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【続いてる写経 459日め(隅寺心経)】〜聞きながら書く〜

いつも書いてる内容、我ながらあまりにも写経とかけ離れている話が多いですねえ。。
最初facebookで始めた当初は写経と般若心経についての小ネタをなるべく書くようにしてたのですが、1年以上続けている結果、写経についてのネタや気づきが毎日書けるほどない状況になってしまいました。
そんなわけで雑文かつ、日記と化しています。

仏教、写経、般若心経について、ネタというか興味は尽きず、色々仕入れてはいますが、どれも深すぎて昇華追いつかないので。。

とは言え、ちゃんと毎日継続して般若心経に向かっているのは間違いなく、1年前の文字と比べると、自分でも進歩を感じられます。
この継続の喜びはなかなかのものです。仕込まないとできないことなので、よくぞ続いたな!とひとりほくそ笑むのです。

で、我ながら今日はいい感じで書けたなあ、というときは、このところはパターンがあって、もう文字書いているというより、「文字を書く音を聞いている」のです。

紙の上に筆なり、万年筆なり、鉛筆なりが滑って流れていく音が聞こえるとき、これがもっとも自分にとって心地よい瞬間です。

この流れが自分なりの音楽的な流麗さを持ったとき、集中力が最大に高まっているのを感じられます。

写経=文字を書くから一歩離れた客観視できる状態が、今のところ最も心地よいです。

ただ、この瞬間はまだそんなに長く続かないので、はっと我にかえりますけど。。

瞑想法の一つに音霊法という、ひたすら音を聞く行法があります。
これは時計の音や、川の流れる音など、聞こえてくる音をひたすら集中して聞く方法です。
外界の音を聞くので、自らの行為による音を聞くわけではないので、ちょっと感覚は違うかもしれません。

が、この写経しながら音を聞くことは音霊法に通じるものを感じます。

で、この状態になると、ひたすら眠くなるんですよ。。
時々眠気で、あっ!!ってなることも多々あります。

なのでちゃんと意識してないと、墨ボタとかになっちゃうのです。
そんなやっちゃった作品も結構ありますね。。

なお、今日の1文字はみ出ているのは、この隅寺心経(海竜王寺版)の特徴です。本来一行十七文字なのに、ここだけ勢い余って十八文字になっているのです。

これ書いた人(伝空海となってますが、実際は違うというのが定説)も書くのが心地良かったのかなあ、といつもこれを書くときは想像します。

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