まみさか

中学不登校→通信制高校卒→早稲田大学入学、心理学専攻→在学中に双極性障害発覚→卒業後転…

まみさか

中学不登校→通信制高校卒→早稲田大学入学、心理学専攻→在学中に双極性障害発覚→卒業後転々と色々やってる だけの人。 好きなもの:ピアス、赤い飲み物と食べ物 好きなこと:外国語学習、読書、1人カラオケ、ビリヤード、美術館にいくこと

最近の記事

”好き”の断捨離。

言葉だけでは説明しつくせない”好き”を祀り上げることは性に合わなかった。 毎日希望をこめて自分の”好き”に祈る勇気や一途さを私は持ち合わせていなかった。 どうして好きか、どこが好きなのか、分からないことを分からないままにしておけるのも勇気で、私はそれが欲しかった。 どうして好きか、どこが好きなのか、正体をつかめないそれに対して祈るのも一途さで、私はそれが欲しかった。 好きの解像度を高めたくて、なんとか取り繕うための言葉を探してみるもまだ迷子で彷徨っている。 好きの解

    • 自分の出生と向き合いました。多分。

      いつもと違い、このタイトルにした時点で何から書き出せばいいか分からない。不思議な感覚。 昨日、親が出会った経緯、私が生まれた時のこと、私の幼少期のこと、そして亡くなった父のことを母親、父方の叔父さんから聞いた。本来であればこの件について尋ねること自体、来年2月に実家に帰った時に実行しようと思ったけど、訳あって早まることになった。(私も少々予想外だった) 予想外だったのは、15年以上ぶりに連絡をとる叔父さんが私のために知っていることの全てを話してくれたことだ。私の「亡くなっ

      • 自分を大切にするってどういうこと。

        いつでも逃げてきたのは他人からだと思っていた。辛い現実、社会からだと思っていた。 だから、他人とは、人とは何かと考えてきた。社会とは何なのか、私の歩んできた現実とは何だったのか、と咀嚼しようとしてきた。 考えることに意味が無かった訳じゃなかった。でも、それらを考えれば考える程、いつもその共通点、中心には私、つまり自分がいて、自分のことも 考えないとと思うようになった。 自分の表面をなぞって、形を確認する作業は楽だった。どこで生まれてきたか、育ってきたか、今どこに在るのか

        • 何も食べれない病に逆戻り。そのくせ極上の鬱、この味だけは知っている。

        ”好き”の断捨離。

          薬を飲むために、ご飯を食べる日々。何のために生きてるんでしょう、もはや。

          薬を飲むために、ご飯を食べる日々。何のために生きてるんでしょう、もはや。

          希望の解釈を切望する絶望フェチ。

          私は暗い小説が好きだ。暗い音楽が好きだ。暗い人が好きだ。 自分が暗澹とした気持ちになった時、暗い小説を読みふけって、暗い音楽をループさせ、素敵な闇を抱える人と話す。 ある種の精神的自傷行為と言えるかもしれないが、私はそうは思わない。何故自分の暗い気持ちを更に底へと追い込む暗いものを好むのか。私にとっては暗い気持ちに、溢れんばかりの強い希望の光を、ポジティブというスポットライトが当てられる方が、却って自分を追い込むことになってしまう。外の世界に、自身の暗い気持ちと共鳴する存在

          希望の解釈を切望する絶望フェチ。

          本に窒息死させられそうでした。

          本に窒息死させられそうでした。

          私に当てこすられた皮肉、と私が解釈したものをふっと笑って、一つ一つ捨てる作業。

          私に当てこすられた皮肉、と私が解釈したものをふっと笑って、一つ一つ捨てる作業。

          どれだけ溢れんばかりの言葉を持っていても、今は意味がない。その事実に気づいて、悲しさが二倍になって、結局自分を追い込む。嫌だなと思いながら、痛みに耐えながら毎日を繰り返す。頭に入ってない癖に本のページを捲るかのように。

          どれだけ溢れんばかりの言葉を持っていても、今は意味がない。その事実に気づいて、悲しさが二倍になって、結局自分を追い込む。嫌だなと思いながら、痛みに耐えながら毎日を繰り返す。頭に入ってない癖に本のページを捲るかのように。

          自分の心を自分で癒せるほど、慰めるほどの優しさ、寛容さ、適切な言葉を私は持っていない。他人を受け止めることは他人だからできるのであって、自分を自分で受け止めないといけないということ自体が、プレッシャーになってしまう。

          自分の心を自分で癒せるほど、慰めるほどの優しさ、寛容さ、適切な言葉を私は持っていない。他人を受け止めることは他人だからできるのであって、自分を自分で受け止めないといけないということ自体が、プレッシャーになってしまう。

          Twitterで見た、引用元も分からない不確かな事なのですが、大人になるというのは感受性を自分の奥に隠すこと、だと村上春樹氏が言っていたそうです。剥き出しになった感受性を抱え、しんどく足を引き摺りながら歩む私は、彼からすると拙い未熟な子供なのでしょう。

          Twitterで見た、引用元も分からない不確かな事なのですが、大人になるというのは感受性を自分の奥に隠すこと、だと村上春樹氏が言っていたそうです。剥き出しになった感受性を抱え、しんどく足を引き摺りながら歩む私は、彼からすると拙い未熟な子供なのでしょう。

          堂々と何かしらの肩書きを名乗る人間性を、この生涯で獲得するのは難しそうだ。象徴性の強いものは煩わしいもの。要らない。私が謙虚な訳ではなく、ただ面倒くさがりで、逃げ癖がついただけ。

          堂々と何かしらの肩書きを名乗る人間性を、この生涯で獲得するのは難しそうだ。象徴性の強いものは煩わしいもの。要らない。私が謙虚な訳ではなく、ただ面倒くさがりで、逃げ癖がついただけ。

          矛盾を眺めることは好きなくせに、矛盾を抱えることが嫌い。ほら、矛盾した。矛盾を指摘しがちで目敏い癖に、矛盾を指摘されるとたじろいで怒ったり落ち込む。ほら、矛盾した。愚かだね、どうしようもないね。諦めるしかないね。

          矛盾を眺めることは好きなくせに、矛盾を抱えることが嫌い。ほら、矛盾した。矛盾を指摘しがちで目敏い癖に、矛盾を指摘されるとたじろいで怒ったり落ち込む。ほら、矛盾した。愚かだね、どうしようもないね。諦めるしかないね。

          異常も正常も大嫌いだ。

          死ぬところだった、というにはやや大袈裟で、しかしあの状況を、あの時の私を説明たりうる言葉で説明するならこの一言がやはり、相応しい。 池袋、某チェーン喫茶店。午後7時半、から8時20分。死にそう、と思った。パニック発作に類似するものかもしれない。何か思考、言葉、いや、一文字ですら浮かべば、自分に飲み込まれて、自分に殺されると思った。例えそれが簡単な、アイスコーヒーという単語だとしても、思考が生まれたという事実によって、私は足場を失って、自分に引き摺り込まれて落ちる、死ぬと思っ

          異常も正常も大嫌いだ。

          体温計が見つからない。

          知恵熱だと思った。薬ならぬ、文学の過剰摂取といえば聞こえはだいぶ良いだろうか。その日、大型書店で目的の本を買った私は帰宅後シャワー浴び、有名作家の本を読んでいた。 髪を乾かしたほぼ直後に眠剤も摂取していた。あとは身体の熱が下がれば、自然な眠気がくるという算段だった。すぐ誤算となった。身体が熱い、だるい、頭が痛い。今日は酒も飲んでいないのだから、この頭痛は私の中で不可思議であった。 体温計を探した。私の身に起こっている不自然を説明してくれる何かが欲しかった。体温計はすぐ見つ

          体温計が見つからない。

          トマトジュースと恒常性。

          永遠に変わらないものを望みつつ、何一つ変わらなければ、それはそれで不自然で気持ち悪いと吐き捨てる性が人間には、いや、少なくとも私にはある。 12時間睡眠の後は、重さや怠さを超えて、自分の挙動を認識することにも一瞬のラグが発生する。ただスマホを取ろうと腕を伸ばす動作さえ、この腕は私のものなのだろうかと、違和感だらけで、無を掴み取ろうとしている気さえする。寝すぎは良くない。現実が私の身体を弾き出してしまう。 起きた時点で既に夕方6時。日は沈んでいた。朝日を浴びることが今日は叶

          トマトジュースと恒常性。