森鴎外記念館で明治の千駄木を偲ぶ

「森鴎外と夏目漱石は同じ家に住んでいた」
この事実だけでかなり面白くないですか?この事実を知らなかった私は思わず「えっ」と声が出てしまいました。


本駒込散歩の傍ら、以前から気になっていた森鴎外記念館にふらっと行ってきました。

開催中の特別展は「千駄木の鴎外と漱石」
明治時代を代表する文学者として教科書にも必ず登場する彼ら二人を
「千駄木」というキーワードを通してその足跡と交流を見つめる特別展です。

入場料600円を払って入館。
展示室は地下の1階にあります。
「文京区立森鴎外記念館」は森鷗外の旧居跡地(通称「観潮楼(かんちょうろう)」)に2012年リニューアルオープンされた施設です。
外観から内装までとてもきれいに整備されていて、じっくり静かに鑑賞することができました。

展示室に入ると、順路右側には鴎外の生涯を時系列で追ったパネルが、左側には漱石のパネルが展示されており、明治という変動の時代を生きた彼ら二人の生涯を、実物資料などを交えながら知ることができます。

鴎外と漱石は明治を代表する文豪ですが、その対比が結構面白く、、

・生まれ
 鴎外→島根の田舎(津和野町)生まれ
 漱石→東京の都会(新宿)生まれ
・海外渡航
 鴎外→22歳でドイツへ
 漱石→33歳でイギリスへ
・職
 鴎外→陸軍軍医として「官」の立場
 漱石→新聞記者等「民」の立場

というように、似たような経歴を持ちながら別々の道を進んでいるのです。
そんな2人の共通点がほかならぬ「千駄木」、さらに言えば「駒込千駄木町57番地の家」なのです。
グーグルマップでいうとここ
https://maps.app.goo.gl/RoTPahfF2VHfEZpb8

この場所にあった家を鴎外は「千朶山房(せんださんぼう)」と名付け、1890年(明治23年)から1892年(明治25年)まで二人の弟と暮らしました。そして、この地でドイツ三部作の一つである『文づかひ』を執筆したと言われています。

そこから時が下ること11年、今度は漱石が同じ57番地の家に住むことになります。彼は1903年(明治36年)から1906年(明治39年)までこの家に住み、処女作である『吾輩は猫である』をはじめ、『坊っちゃん』『草枕』を執筆した。このことからこの家は「猫の家」とも呼ばれている。

現在この57番地の家は愛知県の明治村に移築され「森鴎外・夏目漱石旧宅」として一般公開されているとのこと。

日本を代表する文豪が同じ家に住んだことがあるというのは何か運命的なものを感じますね。
もちろん東京大学が近く彼らにとって馴染みの深い土地であること、文学者が多く住む千駄木という土地であることも影響しているとは思いますが、ただの偶然とは思えないですね。

この他にも千駄木には鴎外と漱石二人の小説のモデルになった場所があったり、主人公が小説内で歩いている場所を巡れたりと文学好きにとってはロマンが溢れまくりなところでした。

ぜひ足を運んで「千駄木」という土地の新たな一面を見つけてみてください。

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