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岡本太郎「青春ピカソ」新潮文庫


久しぶりに岡本太郎の言葉のシャワーを浴びた。爽快だ。彼は42歳にして晩年のピカソに会い、談笑し、アトリエに招待され、デッサンまで贈られている。ピカソも岡本に通常見せない親しみと愛情を降り注ぎ、熱く手を握り、二人のインスピレーションは見事に調和していた・・。

そんな岡本が吐いた言葉は

「ピカソに挑み、のり越えることが我々の直面する課題である」

「神はたおされなければならない」

「ピカソが今日我々を揺り動かす最も巨大な存在であり、その一挙一動が直ちに、歓喜・絶望・不安である。ならばこそ、あえて彼に挑み否定し去らなければならないのだ」

・・本当に岡本らしい言葉ではないか!もちろんピカソの権威にぶら下がる芸術家もどきに対する痛烈な皮肉も忘れない。

「太陽のような存在であればこそ、かえってその棚から引きずり下ろし、堂々と挑まなければならないのだ。神様ピカソをただほめたたえるのは容易であり、安全だ。(中略)自身の力で己を権威とするのではなく、公認された権威を担ぎまわり、その威光をかさに着て権威面をする、このうんざりする気分の上に日本現代文化ののっぴきならない変態性が現れている」

ピカソという神に挑もうとする岡本の姿は痛々しいほどであるが、実に痛快である。俺は彼の姿勢に強く共感する。

「いかなる峻嶮も、のり越えることを決意し、踏み出すならば、必ずその山プラス何ものかであるはずだ」

徹底破壊からの創造という彼の思想には一貫性がある。俺も以前、ずいぶん助けられた。今は助けられたというより、原点を見せ付けられた感じがする。

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