ーラブトレインー
僕は恋をしている。
今朝、いつも通りに電車で通勤している途中、僕は恋に落ちた。
よほど急いでいたのか電車に駆け込んできた30代後半の男性がおばさんに怒られていた。
僕は駆け込み乗車を怒られているのかと思っていたが、どうやら乗った車両が女性専用車両だったらしく、そのことで怒られているみたいだ。
やれ男が乗ってきて狭いやら、やれ男の臭いが嫌いやら、やれ暑苦しいやら、やれ男尊女卑やら、終いには痴漢扱いまでされている。
どうする事もできずに謝っていた男性だったが、おばさんが物凄い剣幕で怒るので男性は今にも泣きそうになっていた。
そこに、僕が恋に落ちた女性が現れた。
彼女は「彼はもう充分に反省されてますし、許してあげたらどうですか?周りの皆さんも怒ってないですよ」とおばさんの怒号で静まり返った周囲の気持ちも気にした。
そして、すでに涙と鼻水を流している男性にポケットティッシュを差し出した。
おばさんも周囲を気にしたのか大人しくなった。
こんな女性みたことない。
僕は彼女の優しさに惚れた。
少し茶色くて綺麗な髪に惚れた。
ほのかに首筋から香る香水の匂いに興奮した。
そう、僕は彼女の真後ろに立っていた。
そう、僕も女性専用車両に乗っていた。
今僕は、新宿から荻窪方面へ向う中央線の下り電車に乗っている。
恋をした彼女はグレーのワンピースにフードが大きいエンジ色のコートを着て僕の目の前に座っている。
実はつい先程まで目の前ではなかった。
僕の斜め左前に座っていた。
目の前にあたる席には40代ぐらいのサラリーマンが座っていたが、ピッタリと横に張り付いて視線を送っていたら何も言ってないのに席を譲って下さった。
とても優しいサラリーマンだった。
斯くして彼女の目の前に僕は座っている。
他の席は下り電車ということもありガラガラだ。
今僕は、新宿から荻窪方面へ向う中央線の下り電車に乗っている。
僕の会社は山手線の池袋駅なので全くの逆方向だ。
新宿駅で彼女が山手線を降りてこの中央線に乗り換えたので僕も乗り換えた。
それだけのことだ。
だって僕は恋をしている。
僕は彼女のことを忘れないように持っていたノートに特徴を書いておくことにした。
・目はパッチリとしていてどちらかと言えば少しつり上がっている
・唇は厚めで、ピンクに近い赤い口紅をしている
・耳には小ぶりなピアスをしている
・髪はロングで自然な茶色だ
・首が細くて鎖骨が綺麗だろう
・黒いストッキングでスラリと伸びた脚が綺麗だ
・コートの膨らみから考えて、きっとEカップはあるだろう
・薬指に指輪無し(チャンスあり)
簡単に似顔絵も描いた。
すでに電車は荻窪を過ぎていた。
三鷹も過ぎただろうか。
不意に隣から笑い声とともに聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
ジャスミンだ。
(※ジャスミンとは…僕に好意があるようだが全く僕の好みではない女性で、今時はいないギャルというかなんというかその…)
このシチュエーションで一番会いたくない人間だ。
ジャスミンはいつもの大声で話しかけてくる。
「ぐうぜ~んすぎて草!何してるの~?仕事休み~?この前さ~…」
やめてくれ。やめてくれ。この恋を邪魔しないでくれ。
僕は他人の振りをしようと、「人違いではないですか?」とひきつりながらも笑顔をつくり、目で黙れ!と訴えた。
そんな訴えが空気読めないジャスミンに通じるはずもなく余計にジャスミンはうるさくなっていく。
静かにしてくれ、静かにしろ…
「黙れ!邪魔をするな!」
気が付くと電車は立川駅に着いて、前に座っていた彼女の姿はなかった。
慌てて電車を降りて彼女の姿を探した。
ジャスミンが文句を言いながら僕の右腕を掴んでくる。
ジャスミンを振り払い階段まで行ったところで彼女を見つけたがすでに階段を上りきるところだった。
僕は、せめて彼女の姿をいつでも見ていたいと思いスマホのカメラで写真を撮った。
「カシャッ」
画面には彼女の後ろ姿が綺麗に写っていた。
最近はスマホでも高性能なカメラ機能が付いていて便利だなと思ってニヤニヤしていたら不意に右腕を掴まれた。
またジャスミンか、いい加減にしろ、お前のせいで、と振り向くと鉄道警察の方だった。
どうやら階段の下で写真を撮ったので盗撮犯と間違われたらしい。
ハハハ、と笑いながら違う事を説明したが写真を撮った事を署まで来て説明してくれと真顔で言われた。
僕は誤解です、違うんです、と警察の方の腕を振りほどいた。
振りほどいた拍子に先程彼女の特徴を書き記したノートが鞄から落ちた。
先程のページが丁度良く開いている。
今僕は、立川駅の鉄道警察隊 立川分駐所にいる。