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【4分くらいで読める三題噺】虹 夕焼け 外の世界【いつも隣に孤独感】

虹 夕焼け 外の世界

私は今日も生きている。頭には鈍痛があるけれど、これはいつものことだから仕方が無いと半ば諦めている。常に痛む脳に、私はどれだけ悩まされてきたのだろうかと過去を思い返そうとする。しかし、碌でもない思い出しか振り返ることができない。そう理解しているから止めておくことにした。最後に優しく抱きしめられたのはもういつのことだったかすら思い出すことができない。ヒトの温もりとは。感情の高ぶりから流れ出る涙とは。もはや絶縁してしまったのかと言わんばかりに縁遠くなってしまった。

 薄くなった布団から、虫が這いまわるように体をくねらせて身を起こす。そばにあるちゃぶ台のこれまた薄くなった座布団に胡坐をかいて天板に突っ伏す。手がギリギリ届くか届かないかという所にある煙草に手を伸ばし、中のタバコが折れて曲がってしまうのではないかという位の力で握りしめた。ここ最近で一番力をいれた瞬間かもしれない。そう思うと大したことのない日常を過ごしていることに自嘲してしまう。ソフトの箱に入ったタバコを一本加えて、火をつける。ジジジと音を立てながら細い煙がふわりと浮かんでいく。吸い込んだ煙を肺に入れて、ゆっくりと吐き出していく。体中の血管が収縮し、ふわりと浮かぶような感覚に包まれ、愉快なような、不愉快な気持ちになった。外は雨が降っている。低気圧のせいか、呼吸がいつもよりも浅い気がして息苦しい。このまま息が止まってしまえばいいのになんて思ってはみるもののそれほどうまい話はない。呼吸すら人並みにできない私にこの先の人生をどう生きてゆけというのだろうか。小さな灰皿と飲みかけのペットボトルだけが置かれた机の上を手で振り払うと、煙草の灰が宙を舞い、ペットボトルと灰皿同士がぶつかり合って踊りを踊っていた。咥えているタバコの煙がボロリと落ちた。ほとんど吸いきってしまった煙草を直接机に押しつけ火を消した。苛立ちに任せて灰皿まで叩き飛ばしたことを少しだけ後悔する。お気に入りのちゃぶ台に焦げ跡が着いたからか、なんだか急に腹が立ってきた。

 そう思いながらも、なぜか心が侘しくてたまらない。雨が降り、ひどく曇った空のお陰で自分自身の気分はいつもにも増して沈んでいる。怖くて堪らない。この、暗いなあ、と感じる風景を生きているうちに、あと何度見ないといけないのだろう。時折外から聞こえる子ども達の声が今の私にとっては劇薬の様に思えてくる。私にも、今雨の中を元気に走り回っている子どもと同じ時代があったはずなのに、どうして今はこれほどまでに塞ぎ込んでしまったんだろう。ガラス窓一枚隔てた世界は、私が生きている世界とは全く違う世界なのではないだろうかと思うほどに眩しく感じる。そう考えていると知らないうちに涙が流れたような気がした。

 物理的な寒さではない、感覚的な寒さに私は背後から抱きしめられていると思った。動悸がする。呼吸がままならない。手足が冷たい。私はその場にうずくまる。もう自分で自分をどれだけ強く抱きしめても、この悪寒や孤独感から私は逃げられそうにない。

枕元においてある頓服薬のシートまで這って向かう。私の背に済む忌まわしい冷たい負の感情が重くて堪らなかった。ほんのすぐそこといった距離なのにその間も冷や汗が止まらなかった。薬局では患者に何も興味も無さそうな薬剤師が「用法容量を守って服用してください」と抑揚なく伝えてきたことを覚えている。小さな声で「わかりました」と応えたけれどあの声は届いていただろうか。

荒く乱れた呼吸を整えるため、シートに残っている錠剤をプチプチと出し、全てを手に取って、口に流し込む。そういえば水を用意していなかったことに今頃気づいてしまった。口内に収まった頓服薬は徐々に溶け出している。口の中に不快な苦みが広がった。仕方無いからその錠剤をかみ砕き喉の奥へと無理矢理に流し込んでやった。口内は苦々しくてしょうがないけれど、少し時間が経てば気分は落ち着いてくるはずだと深呼吸を繰り返す。どうやら私を背後から抱きとめていた忌々しい存在は薬という麻薬のお陰で退散したようだった。生きていることが辛いのに、早く私の命なんて燃え尽きてしまえと思っているのに、生きるために薬を服用している自分がおかしくて堪らない。一日生き永らえた所で今日と同じ明日がくるだけだというのに。

私の心は乖離している。死にたいと。生きたい。どちらの気持ちが本当なのか、私にはもう何もわからないし、わかりたくも無かった。もしその答えが出てしまえば、私は生きるか死ぬかの選択をせざるを得ないのだから。白か黒か。どちらにもなれない灰色の私は窓に近づき、カーテンを開ける。赤く染まり始めた空には大きな太陽が西の空に傾いていた。そして雨が上がったからか、虹も出ている。七色のアーチが目に刺さるくらいに眩しく、こんな美しい世界は無くなってしまえばいいのにと思う。さっき飲み下した薬がききすぎているのだろうか。眩暈がする。あとなんだかひどく眠い気がする。ズルズルと体が地面に吸い付き、私はその場に倒れ込んでしまった。ひどく眠いけれど、もう一本タバコが吸いたいと思い、だるくて仕方のない体を動かしタバコを拾い上げる。すぐに体が根を上げてしまい、私は床に大の字に仰向けになった。窓の向こうには虹がみえる。タバコを咥えて火をつけると子供の想像みたいな下らないことが頭をよぎった。

死んだらあの虹を渡ることができるのだろうか。

私は眠りにつく。目が覚めるかどうかは、わからない。

終わり

©︎yasu2023


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