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囲碁史記 No.6

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囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.6は囲碁史記 第106回から第123回まで 本因坊秀栄が亡くなった後、日本棋院が設立されるまでの囲碁界を紹介…
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#方円社

囲碁史記 第109回 巌埼健造時代の方円社

三代目社長・巌埼健造 明治三十二年(一八九九)一月二十日、方円社社長・中川亀三郎が隠退…

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囲碁史記 第111回 囲碁同志会と中川千治の方円社長就任

中川の方円社退社 明治三十二年に方円社三代目社長に就任した巌埼健造は、社の立て直しに尽…

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囲碁史記 第117回 大正期の棋士②

 前回、大正期に活躍した棋士を何人か紹介したが、他にもたくさんいるのでもう少し紹介して…

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囲碁史記 第118回 方円社、中川社長辞任と広瀬の就任

雁金の方円社復帰 大正八年四月、長らく囲碁界の表舞台から遠ざかっていた雁金準一が、十四…

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囲碁史記 第119回 日本囲碁協会の頓挫

 大正末期、囲碁界には急速に合流の機運が高まり、紆余曲折を経ながら日本棋院が設立される…

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囲碁史記 第120回 裨聖会

裨聖会設立 大正十一年十一月、方円社の雁金準一、岩佐銈、鈴木為次郎、瀬越憲作、本因坊門…

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囲碁史記 第121回 中央棋院設立と分裂

 前回も述べたが、大正十一年十二月に革新的な改革を提唱する裨聖会が設立され、方円社では囲碁界統一に積極的な理事の鈴木為次郎や瀬越憲作がいなくなり日本囲碁協会設立計画は活動停止を余儀なくされる。  その反面、方円社では重鎮が抜けたショックが大きく、坊社両派が急速に歩み寄ることとなり、東京囲碁界の仮統一組織とも言える中央棋院が設立される事となる。 中央棋院設立の経緯 方円社の丸ビル移転計画に奔走していた広瀬社長は、疲労や、雁金、鈴木、瀬越の三人が抜けたショックのためか病に倒れて

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囲碁史記 第122回 関東大震災と囲碁界

 大正十一年末から十二年にかけて、囲碁界は激動の時期を迎える。十一年十一月に裨聖会設立…

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