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【急降下する仕事運】調子に乗りすぎた私の反省……その1

先日、用事のついでに、私がフリーライターとして出発した出版社の先輩ライターさん、デザイナーさんから頻繁に連れて行ってもらっていた文壇バー? 文壇スナック? にふと足を運んだ。実に25年以上ぶりかもしれない。その店は、現在も静かに佇んでいた。

さすがに内装やらメニューやら客層は変化しているだろうなあと思っていたけど、良い意味で裏切られた。ここだけ時間が止まっている。少なくとも内装だけは当時のままだ。さすがに当時の知り合いに遭遇することはなかったものの、客層はクリエイター率が高め。1人で訪れた私のことも暖かく出迎えてくれて、ベテラン編集者や若手の画家と名刺交換もした。

そうだ、20数年前はこうした文壇バーが都内にも割とあって、夜な夜な出版関係者やクリエイターが集ってはああだこうだと熱く議論していたものだ。当時駆け出しライターだった私にはあまり話が理解できなかったけど、さまざまな出会いもあったし、とにかくクリエイティブ! という感じで刺激的だった。

遠い記憶を辿って少し調べたところ、当時編集者などに連れて行ってもらった文壇バーのうち、現在もいくつかは健在のようだ。この出版不況時代に、なんだか嬉しくなった。

と、WebやSEO、副業としてのライティング、現在ではAIアシスタントやChatGPTの台頭もあり、ライターを取り巻く環境はここ20年数年で激変したと思う。

元々私が編集アルバイトからそのままフリーライターになったのは大手の出版社だったため、編集部にはたくさんの企画があり、外部のフリーライターも毎日複数人出入りしていた。

当時のメイン媒体は圧倒的に「紙」だった。原稿についても、PCで打ってメールで渡してくれる「(当時)ハイテクな」作家やライターもいたが、原稿用紙に手書き、というスタイルも当たり前に存在していたものだ(それを受け取りに行くのが駆け出しライターという名の何でも屋の私の仕事だったりした)。

さらには、今では信じられないかもしれないけど、ショップ取材などの原稿確認も「FAX」でのやり取りがほとんど。FAXで届いた手書きの文字をPCで打ち込み、入稿する……。そんな雑用も私の仕事の1つだった。

そんなんだから、駆け出しライター時代はジリ貧そのもの。だって編集アルバイトとは違ってフリーランスは時給制じゃないし、これといった成果物も出せていなかったし……。

だけど編集者や先輩ライターが前述の文豪バーをはじめ、さまざまな飲食店でご馳走してくれたから、なんとか生き延びることができたように思う(当然皆さん「経費」で落としていたが)。

一方で、編集部の先輩ライターや外部ライターたちはアホのように稼いでいたように思う。当時の紙媒体の一般的な原稿料は1P1.5~3万円だったので、そりゃお金には困らないはずだわ……。皆さん、暇さえできれば海外リゾートに飛んでいた。ああ、私も学生時代は旅行三昧だったのに。

その2へ続く


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