメディアでの印象に乖離があったり、メディアに取り上げられることで人気が加速したという一面は確実にあると思います。
なので、そういう戦略も込みで、「売れている」と言うことは、そこまで間違ってはないと思います。

でもね。
なんかK-popってそこで話が終わらずに、
「K-popすごい」→「韓国すごい」→「日本はダメだ」
というステップでどんどん話が飛躍していく感じがするんです。
なんか単純にエンタメの話に終わらず、日本へのマウント取り、もしくは政治的プロパガンダのようになっていくことが多いんですよ。
確かに、「ダンス&ボーカルグループ」というジャンル「のみ」を比較した場合、韓国の方が「成功した」と言えるのかもしれないです。
でも、それって韓国が日本に勝ってる部分をピンポイントで比較してますよね?
逆に日本が韓国に勝ってる部分もピンポイントで比較しないとアンフェアじゃないですか?
「韓国のエンタメは世界レベル。それに引き換え日本のエンタメは世界から取り残されている。」と言えるなら、「日本の科学技術は世界レベル。ノーベル賞を20個以上獲得してる。それに引き換え韓国は0個。韓国の科学技術は世界から取り残されている。」ということを、テレビやネットで同じくらい取り上げるべきじゃないでしょうか。
いや、本来、「何かで世界的な結果を出している=その国がすごい」という事にはならないと思います。
先のワールドカップでアルゼンチンが優勝しましたが、決勝で負けたフランスよりアルゼンチンの方が国として優れている、とは誰も思わなかったはずですよね。
あくまで、「サッカー」に限れば、そして「今この瞬間」に限れば、アルゼンチンが世界一になったということであり、それ以上の意味もそれ以下の意味もありません。
他にも、例えばABBAが売れたとき、「スウェーデンすごい!」となったでしょうか?
「ABBAのようなアーティストが出てこないノルウェーはダメだ」という論調になったでしょうか。
恐らくならなかったと思います。それは、「特定の分野での世界的偉業=偉業を成し遂げた人が所属する国家の偉業」とはならないという基本的な共通認識を、多くの人が持っていたからだと思います。
K-popが語られるとき、そのような共通認識に基づかない論調が多数出てくるという事は、誰かが意図的にマウント取りや政治的プロパガンダにK-popを利用しているのでは?という疑念が湧いてきてしまいます。
そのこともまた、K-popに違和感を抱くの大きな原因の1つなんだと思います。

K-popは音楽の本質を捉えているか

K-popを使用した日韓比較におけるもう一つの違和感に、そもそも日本人や日本の音楽シーンが、「K-popグループのような『ダンス&ボーカルグループ』の世界的成功」を求めているのだろうか、ということがあります。
日本人にとって「音楽」とは何かを考えてみると、「喜びや悲しみと言った人の感情や思考、またはその人の世界観を形にすること」だと思います。
恐らくそれは、日本だけではなく万国共通で「音楽活動の根源」と呼べるものだと思います。
そのような活動の中で具象化された音楽作品に魅力を感じたり、共感する人が増えることで、その楽曲が売れていくものだと思います。
一方でK-popは、そのような「人間の内面の具象化」というより、「ビジネス活動」という印象を強く受けるんですよね。
一個人の「こんな気持ちを歌にしたい」とか「こんな世界観を形にしたい」という思いがきっかけではなく、最初から「売れる」ことを目的に、潤沢な資金のある芸能事務所が、オーディションからデビューまでのプラットフォームを全て用意して、そこに充てがわれた人間に、「売れる」ような曲と「目立つ」ようなダンスをさせる、という流れ。
言われたことを、言われた通りにやっているだけにも見えます。そして「言われたこと」は確かに上手くできている。
ただし、プロデューサーが意図した事は上手く実践できているのかも知れませんが、そこにアーティストの「意志」が感じられないんです。
極端かもしれませんが、ダンスと歌が上手ければ、別に誰がBTSのメンバーになっても、BLACKPINKのメンバーになっても良い、という感じがするんです。
もう解散してしまったんですが、IZ*ONE(アイズワン)というK-popグループがありました。
その中に、宮脇咲良さんという日本人のメンバーがいたんですが、IZ*ONEの解散後、LE SSERAFIM(ルセラフィム)というグループのメンバーとして活動を開始されたというネット記事を読みました。
第三者が作ったグループで活動をして、そのグループがなくなったら、また他の第三者が作ったグループに参加する…なんかそれって、さながら会社の転職みたい見えたんですよね。
コンセプトも楽曲も振り付けもメンバーも、全て他人が決めたグループに入り、そしてひたすら他人が求めるパフォーマンスを実践し続ける。
そこに「自分の内面を歌やダンスという形で具象化したい」という意志が感じられませんでした。
K-popアーティストだけでなく、日本にも、日韓以外の国にも、そのような位置づけのアーティストはいると思います。
例えば、日本のジャニーズや坂道系のアイドルグループなどはそうですよね。
メンバーもコンセプトも、基本的に事務所が決め、楽曲も振り付けもプロデューサーや振付師が考えてます。そこにアーティスト本人の意向は反映されず、むしろアーティストがそのような「第三者」が決めたゴールに合わせてパフォーマンスをしています。
また、例えば洋楽アーティストのライブでバックダンサーをしている人たちも、他人が決めた楽曲に乗せて、振付師が決めた振り付けで踊ってる人たちです。
その人達に価値がないとは全く思わないですし、その人たちも楽曲やパフォーマンスの重要な一部だと思います。
でも、決して音楽の「根幹」や「主役」ではないですよね。
刺し身のツマは刺し身の重要な一部ですが、決して主役ではないです。主役はあくまで刺し身です。
同様に、ジャニーズや坂道系グループが、Jpopの主役であると考える人は少ないのではないでしょうか。
Jpopの主役といえば、ミスチルであり、ドリカムであり、スピッツであり、(もう引退しましたが)安室奈美恵であり、B'zであり、ユーミンであり、浜崎あゆみであり、宇多田ヒカルであり、倖田來未であり、MISIAであり、米津玄師であり、あいみょんであり、Official髭男dismでしょう。(まだまだ書ききれないくらいいますが)
彼らの共通点は、まさに「自己の内面を『音楽』という形で具象化している」ことだと思います。
どのアーティストも誰とも似ておらず、独特であり、彼ら自身の「意志」を強く感じます。
ジャニーズや坂道系グループは、日本の音楽シーンでは言わば「支流」のジャンルであり、日韓の音楽シーンを比較するには相応しくないと思います。
「本流」同士を比較して初めて意味があると思います。
そして、大手事務所傘下の「ダンス&ボーカルグループ」が支流となるくらい、日本では音楽の根幹に根ざしたアーティストの活動が盛んであり、それはひとえに、日本人が音楽に求めているものが、「個人の感情や思考や世界観を具象化したもの」であるからなのでしょう。
そうでなければ、世界一音楽にお金を使う国民にならないと思います。

K-popは全世界的な資本主義化加速の一現象なのではないか

一方で、K-popのように市場が大手資本家によって巨大プラットフォーム化される現象は、現代社会では音楽に限らず起こっていることなのだとも思います。
最近では、繁華街で何か新しいお店が出来る場合、スターバックスのような大手チェーン店であることが多くなってきたように感じます。
二〜三十年前には街のあちこちにあった個人経営の喫茶店やカフェはどんどん減少し、スタバのような大手コーヒーチェーンに置き換わっています。
アパレルにしてもそうです。個人経営のブティックは今や見かけなくなり、ユニクロ、GU、ZARAなどの大手ファストファッションの店舗ばかりになってしまいました。
それが良いか悪いかは別として。
これと同様のことが音楽業界にも起こり、その担い手が韓国だった、という捉え方もできると思います。
そういう意味ではK-popは、「ファストファッション」ならぬ、「ファストミュージック」と言えるのではないかと思います。

ファストミュージック同士を比べれば、韓国の圧勝でしょう。
でもそれを誇るのは、ユニクロが世界的成功を収めたことで、日本人が韓国を見下したり、自尊心を満たしたりするのと同じくらい的外れなことだと思います。
そして多くの日本人は、そのような思考に陥ってはいないと思います。(と信じたい。)

K-popを後追いすることで日本の音楽の価値を失くしてほしくない

音楽でもコーヒーでもファッションでも、作り手がこだわって作ったものは、完成まで時間がかかり、値段も張りますが、人を感動させたり、人の人生や価値観を変える力があると思います。
日本の音楽シーンの良いところは、そのような音楽活動をする環境が存在し続けていて、市場の本流を維持していることだと思います。
多くの演じ手が、経済的利害や既存のプラットフォームに囚われず、本当に良いと思ったものや、自分が表現したい世界観を自由に表現できる環境があること。
ストリートライブやライブハウスでの音楽活動が盛んに行われているのを見ると、強くそう思います。
そしてそれが何より日本の音楽市場の価値であり、また音楽自体が持つ普遍の価値ではないでしょうか。

K-popグループが次から次へとデビューし、YouTubeの再生回数やビルボードへのランクインなどの「数値的快挙」が「素晴らしいこと」のように語られていますが、それって果たして本当に「素晴らしいこと」なんでしょうか。
個人経営の喫茶店がどんどん消え、それらがみんなスターバックスに置き換わっていくことって、手放しで「素晴らしいこと」でしょうか。
コーヒーそのもののクオリティの向上や、コーヒー文化の醸成に、本当に寄与していると言えるでしょうか。
そう考えると、K-popグループもその楽曲も、スタバのメニューに記載された新商品のように思えます。
抜群の資本力とそれにもとづくマーケティング力により、絶大な知名度とブランド化を達成し、クオリティも悪くない。
スタバの新作のようにどんどん新しいグループがデビューし、メディアで怒涛のように紹介され、目が眩むような規模で消費されていく。
そしてシーズンを過ぎればメニュー表から消えていく。

それって本来の音楽の姿なんでしょうか。
本当にみんなが欲しかったものなんでしょうか。
聴き手のことも、演じ手のことも、本当に幸せにしているんでしょうか。
街の個人経営の喫茶店がどんどん消えて全部スタバに置き換わることで、逆に消費者の選択肢が減ってはいませんか。

日本のアーティストやメディアや聞き手が、「K-popとの比較」を気にするあまり、自分たちにとって本当に必要なものは何かを見失ってほしくないですし、日本の音楽シーンが持っている良さを失くしてほしくないです。

最後に

「大手資本家によって市場が巨大プラットフォーム化される」ことの例として、本記事ではスタバやユニクロ、GU、ZARAを用いましたが、私個人がそれらの企業を悪く思っているというわけでは全くないです。
それらの企業にはそれぞれ良さがありますし、社会に良い影響を与えている部分もあると思います。
ただ、企業(プラットフォーム)が成功したからと言って、必ずしもその企業の商品の質が素晴らしいというわけでも、その企業の属している国が素晴らしいというわけでもないと思います。
それを踏まえると、K-popの「何が」素晴らしいのか、が曖昧なまま、「K-pop=韓国=素晴らしい」という印象だけが先行してしまっているということが、K-popに対して違和感を感じたり、純粋なエンタメとして楽しめない原因になってしまっているのだと思います。
K-popは、確かに歌唱力やダンススキルという部分に関しては、日本のアーティストの平均より高いと言えるかもしれません。
でも、それって日本がアーティストに求めているものなのか?
いや、世界がアーティストに求めているものなのか?
彼らのパフォーマンスを見るたびに、そのような疑問が湧いてきてしまいます。

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