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囲碁史記 第120回 裨聖会


裨聖会設立

雁金準一

 大正十一年十一月、方円社の雁金準一、岩佐銈、鈴木為次郎、瀬越憲作、本因坊門下の高部道平が突如声明書を発表する。坊社両派の重鎮による声明に囲碁界は騒然とする。

  趣意書
 今回下記の五名が発起致しまして、将来棋界の第一人者たるを期すると共に、現代棋界の革新を図る為に、一つの会を作りました。即ち我々が勝負を争った上で、最も優秀の成績を挙げた者を棋界の代表者として推薦し、若し之を認めぬ者がありますれば、何時にても対等の資格を以て勝負しようと云ふのであります。其れには従来の行懸りを抛って、新たに総て皆互先で手合致します。つまり一種の選手権競技制を採らうとするのであります。之に付きましては皆様に御後援を御願ひ申して、私共は能るだけ一切の係累から離れ、専念の努力を尽したい考へでありますから、左記要綱を御覧の上、どうか御加入あらんことを願ひます。
 大正十一年十一月  日
       雁金 準一
       岩佐 銈
       鈴木 為次郎
       高部 道平
       瀬越 憲作
 競技の綱領
一、手合は各人一組(黒番一局 白番一局)づつ打つこととし、一順(五人なれば十組二十局) 打終った時を以て一期とします。
一、前記の成績は採点の法に拠り、優秀圏(満点の三分の二)に入りたる最高得点者を以て第一期代表者となし、其名誉を表彰します。
一、前記の方法で代表者以外の人々が手合をなし、其最高得点者が代表者と手合をして、第二期の代表者を定めます。
一、三期継続して代表者の地位を占める者があれば、特に永久に其名誉を表彰します。
一、我々は能るだけ競技者の範囲を広めたいと思ひます。従って参加を希望する者は何人でも拒みません。只其乱雑を防ぐ為に予選の法を設けて、之を通過した者に始めて資格を与へることにします。
  会場日時等
一、会場は当分  区  町  に設けます。
一、 手合は毎週日曜日と定め、午前九時より(午餐休憩一時間) 午後六時まで、一局四回 (三十二時間)以内で打ち切ります。従って第五日曜は休会となります。
一、本会は大正十一年十二月三日(第一日曜)を以て開始する筈であります。

 裨聖会の役員は次の通りである。
  会長  侯爵 細川護立
  評議員 伯爵 芳川寛治 各務鎌吉
      高橋錬逸    大縄久雄
      榊原常吉    斎藤恒久
      浅川保平    内田孝之助

 詳細は会則のところで説明するが、革新的な内容である。

名称の由来

 趣意書が出来た当初、会の名称や会場はまだ決まっていなかったが、十二月三日に芝の紅葉館で行われた発会式において、会の名は"裨聖会"と命名された。
 裨聖会の命名者は犬養毅である。その由来について報知新聞社出版部「裨聖会棋譜」に犬養の詩文を添えて紹介されている。

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