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鹿野政直「岩波新書の歴史」岩波新書別冊


1913年岩波茂雄が古書店として開業し、15年「哲学叢書」をはじめに出版事業に乗り出した。創業者は「学問や識見芸術を日本の社会に散布普及させる配達夫であり、散水夫」と岩波書店の任務を説いている。

1927年岩波文庫が誕生、1937年に岩波新書が誕生しているわけだが、その背景についてはこの本で初めて分かった。新書のアイデアは東京帝大文学部哲学科出身で思想犯として検挙歴もある吉野源三郎が出した。

当時、盧溝橋事件をはじめとする日中戦争が進む中で「非合理な強圧に堪えつつ生きている人々に、楽な呼吸のできる若干の時間を提供」したいという意思を顧問の三木清、岩波茂雄が共有した上で実現した(「奉天三十年」で出発)。

もちろんそれは当時の言論統制の標的になっていくわけだが、岩波が凄いのは出版の信念の基底に「明治維新時の五カ条の誓文」を据え、明治をもって昭和を撃つ気概をこめた言葉の弾丸を浴びせるべく「現代人の教養」としての岩波新書を刊行したことだ。

欧米派ではなくアジア派としての視点を持ち続け、批判的な精神で時代を真摯に見つめてきた岩波新書は現代人の教養の砦といってもいいだろう。これからも愛読していきたい。

<メモ>
・岩波文庫が範としたのはドイツのレクラム文庫

・岩波新書が範としたのはイギリスのペリカンブックス

・装丁:背はオリーブ、表紙はランプ、扉はギリシャ神話の風神、裏表紙は
 アスコス(香油入れ)

・岩波新書刊行時の問題意識
 「偏狭なる忠義観、固陋なる国体観を以て他を非国民扱ひするが如きは
  最も恐るべき危機思想」

・中谷宇吉郎の「雪」はもともと新書だったものが、古典としての仲間入り
 をし、文庫になった。

・赤版(98冊45年まで)は時代への抵抗を基底とし、青版(1000冊77年
まで)は時勢の推進をめざした。

・黄版(396冊87年まで)は戦後の終焉、教養の溶解といった時代の変化にこたえ続けた。

・新赤版(現在にいたる)は新世紀につながる時代に対応する教養

・池田潔「自由と規律‐イギリスの学校生活」は民主主義を人格や教育に具現化した作品として、自由の「履き違え」を危惧する人心にひろく投じた。

・戦後、総合雑誌「世界」を持ったことで、その掲載論説が新書の有力な供給源になった。


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