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顔。

顔は記号性が強すぎる。象徴性が強すぎる。

会社の顔、店の顔という言葉があるように、
顔には一々象徴が込められすぎなのだ。

そして象徴性が強いという事は、
人に解釈を委ねすぎるということでもある。

だって、人と対面した時に真っ先に視界に飛び込むのは顔だし。
第一印象を左右するものってよく言われるし。

いわば、看板なのだ、顔は。

でもその看板は生得的なもので、
自分が望んでもないのに、遺伝子がたまたま発現しただけのもので、
死ぬまでその顔を背負うとか、なんか癪。

別に私は自分の顔が嫌いなわけではない。

嫌いなのは生まれてからこのでかすぎる象徴を抱えなければいけないこと。
生まれた時から備わっているこの顔面を一々評価されたり、解釈されること。

自分の顔が好きだとか嫌いだとかって、二次的なものの気がしている。

他人と対面することがなければ、評価されることも解釈されることもないだろうし。顔はもっとニュートラルなただの身体の部位にしかならない気がする。

もし鏡も他人もない世界だったら、私は自分の顔を一生見ずに死ねるのだろう。
そんな世界に存在したら、顔から象徴性は失われて、もっと楽に生きられるのかもしれない。
まあ、無理なんだけど。

あぁ、でもネットっていう世界が出来たのは私にとって嬉しかったかもしれない。

なにかプラットフォームに登録すると、多くはアイコンっていうのを設定しないといけない。

でもそれは自分で選べる。別に自分の写真じゃなくてもいい。
動物だっていいし、景色だっていいし、二次元のキャラクターだっていい。

ネットの世界は顔の存在を生得的なものから選択の余地を与えてくれた。
そういう意味では画期的な気がする。

まあ、それでも「選ばないといけない」という意味では顔の存在は消えてくれないわけだけど。結局看板を背負わないといけないという行為からは逃れられない。残念。人の性って感じ。

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