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戦うヒロインがいつも心の中にいる

 息子は来月で3歳。最近はよく走り回り、ダイソーで購入したおもちゃの剣で、チャンバラごっこも楽しんでいる。
 そんな息子が、昨日は公園でチャンバラの最中に違うものに興味をとられ、私に剣を預けて来た。仕方なく私は腰のベルトに剣を刺し、息子を追いかける。走りながら剣を抜く。

…なんだこの高揚感。

 オモチャの剣を振りかざすのが、ものすごく楽しい。そういえば、昨年同じく息子と遊んでいた際に、水鉄砲で応戦したときも、すごく楽しかった。その時私は気が付いてしまった。

 多分、私は、強くて美しいヒロインになりたいのだと。

平成を彩る、戦うヒロインたち

 私のこのような嗜好は、少女時代に触れたメディア作品に影響を受けていると思う。

 振り返れば小学生時代は、「セーラームーン」の全盛期。私も仲良しの友達と、「○○ちゃんは亜美ちゃんね」「私はうさぎがいい」など、お気に入りのキャラクターを選んで、ごっこ遊びを楽しんでいた。
 しかし、当時の私が一番ハマっていたのは、何と言っても「魔法騎士(マジックナイト)レイアース」!一介の中学生にすぎない光・海・風が、異世界で剣技と弓技をきわめ、大型ロボットを操り、友情を育みながら、悪を討つ。そして、その悪も、実は悲しい事情を胸に秘め…。CLAMP先生の美しい作画と相まって、当時の私はその世界観にすっかり魅了された。今でもコミックスは全巻持っているし、アニメの主題歌も歌うことができる。
 他にも、中学時代は、小説「十二国記」シリーズの陽子の頑張りに、大学時代は、アニメ「攻殻機動隊」の草薙素子少佐の八面六臂の活躍ぶりに、胸を熱くした。特にこの二人は、セーラームーンとレイアースのチーム構成員が全員女性なのに対し、男性メンバーも含んだチームの中で、性差を感じさせることなく手腕を発揮しているところに、大きく特徴がある。

戦うことと、働くこと

 セーラームーンが我々世代の価値観に与えた影響については、ライターの稲田豊史さんが各種のメディアで詳しく語っている。ちょっと理想化しすぎなのでは?と思う部分もあるけれど、彼の指摘は、概ね私の感覚とマッチする。特に、「女性が、補佐役としてではなく、前線で働くことは普通。」という仕事観は、私は当たり前と思っていただけに、社会に出てからの壁に大変苦労した(苦労している。)

 まず大前提として、セーラームーン世代にとって「女性が最前線で働くこと」はデフォルト、自明の理。特に議論することもない、当たり前の常識です。これは、それまでの世代とは大きく違う意識と言えるでしょう。

 彼女たちが幼い頃に自分を投影したセーラーチームは、女子だけで構成された精鋭部隊でした。メンバー全員が敵と直接格闘します。“アシスタント”はいません。

 かつてのスーパー戦隊シリーズにおける「ピンク」担当のような、男性中心部署のマスコット的女子でもなければ、ロボットアニメの司令室でパネルをいじる後方支援要員でもないのです。

稲田豊史「セーラームーン世代の特徴―女を誇るが武器にはしない」日経doors, 2016

憧れは、生き抜くための必需品

 これらの作品とヒロインの存在が、「結婚しても、出産しても、総合職として仕事をしたい!」という強い希望に結びついて、私の今がある。もちろん、私と同じメディア作品に触れて育った人が、同じようにバリキャリ志向になる、と言いたいわけではない。ただ私の場合、明確にこれらの作品に影響を受けて、今に至った。

 令和の今、趣味は生活には不要、といった極端な論調を、しばしば耳にする。確かに、今日明日の衣食住に困っているのであれば、それらを満たすことが最優先だだろう。漫画やアニメ、小説にうつつを抜かしている場合ではない。(逆に言えば、このような論調をしばしば目にするというのは、衣食住に困っている人が増えているということの、現れなのかもしれない…。)

 ただ、憧れは、人間の大事な原動力。仕事で辛いとき、苦しいときは、心の中に彼女たちを召喚する。すると、少しは、頑張れる。創作作品は、私にとっては、現実を生き抜くための、必需品なのだ。

 CLAMP先生、竹内直子先生、小野不由美主上、士郎正宗先生、そしてスタッフの皆様。素敵な作品を世に送り出してくださって本当にありがとうございます。あなた方のおかげで、私は明日からも頑張れます。


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