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”好き”の断捨離。

言葉だけでは説明しつくせない”好き”を祀り上げることは性に合わなかった。

毎日希望をこめて自分の”好き”に祈る勇気や一途さを私は持ち合わせていなかった。

どうして好きか、どこが好きなのか、分からないことを分からないままにしておけるのも勇気で、私はそれが欲しかった。

どうして好きか、どこが好きなのか、正体をつかめないそれに対して祈るのも一途さで、私はそれが欲しかった。

好きの解像度を高めたくて、なんとか取り繕うための言葉を探してみるもまだ迷子で彷徨っている。

好きの解像度を高めたくて、なんとか取り繕うための理屈を探してみるも、絡み合うそれを解くのには時間がかかりそうだ。

「好きに理由はない」と手放すことは臆病者には難しい。「理由があれば好きになれる」に賛成できるほど利口じゃなくて私はどっちつかず。

”好き”が多くなって、執着するものが多くなって、疲れた。

一人で抱えるのに私の体はそこまで大きくない。一人で抱えるのに私の精神力はそこまで強靭じゃない。だから、”好き”の一つずつを確認して捨てられればいいのに。

整理整頓されて、淘汰された私の”好き”の中には一体何が残るんだろう。


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