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少年期を構成した 5 つのマンガ

今も昔も、面白い漫画は山程ある。だが、自分にどれだけの影響を与えただろうかと考えると、列挙するのが難しい。

少年期、初めて接する「漫画」というカルチャー、自分がどれだけの影響を受けていたのか、この機会に振り返ってみたい。

(1)鳥山明『ドラゴンボール

山奥に住む怪力で、メチャクチャ元気な孫悟空。ある日悟空は、七つ揃うとどんな願いも叶うという、ドラゴンボールを探すブルマに出会う。彼女とともに、悟空もハラハラドキドキの旅へ出発する!

産まれて初めて自分の小遣いで購入した漫画が『ドラゴンボール』だった。少しずつ単行本を揃えて、背表紙の続き絵が楽しみで、二回登場するヤジロベーに笑って、最終巻を本屋で手に取ったときの寂しさは、今でも思い出すことができる。

子供の小遣いでは『週刊少年ジャンプ』を毎週購入するのが不可能で、近所の団地に定期的に捨ててあった古本雑誌の束と、床屋の待合室にあった最新号を読むのも、小さな私の楽しみだった。単行本の遥か先、ギニュー隊長のカエル化と、孫悟空の超サイヤ人3化、その超展開にドキドキが止まらなかった。

現在の私に間違いなく影響を及ぼしているのは、亀仙人とブルマによる痴態の数々だ。特に、ウーロン扮するブルマが牛魔王の城跡で亀仙人に対して「ベロンッ!!」とおっぱいを出した場面、小さな私がギンギンに性へ目覚めた瞬間だった。現在の私はすっかり「ぱふぱふ」ができるほどの巨乳が大好きで、そして「バニーガール」が唯一大興奮するコスチュームだ。勿論「ベロンッ!!」が必須である。

最近になって発売された『ドラゴンボール カラー版』では、全ページに渡って鮮やかな着色がなされているのだが、「ブルマの乳頭」までもそれを実現してくれていたのは、集英社へ多大な感謝しかなかった。しかし、『ドラゴンボール SD』では、「大人の都合」ということで、そのシーンが丸ごとカットされていた。私は、集英社基準における青少年へ悪影響を与え得る性描写をダイレクトに目の当たりにして生きてきて、社会的に不都合な人間として今、存在しているのだろうか。確かに、性癖は完全にそれで確立されてしまったが、それもまた、少年期の思い出で笑って語られれば良いではないかと思う。

しかし、ブルマの正体がウーロンでも構わないという男の劣情は、なんと情けないのだろう。

(2)臼井儀人『クレヨンしんちゃん

”嵐を呼ぶ幼稚園児”、野原しんのすけ! あのおバカは永遠に止まらない!? お買い物好きの母ちゃん、ハイレグ&女子大生に弱い父ちゃん、幼稚園には風間くんやネネちゃん、激バトルが続く吉永&松坂先生もいて、毎日が大騒動!

最新巻が発売された夢を見て、授業中は気も漫ろ、放課後になったら自転車を飛ばして駅前の書店まで『クレヨンしんちゃん』を買いに行く、というのが妙なルーチンになっていた。何故か必ず、発売が予知夢になっていた。

当時、『漫画アクション』に連載されていた『クレヨンしんちゃん』は、まだターゲットが成人で、シモネタが全開バリバリだった。身近な大人たちはアニメの印象しか抱いておらず、その真実を知っているのは小さな私だけで、その背徳感も相俟って、隠したいエロ本的な「宝の漫画」という位置づけだった。

深夜のお色気番組をこっそり観ては興奮して走り回る野原しんのすけ、ななこお姉さんに真剣に恋する野原しんのすけ、涙目になるくらい笑って、でも自分もその後ろめたさを少しこの漫画に抱いていて、とにかく愛おしくて仕方がなかった。

そして思っていた以上に、『クレヨンしんちゃん』は自分の人生の一部だったようで、臼井儀人が事故で死んだとき、ショックで頭が真っ白になった。生涯の心の友を失ったような、もう二度と会えないという寂しさ、居た堪れなかった。

臼井儀人が死んだ後に刊行された『新クレヨンしんちゃん』、ハッキリ言って、期待していなかった。冒涜しているんじゃないかとの怖さもあった。だが、中期くらいの王道ギャグが復活していて、笑ってしまった。また会えるんだと思うと、嬉しくて涙が出た。

(3)『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場(ガンガン編)

『月刊少年ガンガン』を読んでいたわけでもなかったのに、何故か「ガンガン編」の布陣が特別に好きだった。後に『南国少年パプワくん(柴田亜美)』『魔法陣グルグル(衛藤ヒロユキ)』を好きになるので、単に趣向が近かっただけなのだろうが、その見えない親近感が読んでいて心地よかった。また、子供の小遣いでは漫画を大量に購入することはできないので、複数の作家が描く 4 コマで完結する漫画の数々は、妙にお得な感じがしていた。

起承転結が凝縮されたオチがしっかりしている 4 コマ漫画は奥が深くて、子供には難しくて理解できない描写も多々あった。それを何度も何度も繰り返し読んで、タイトルを聞くだけで 4 コマ全ての内容を口で言えるほどになるまで読み耽って、母親に「暗記しちゃうくらい同じ一冊の漫画を読んで可哀想」と言わせて新しい漫画を買ってもらうくらいまで読んで、やっとその奥深いオチを理解できたときの嬉しさは、堪らなかった。

この 4 コマ漫画へのリスペクトから、担当だった学年新聞に自作のギャグ 4 コマを掲載したが、主にウンコがオチのシモネタしか描けず、教師に注意されながら、4 コマ漫画家の偉大さを痛感していた。

(4)森下裕美『少年アシベ

声がでかくて元気な少年、アシベ君はある日、トラックから落ちてきた白い生きものを拾う。それはゴマフアザラシの赤ちゃんだった。「ゴマちゃん」と名づけ、アシベの家族の一員となる。大工の父ちゃん、クールな母ちゃん、転校してしまったアシベが恋しいスガオ君…。

ナスビ顔で髪型も似ていたからだろうか、小さな私は「アシベ」と呼ばれることが多かった。それが「褒めていない」ことは分かっていたので、気分は良くなかった。

だから主人公のアシベは同族嫌悪(?)なのか好きになれなかったのだが、すぐに泣いてしまうスガオ君には妙にシンパシーを抱いてしまったのと、アシベの父ちゃんの抜け具合が笑えて羨ましくて、登場するそれぞれの家族たちにもギャグを超越した温かみを感じていた。

それはきっと私の家庭とは全然違ったからなのだろう。父親は女遊びで殆ど家に帰って来なかったし、母親も子供に分かるほど家庭を露骨に諦めていた。つまらない現実の家庭から、理想の家庭像を『少年アシベ』に求めていて、読むことで救われていたのだと今になって思う。

当時、少ない小遣いでは『少年アシベ』を買うまでには至れなかった。持っている同級生の家に入り浸って、遠慮もせずに読んでいた。

(5)三条陸×稲田浩司×堀井雄二『ダイの大冒険

モンスターが平和に暮らすデルムリン島。その島で唯一の人間・ダイは、魔法が苦手だが勇者に憧れている少年。ある日、島を訪れた“勇者育成の家庭教師”アバンに才能を認められ、ダイは勇者になる特訓を開始! だが、そこへ復活した魔王が出現し!?

熱狂してプレイした RPG『ドラゴンクエスト』の世界観を有したこの漫画には、単純に少年心をくすぐられていた。自分の空想を凌駕する魔法や技の描写、漫画にしか登場しないオリジナルのアイデアにも驚かされた。鎧の魔槍による「鎧化(アムド)」も漫画だからこそできる描写で、アニメーションのないドット絵のファミコンでは得られない、『ドラゴンクエスト』世界の壮大さを実感させてくれることが、何とも言えない快感だった。

近所の銭湯から細長い廃材を貰ってきて、「ダイの剣」を再現しようとして、そんな物騒なもの(木刀)を作るなと母親に怒られたり、『ドラゴンボール』の超格闘よりも、より現実的な剣術に、小さな私は憧れていた。

そして時折見せてくれる巨乳(マァムやメルル)たちの乳頭も、密かに忘れられなかった。レオナが大魔王戦で服が破れ、おっぱいがポロリし、それをポップが見て赤面する場面が、妙にリアリティを感じさせた。都合よく服が破れない違和感を学習することになった。

あとがき

小さな私には少ない小遣いしかなくて、世間で有名になっていたりアニメが放映されていたりするメジャーな漫画しか手に入れることができなかった。だから、それら漫画を繰り返し読んでいて、思い入れが強くなっていて、有名漫画をより有名にしていたんだなと思う。

今は、少年期のように、強烈に自分の人生に及ぶ作品に出会えていない。それは大人になって、財力があり、様々な作品、娯楽に触れてしまったからだろう。少し読んで、つまらないと二度と読まない漫画だって山程ある。だが、少年期にそれは有り得なかった。それしか読むことができないから、繰り返し読むしかなかった。

するとどうだろう、面白いポイントを見つけるのだ。『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場(ガンガン編)』がまさにそうだった。子供には理解できなかったオチが、繰り返し読むことで、歳を重ね、読みながら成長していたことで、理解できるようになり、新たに面白くなる。大きな新鮮さを伴って。

これは大人になって、時間を気にして生きてしまっている今は、もう、できない体験なのだ。

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