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30歳建築家の現在の位置記録

半ば誰も見ていないだろうnote。気づけばもう30歳になり、今年は歳を重ねて31歳となる現在位置。なんとなく、今ならば自分の気持ちを素直に書けるだろうと何を書くかは考えずに今はただ、パソコンを弾いています。あっという間に過ぎていった20代、少し記録しておかないといけないような気がして。

2021年はスケジュール帳じゃわからないくらいに、濁流のような出来事の連続で何か一つ一つを咀嚼する暇もなく、

箇条書きでも
・結婚
・退職
・自宅のリノベーション
・結婚式
と出来事で言うととても多くのことが過ぎていった毎日でした。

振り返ると、1月時点で前職の会社で担当していた事業系のプロジェクトと個人邸のプロジェクトの佳境を迎えていて、プライベートでは婚姻届を出すために奔走していたと思います。日中の眠気覚ましで気づけば5,6杯のコーヒーを夜中まで飲み、また寝ずに朝を迎える日があるのかと、嘆く暇もなく過ごしていく毎日でした。

そして、6月に会社を退社することにしました。20代の後半を過ごしてきた事務所は過酷でしたがそれでも自分がやりたいことに対して着実に成長できる場所でした。思い通りにならず悔しくて堪らない時がほとんどでしたが、自分自身が徐々に出来る事が増えていく感覚は自信につながりました。

一方で、”自分自身の責任でPJを動かしたい”と言う気持ちは日に日に強くなり、街の抱えている課題を建築で解決したい、もっと街での行動を変えたいと思い、いつか独立したいなと思うようになりました。それは社会人になってから定期的に会ってくれる僕にとって相方と呼べる存在もあったからです。二人で勤めている事務所を退職してまずは彼の地元の近くでもある小田原に事務所を開くことを目指していました。

彼は、大学の同級生で
僕が新卒の頃は、彼は設計事務所で社会人2年目。

新卒で僕が入った事務所では最初半年間は僕自身設計の機会がなく、毎日デザインすることとは程遠い作業をしていた時、ひょんなことから彼と飲みに行くことに

「こんなことするために設計事務所に入ったんじゃない」と愚痴を彼に聞いてもらいつつ、彼自身もまだ設計案件がないことを聞き

半分冗談で"二人でマンションを買って二人で作品をつくらない?そしたら、自分達で責任をとってデザインできるよ!"
と酔った勢いで出てしまった言葉が相方に意外にも響いたようで、その日の夜は結構長かったこと覚えています。

それから二人で週末に活動するような日々が続きました。最初は休日があれば、購入できそうな物件を内覧しては”どう暮らし方を描けるか”を二人で妄想し、議論していました。

"通常の賃貸は現状回復がベースで、暮らしの履歴が0になる、それであれば自分たちでその場所ならではの暮らしを描いてそこに共感する人に売却しよう" "ゆくゆくは貸して分譲と賃貸の間の新しいモデルを打ち出そう”なんて中々にエネルギッシュなアイディアを実現しようと意気込み、何度もローンの申請を出しました。もちろんのこと男二人組・ましては薄給である設計事務所勤務の奴には誰もお金は貸してくれない、そんな現実を突きつけられる日々を続けていたら、ひょんなことからマンションの一室のリノベーションをしないか?との相談がありました。

心躍る気持ちで話を聞いてみると、どうやら施工の職人さんにお願いできる金額ではなかったため相方と大学の先輩の大工さんに頼み込み、3人で日曜大工を半年間行う20代男子ならではの荒技でやることに。なんとか形になったところで色々と無理がたたり、PJ自体は途中で終わってしまいました。

そのことで、当時はとても落ち込みました。PJが終わったことよりも、手伝ってくれた二人がなんせ20代男子の貴重な半年を費やしてくれたので、自責の念に駆られました。そんな時、相方からの「誘ってくれてありがとう。建築ってこんなに面白いんだって思わせてくれてありがとう。」という一言は当時の傷心を癒す言葉でした。

そんなこんなで色々活動して、5年目。そろそろ独立かというタイミングで相方が難病指定の病にかかってしまいました。信じられない気持ちと当時自宅の設計を二人で行っていたので、辛そうにしている相方を目の前にしていると「もっと頑張ろう」とも言えなくなっていた自分もいました。

自宅の設計がひと段落した時、相方から解散の打診がありました。覚悟はしていたのですが、いざ現実のものになると頭が真っ白になりましたが、受け入れられないけれど、受け入れる事にしました。

それだけ彼と描いていた未来はとても面白くやりがいがあって僕にとって常に目標であり続けていたものでした。休日に二人でマンションの購入計画の算盤を弾いた事、空き家を目の前にして活用したいと手紙を投函したり、中華料理屋のポスターを作ったりと、20代の刺激的な毎日は彼がいたからこそでした。

・・・だからこそ、諦められません。いつか彼と一緒に仕事をすることができれば、とても素敵な事だと思います。



と、ちょっと感傷的になり過ぎましたかね。今は、新しい設計事務所にご縁で入ることになり、また一からのスタート。改めて、能動的になれる都市を目指していきたいと思います。






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