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【続いてる写経 808日め】〜”歴史認識”は進化する

歴史って固定化されずに変わっていくものなのね、と思った本。
吉村昭氏の『大黒屋光太夫』

大黒屋光太夫は、江戸時代(18世紀)伊勢出身の船頭。ロシアに漂着し、苦難の末10年の歳月を経て、日本に帰国した実在の人物。
彼について、新発見の文献も用いて書かれた小説です。

井上靖氏がすでに『おろしあ国酔夢譚』で主人公として描き、イメージが定着していた大黒屋光太夫・像。
双方を比べて読むと違いに興味深いものがありました。

1.小説の描き方
井上版は、全般的にこの漂流を大冒険譚として描いている感じでした。
史実の裏付けには基づいてますが、仲間のことや、旅先で出会う人々など、ドラマティックな展開が中心。

吉村版は、どちらかというと新発見の史実に重きを置いて、そこから読み取れるものを淡々と積み重ねていった感じ。

2.光太夫のイメージ
井上版は、光太夫を絶対に帰国を諦めない、強固な意思をもった人として描いてました。また、仲間への思いやりも熱いものがありました。

対して、吉村版は一歩引いて、光太夫は責任感は強いが、普通の人と同じような弱さをもった人物として描いてます。

特に、ロシア残留の仲間に対する行動は対極的。
凍傷で片足を失いロシア正教に帰依した庄蔵に対して、別れを告げるシーンは、全然違うのです。
井上版は、予め帰国が決まった事実を告げ、温情をもって、庄蔵に語りかけていました。
一方の吉村版は、出発の当日まで帰国が決まったことを明かさず、いきなり別れを告げ、泣き叫ぶ彼を置き去りにするのです。
最初に井上版を読んでるだけに、吉村版・光太夫の行動が残酷な仕打ちに思えました。

3.文化的な背景の描き方
井上版では、禁忌はあったものの、牛乳や牛肉を口にすることに、心理的な葛藤はあまり感じられませんでした。
吉村版は、スープの白い液体が牛乳であったこと知った後は、全員それを口にせず、牛肉についても、飢え死に寸前になるまで決して食べようとはしてませんでした。

当時の日本人の感覚では、吉村版によりリアリティを感じますね。

4.帰国後の詳細
井上版では、外国からの漂流民として、帰国後は身柄を拘束され自由に行動できなかったように書かれてました。

吉村版では、帰国後しばらくしてから、光太夫と磯吉とも妻帯し子どももできました。故郷の伊勢にも帰り肉親に対面したことまで描かれます。
光太夫に至っては、お伊勢様詣でもされたらしいです。

また、当時の蘭学者や医者との交流をし、光太夫のロシア語の知識が、その後の日露交渉にどう生かされたか、まで書かれていました。

吉村版は、近年発見された資料で、光太夫とともに帰国した磯吉の記録からエピソードを多数取り入れているのが新鮮です。

2作品を比べて読むと、新事実が井上版の後日譚のようになっています。
ロシアに残った仲間のその後も、ちゃんと伝わっていたのです。
「その後の彼らがどうなったか?」ちゃんとわかってスッキリしました。

大巨匠の文献読み込み能力、司馬遼太郎氏といい、歴史文学書かれる方って本当、マメだなあ。
お陰様で、エンタメ的に歴史が学べる、ありがたや。

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