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遠野と陸前高田をまわる旅のメモ

旅は二泊三日

遠野では、伝承園、河童淵、五百羅漢、遠野市博物館、デンデラ野(姥捨て山)うねどり神社、巌龍神社を。陸前高田では、東日本大震災伝承館をまわった。



遠野は、険しい環境でありながら同時に栄えている場所でもあった。
厳しい自然にさらさらた土地ではるが、季節ごとに行われく行事の表現のバリエーションにこの土地の文化的な発展をみた。
行事や儀式をただやるのではなく、それをどうやるのか、どう見せるのかに工夫されてきた様子が読み取れた。
そういった豊かな文化資本がこの土地の根差しているとわかった。





険しい環境で生きていく為には協力していく必要がある。
それは、人々だけではなく、動物、神々、怪異との共存。
人々、動物、神々、怪異を含めた自然のサイクルの中でともに生きていく。そのサイクルを保ち続けることが生存につながっていく。
人々は、動物を殺して食料や生活必需品を確保する。自然は、人間を簡単に殺すことが出来る厳しい環境にある。
与えることと奪うことのレギュレーションがシビア。

その環境で生き抜いていく為の仕組みや制度を信仰の形で、浸透させる。
それが生存につながるから。行事が多いのも、団結力を高めて協力しないと生きていけないから。



生存するために経験を後世に伝えていく必要があって、その方法として、長期的に形状が保たれやすい石に文字を掘って伝達する方法と、
出来事を昔話として伝達する、2つの方法をとっている。

昔話の内容で、妖怪が出てくると荒唐無稽な思われてしまうが、実際は現象や出来事の因果性を怪異という形で説明しているように思う。




天皇が座った座布団、スリッパが展示されていた。
天皇の影響力がつ強いのはどこもそうなんだけど、特にその影響を感じた。

そこに関連して、遠野と廃仏毀釈の際にどのようになっていたの気になった。
廃仏毀釈は、仏教に対する弾圧だけではなく、天皇系譜とされるアマテラスを神様の中心にするために他の神々と差を明確にする政策でもあった。遠野のような神々と共生する土地でそう言った政策がどのような影響をあたえたのか。
巌龍神社は元々お寺であったが明治維新のタイミングで神社となっていた。その辺りも深く関係していそうだ。
この辺りは、これをきっかけに調べてみようと思う。




陸前高田では、東日本大震災伝承館にいった。

東日本大震災伝承館は、建物と堤防が追悼のモニュメントになり、被災した当時のままで保存されている陸前高田ユースホステルと奇跡的に残った松が展示されていた。


東日本大震災伝承館では、津波という災害を先人たちがどのように後世の人たちに伝承してきたのか辿りながら、2011年の3月に陸前高田で何があったのかをまとめている。印象に残ったのが、震災でわかった問題点とそれを教訓にどういった改善をしたかまで細かく説明されていた点。

単に起こったことをまとめるだけはなく、それを教訓に具体的な対応策まで提示するのは、この土地に住む限り必ずいつかまた起こる大津波に対して、それが起こるまで間に何ができるか?あの悲劇を教訓として生かし、それを後世の人たちに伝えていく姿勢を示している。

まだ津波警報が解けてはいない段階で、瓦礫で通行できなくなってしまっている道路を復旧させる際、
二次被害の可能性がある現場に部下を向かわせる葛藤、瓦礫であり同時に誰かにとって大切な家や持ち物だったものをどかすことへの罪悪感、
そうしたリスクをとってまで進めた道路の復旧作業のおかげで、けが人を病院まで運ぶことができたことなど、当事者の視点からの語り。




厳しい土地で生きていく為に、いつか必ず起こる災害に対処する為に、過去の人々が残して来たもの、今を生きる我々が後世の人々に残して伝えていく事。
そうしたことを考える旅だった。





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