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土田宏「アメリカ1968 混乱・変革・分裂」中央公論社

第二次大戦後、南北に分裂した内紛にフランスにかわってアメリカは介入した。ジュネーブ条約によって1956年に統一選挙をするはずだったのに、アメリカは南ベトナムにこれを放棄させた。アメリカが積極関与した理由で大きいものは「ドミノ理論」。共産圏の拡大を防いで世界の覇権をアメリカが保たなければならないというものだ。アイゼンハワー・ケネディは「軍事顧問団」という名目の軍力をベトナムに送り関与を深める。南ベトナムの混迷に乗じて北は「南ベトナム民族解放戦線(べトコン)」を組織、ゲリラ戦で対抗し、僧侶たちによる焼身デモなども激化する。ケネデイは無能なジェム大統領を見限りクーデターを容認し増兵を加速化させ、遂にはトンキン湾事件という自作自演の事件で北爆を正当化していく。しかし、戦争は泥沼化、遂にはテト攻勢によってアメリカは敗戦への道に落ちていくことになる。本著で新たにわかったのはテト攻勢と北朝鮮の関係だ。テト攻勢の8日前にアメリカ海軍情報収集艦プエブロ号が北朝鮮に突如拿捕され、乗組員83人が連行された。当時は第2の朝鮮戦争かと危ぶまれる事態であった。どうやら北ベトナムと北朝鮮は情報共有し、結託してアメリカ崩壊を目的に起こしたということなのだ。この事件の8日後、テト攻勢が起き、プエブロ号の解決にはなんと11ヶ月も要することになったのだそうだ。 

1968年、アメリカ国内ではヴェトナム反戦運動を機に民主党のマッカーシー旋風が吹き荒れ、ジョンソン大統領を辞任に追いやった。この時代、若者達は大きく変化した。その変化に追い風となったのが「理由なき反抗」(1955)、「猿の惑星」(1968)、「卒業」(1967)、「招かれざる客」(1967)などのカウンターカルチャーだ。「30代以上は信じるな!(猿の惑星)」という台詞が合言葉になり、デモが頻発した。そんな背景から彗星のごとく現れたのがJ・F・ケネデイーの弟ロバート・ケネディ(愛称ボビー)だった。彼は若者の耳目をあつめるスピーチを繰り返し、黒人や女性、社会的弱者など多くの人々に共感を呼び、次期大統領との声も上がっていたが、1968年凶弾に倒れた。奇しくもキング牧師の暗殺(1968)後、わずかしか経っていない時期である。この2人の死はアメリカ現代史にとってあまりにも大きな損害だった。この1968年を境に「一つのアメリカ」は死んだ。そして「混迷のアメリカ」がスタートする。現在のアメリカはこの1968年を基点としている。

確かにそうだろう。今はその混迷は分裂から憎悪の連鎖に拡大しつつある。恐ろしいことだ。日本政府の今の態度では日本もその渦に巻き込まれそうな勢いである。他人事では決してないと思う。

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