まみさか

中学不登校→通信制高校卒→早稲田大学入学、心理学専攻→在学中に双極性障害発覚→卒業後転…

まみさか

中学不登校→通信制高校卒→早稲田大学入学、心理学専攻→在学中に双極性障害発覚→卒業後転々と色々やってる だけの人。 好きなもの:ピアス、赤い飲み物と食べ物 好きなこと:外国語学習、読書、1人カラオケ、ビリヤード、美術館にいくこと

最近の記事

”好き”の断捨離。

言葉だけでは説明しつくせない”好き”を祀り上げることは性に合わなかった。 毎日希望をこめて自分の”好き”に祈る勇気や一途さを私は持ち合わせていなかった。 どうして好きか、どこが好きなのか、分からないことを分からないままにしておけるのも勇気で、私はそれが欲しかった。 どうして好きか、どこが好きなのか、正体をつかめないそれに対して祈るのも一途さで、私はそれが欲しかった。 好きの解像度を高めたくて、なんとか取り繕うための言葉を探してみるもまだ迷子で彷徨っている。 好きの解

    • Twitterで見た、引用元も分からない不確かな事なのですが、大人になるというのは感受性を自分の奥に隠すこと、だと村上春樹氏が言っていたそうです。剥き出しになった感受性を抱え、しんどく足を引き摺りながら歩む私は、彼からすると拙い未熟な子供なのでしょう。

      • トマトジュースと恒常性。

        永遠に変わらないものを望みつつ、何一つ変わらなければ、それはそれで不自然で気持ち悪いと吐き捨てる性が人間には、いや、少なくとも私にはある。 12時間睡眠の後は、重さや怠さを超えて、自分の挙動を認識することにも一瞬のラグが発生する。ただスマホを取ろうと腕を伸ばす動作さえ、この腕は私のものなのだろうかと、違和感だらけで、無を掴み取ろうとしている気さえする。寝すぎは良くない。現実が私の身体を弾き出してしまう。 起きた時点で既に夕方6時。日は沈んでいた。朝日を浴びることが今日は叶

        • 六畳半の小さな夜明け。

          六畳半に差し込む夜明けの光は小さい。 小さくても、待つしかない。待ちたかった。早く朝が来て、と願うばかり。 朝が来たところですることはこれと言って何もない。 ただ、明るくて暖かい場所が欲しくて、なぜか渇望の程度まで達していた自分がいるだけだ。 夜が嫌いなわけじゃなかった。全てが動きを止めて、明日のために力を蓄えるかのような、あの静寂はむしろ魅力にさえ感じることもある。私が活力を欲しているから、夜をそのように見立てているのかもしれない。 最近、ある曲を聞いた。曲名は「君の

        ”好き”の断捨離。

        • Twitterで見た、引用元も分からない不確かな事なのですが、大人になるというのは感受性を自分の奥に隠すこと、だと村上春樹氏が言っていたそうです。剥き出しになった感受性を抱え、しんどく足を引き摺りながら歩む私は、彼からすると拙い未熟な子供なのでしょう。

        • トマトジュースと恒常性。

        • 六畳半の小さな夜明け。

          蜘蛛の巣が落ちた。

          蜘蛛の巣が落ちた。 私の巣じゃない、私は糸を吐けないから。 でも、蜘蛛のものでもない。紛れもない、私のそれだった。 重荷があったから落ちたのではなかった。水にも重さにも耐える強い糸で出来ていたから。力尽きて落ちたのではなかった。ひたすら前向きに、生きたいと願っていたから。 いらなくなった。それだけが分かることだった。無くなった。また作ればいいと笑った。 隠すものも無くなった。躊躇うものも無くなった。縋るものも無くなった。在るべき場所がここではないと、悟った。 正六角

          蜘蛛の巣が落ちた。

          金木犀と排気ガス。

          近くの広場に来た。 公園というわけでもない。遊具は一切なく、草原にポツンと一つ、ベンチがある。 自宅の近くにあるものだから、この空間はなんなんだろうと前から気になっていた。近場の保育園の園児たちがここで遊んでいるのは見かけたことがある。遊具はないけど、小さい子たちが走り回るくらいには、丁度いいのかも。 この地には7年ほど住んでいるが、私は今日初めてこの広場に足を踏み入れ、本を読んでいる。 ベンチの後ろに幹の太い木があるものだから、私の座るここは陰となっている。秋の日陰は

          金木犀と排気ガス。

          月、垂直線、私。(草稿)

          このマンションから飛び降りたいと思った。 飛び降りたら死ぬ。でも死にたいと思っているわけではなかった。 月を見たい、と思った。真上の月を眺めながら空を仰ぐ態勢で落ちていきたいと思った。 夏から秋に移行するグラデーションの真ん中、秋の匂いが漂ってくるこの季節はそろそろ中秋節がやってくる。 中秋節の象徴にどっしり居座っているのは月だから、そろそろかなと思った。月が綺麗な日に空に浮かぶ月を仰いで、風を感じて、地面に落ちつつ走馬灯を見て。それが叶う条件は飛び降りることなんじゃない

          月、垂直線、私。(草稿)

          書くという行為について。

          春になってからありがたいことに書くことを仕事にさせてもらっている。 元々書くことは好きだった。なぜ好きか、この「好き」はどこから来るのか、と仕事中にふと思った。少なくとも興味を持っていないとこの仕事にたどり着けなかった訳だし、脈絡なく浮かんだ考えについて真摯に向き合って掘り下げてみようと思った次第だ。よってこの文章を書いている。 簡単に結論を言うと、私は書くという行為が一種のコミュニケーションだと思っている。そしてそれは、他者とのコミュニケーション、そして自分とのコミュニ

          書くという行為について。

          年老いても。

          年老いても、唇に紅を乗せていたい。どんな唇になっているかは分からないけど。 年老いても、レザージャケットを着ていたい。皮膚に皺やたるみができているかもしれないけど。 年老いても、外国語を勉強し続けたい。物忘れは増えているかもしれないけど。 年老いても向上心を忘れたくない。保守的になる傾向が強くなるかもしれないけど。 年老いても自分をもっていたい。年齢を盾に臆することがあるかもしれないけど。

          年老いても。

          顔。

          顔は記号性が強すぎる。象徴性が強すぎる。 会社の顔、店の顔という言葉があるように、 顔には一々象徴が込められすぎなのだ。 そして象徴性が強いという事は、 人に解釈を委ねすぎるということでもある。 だって、人と対面した時に真っ先に視界に飛び込むのは顔だし。 第一印象を左右するものってよく言われるし。 いわば、看板なのだ、顔は。 でもその看板は生得的なもので、 自分が望んでもないのに、遺伝子がたまたま発現しただけのもので、 死ぬまでその顔を背負うとか、なんか癪。 別に

          抽象。

          心とか、神とか、具体物としての存在の証明が難しいものを世界の駒の一つとして置いたから、人間は偉くて矮小だ。 万人が納得する論拠を以って説明ができれば、これらは本物になるけど、いまだに信じることでしか存在しえない抽象的なものたち。 信じる人もいれば信じない人もいるし、捉え方が千差万別な、明確な輪郭をもたない抽象的なものたち。 抽象的なものの存在を繋ぎとめている人間、抽象的なもののために生かされることのある人間。ひどく鬱陶しくて嫌悪感もあるけど、どうしても関心を逸らすことも

          ”疑似留学”実行記③20220804

          今まで書き留めた”疑似留学”の記事を見直して、私は大層なタイトルをつけてしまったと、少々後悔を覚えている。 だが、言語の学習環境をなるべく留学や現地での生活に近づけ、疑似的に経験するという意味では間違っていないと言い訳することにしよう。 今回のテーマは”単語をどう覚えていくか”についてだ。 単語学習はインプットのみでしか行えない? 一般的に外国語学習における単語学習は、単語帳などを使い暗記していくやり方が思い浮かぶだろう。それは外国語の検定試験のためかもしれないし、単純

          ”疑似留学”実行記③20220804

          ”疑似留学”実行記②20220714

          久々にnoteを更新する。 最近更新していなかった理由としては、中国語学習に力を入れていたからだ。 さて、本題に入りたい。今回のテーマは「外国語を話すことの緊張感」についてだ。 外国語を話すって緊張する はっきり言って、外国語の学習経験(単語や文法といった前提知識、あるいは資格検定受験経験)があったとしても、初めて外国語を使って話す際は緊張するものだ。緊張から頭が真っ白になるということすらある。 間違いを恐れる必要がないことは承知していても、始めたての緊張度は高い。どう

          ”疑似留学”実行記②20220714

          ”疑似留学”実行記①20220606

          ここ最近、脳を外国語に浸している。 私は外国語学習が好きで、ここ数年中国語と英語を勉強している。モチベーションの面から見ると中国語の方が若干高いが、ブランクのある英語も何とかしたいと励んでいる。 私は留学という留学をしたことはない。最大の理由はお金がないことだ。 でも、外国語学習ツールが多様化し発達した現代では、日本国内にいながら、4技能(書く、読む、聴く、話す)を伸ばすことは不可能じゃないと私は信じている。 そこで今日は私が最近実行している、”疑似留学”について書こ

          ”疑似留学”実行記①20220606

          自己満足”が”いいのかもしれない。

          最近気づいたことがある。 一時期流行していた「女子力が高い」とか「意識が高い」といった言葉を見る機会が少なくなったことだ。言葉には流行り廃れがあるから、これらの言葉に限ったことではないけど、私は一つ思うことがある。 SNSによる個人の発信を通して、自己満足を自己満足だと受け止めて前向きに考えるようになったのではないか。 例えば、「女子力が高い」や「意識が高い」は一見褒める言葉のように見えて、揶揄も含まれる表現として使われてきたように思う。揶揄を含まない場合でも、便利な人

          自己満足”が”いいのかもしれない。

          他人の注目を集める要素についての考え。権威、共感、応援、笑い。

          タイトルに述べた4要素は、私が思う他人の注目を集める要素だ。 インフルエンサーという言葉の通り、SNSが発達した現代では何かを発信している個人が有名になるということが多々見られる。 そこで、他人を魅了する要素(これ以外にも存在するとは思うが)を考えてみた。 一つ目、権威。 これは肩書とも言い換えられるかもしれない。経歴や実績が素晴らしく一目置かれる。肩書が説得力を増し、その人の発言力や存在感を強める。もちろん、権威付けがなされていても発言のすべてが是とされる訳ではない

          他人の注目を集める要素についての考え。権威、共感、応援、笑い。