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【続いてる写経 589日め】〜『阿・吽』ご当地ツアー 特別公開の戒壇院

比叡山見学のフィニッシュは、特別公開の戒壇院と法華総持院東塔と、国宝殿。

法華総持院東塔は長く途絶えていたものを、1980年に鎌倉時代の絵図を手がかりに、ほぼ創建時代の姿を400年ぶりに再現したものだそう。
なのでピカピカでした。内部の絵ももちろん新しい。
それだけに、ちょっと面白みは、、ないかも。。

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もう一つの特別公開は戒壇院
ここは天台宗僧侶の「授戒」の場で、僧侶は生涯に一度、この道で釈迦牟尼仏から直接、戒を受けるのだそう。

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最澄さんは比叡山の戒壇設立に晩年を捧げたとされていて、実際に戒壇院が設立されたのは、最澄さん入滅の5年後。
そして焼き討ちにあっているので、現在の建物は17世紀のものでした。

本当に入ることが許されていいのか?というレベルの神聖な場所なんですね。堂内は入り口も暗幕が張られ、外の光が容易に入らないようになってました。

空気感が外とは違います
この場で行われている儀式の重みが迫ってくる感じがしました。
仏様に包み込まれるようでいて、容易に言葉も発してはいけないような、峻厳たる圧迫感がどこかにあります

足を踏み入れて、ちょっと申し訳ない気持ちになりました。
滅多に入ることが許されない場所であるのは当然ですね。

折しも、作家の瀬戸内寂聴さんの訃報が伝わったばかりでした。
寂聴さんは天台宗の尼僧なので、もしかすると、ここで戒壇を受けたのかもしれません。

今回の特別な機会に恵まれたことに感謝です。

国宝殿には、焼き討ちから守るために運ばれたものの、途中で打ち捨てられたという釈迦如来像が鎮座していました。
遺棄されていた仏像を保護したのはなんと信長と書いてあったような。。
皮肉なものです。

今回東塔エリアを駆け足で巡りましたが、比叡山というのは、やはり「焼き討ち」にあったことが大きくひびいている場所のように思いました。

まず平安時代からの貴重な建物や仏像や文物が焼失していることは、京都や奈良の他の地域と比して残念感が漂います。。

また、学校の教科書で「比叡山焼き討ち」って教えられると、悪いことしていた僧兵がたくさん立てこもっていたようなイメージが植え付けられてるんですけど。。私だけかしらん?

さらに天台宗って、キャッチコピー的なイメージがない。そこが弱いような。。

例えば、時宗の一遍上人「踊念仏」とか、この言葉だけでわかりやすい。
(しかも時宗、マイナーなのになあ。。)こーゆーのない。

「一遇を照らす」・・高尚すぎ。

それでも比叡山は多くの仏教の宗派の祖(浄土宗、浄土真宗、日蓮宗など)を輩出している地。その教えは脈々と受け継がれているわけです。
教義のカバー率の広さが、解釈と独自の宗派を生みだしたとされていて、懐深いのですね。

現在の比叡山エリアも懐深く、登山やドライブルートもある一大レジャーエリア。
お寺に興味がなくとも楽しめる地のようです。

でも、どこにも『阿・吽』の形跡なかったです。。ん〜、なぜ??
高野山では全巻売ってたのよ。




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