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ゲーム禁止の家を出て、ポケモンにハマった話

うちはゲーム禁止の家だった。それが18歳か20歳かは当時は関係なかったのだが、大人になるまではだめ、とのことだった。目が悪くなるからとか、そういう理由だったはずだ。たまごっちやポケットピカチュウはOKで、スーパーノートクラブ(通じる人いるかな)も持っていたけれど、本体とソフトがあるものは禁止だった。

家にゲームがなかったので、母が信長の野望(ってなんだよ、ってかんじだったけど)をやったことがあるであるとか、父が電車でGo!の話を時々しているのには(ゲームセンターでやってたのかな?)、興味津々、というかんじであった。もちろん親たちもゲームは禁止で、持っていなかったし、ほしいとも言っていなかった。ちなみに、ゲームよりもずっと先に、PCがうちに来た。1日30分までとか、最初はそういうルールだったので、ぱんぞうとか(まだあるかな)、Webゲーム自体はしていた。

そういうわけで、ゲームボーイでもテレビゲーム(当時はそう呼んでいた)でも、やるとなれば児童館で30分だけ借りるか(ゲームボーイは借りることができたけれど、データは当然ながら次の子に消された)、友達の家でスマブラをやるくらいだった。ちょうど小学生のときに、ポケモン、ゲームボーイ、Nintendo64なんかが出ていて、猛烈にポケモンをやりたかったはずなのだけれど、持っている友達に頼んで、セーブさせてもらってやるほどの欲深さ?ではなかったのだろう。


金銀が出た

そうして、ゲームボーイはカラーになり、ピカチュウ版が出て、金銀が出た。

ちょうどはまる年頃だったのだろう。当時私は小学何年生の雑誌を毎月買ってもらっていて(優等生ってかんじでしょ)、これでポケモンの漫画も読んでいたし、情報も仕入れていた。その懸賞でゲームボーイと金銀ソフトのプレゼントがあり、当たったら親には秘密にして引き出しに入れておいて、こっそりやろう…と考えていたものだった。そして、ゲームを持っていないのに、攻略本は買ってもらった(ゲームを持っていないのになぜ買ってもらえたのかと言えば、確かおばあちゃんに買ってもらった気がする)。この”こおりのぬけみち”はどうやって抜けるんだろうと、攻略本を見ながら考えていた。実際はやっているうちにするすると抜けられるのだけれど、本を見ていると不可能に思えてきて、ずっと考えていた。今や攻略本を買わなくても、検索できるようになっちゃったね。

自分のお金で買うならOK

時は流れ、前に書いたけれど、東京の寮に住んでいるときの話。

当時私は渡米前で学校に通っていて、いわゆる期末テストを控えていた。12月だった。寮の食堂にテレビがあり、そこで金銀のリメイクのCMをやっていた。それを見て、ふうん、と思ったのだった。昔すごくほしかった金銀のリメイクが出た。そして、私はもう家を出ている。

ということは、だ。もう、ポケモンやってもいいんじゃないか!?

母に聞いてみたところ、自分のお金で買うならいいわよ、とのこと。ただし、家にいる弟はまだゲーム禁止だから、実家ではやらないでよと。

そうして、最後のテストを終え(US Historyだった)、新宿の学校だったので、帰りにビックカメラに寄り(今はビックロだ)、Nintendo DSとソウルシルバーを買った。その夜、寮で夕ごはんを食べながら、ポケモン買っちゃった、と友達と話した。初めてやるの、とか、言ったかもしれない。ポケモンか、よかったね、とか、言ってくれたはずだ。

そして、ごはんを食べ終わって、部屋に戻り、ポケモンを始め・・・朝5時までやった!笑

翌日も昼過ぎに起きては、ポケモンをやった。ちょうどKFCとMcDonald’sが近くにあり(今も永福町にあるかな)、McDonald’sではお店のWifiにつなぐとポケモンがもらえたか何かで、食事がてらポケモンを持って行った。KFCは、普段食べないけれど鶏好きなので、テストも終わったし、やることもないし、もうとことん自分を甘やかそうということで、不健康極まりないけれどテイクアウトした。その後、いわゆる終業式的なものには行ったような気がするが、その翌日友達とグループで遊びに行く約束は、起きられずにすっぽかした。言い出したのも私だったはずだが、誰も問い詰めなかった。笑 でもね、約束したことも、タルトを食べに行くはずだったことも、私はきちんと覚えているのだ。ごめんね友達。今も友達でいてくれてありがとう。笑

そして、冬休みなので飛行機で実家に帰ったのだが、飛行機でももちろんやっていた。お楽しみ中のところすみません、とCAさんに言われたのが印象的だ。たしかに楽しんでいたから。実家でもやはりやっていて、母には注意されたものの、弟は私のような反動や抑圧がなかったらしく(つまり私よりも友達の家でゲームしていたということなのだけれど)、特に悪影響にも問題にもならなかった。

ニューヨークが舞台のポケモンを、ニューヨークで

冬休み中にある程度クリアしたこともあり、私のポケモン熱は、新学期がはじまるとともに冷めていった。以来、学校が休みになるとポケモンのことを思い出し、買っては遊ぶものの、semesterが始まるとしなくなり忘れる、という調子だ。ソウルシルバー以降に発売したものは、すべてやっている。

留学してから、英語の勉強もかねて、プラチナを英語でやった。Best Buy(アメリカの電機屋チェーンね)だったかで買った。これがまた、ポケモンずかんって何て言うのとか(Pokedex)、ゲットだぜ!のことがGotta catch em all!だったりとか、ポケモンの名前も技の名前も全然わからずだった。そして、このプラチナはほとんど私の記憶に残っていない。いつやっていたのかも、正直思い出せない。

さらに、プラチナよりも先に、NYCが舞台のポケモン(Black&White)をNYCにいながらやる、という、なんとも何次元な体験をしていた。今は同じソフトで最初に言語を選ぶのだけれど、当時は翻訳にも時間がかかっており、全世界同時発売ではなかったので、日本語で最初に発売したソフトをアメリカで誰よりも早くやっていた。ポケモンでBrooklyn Bridge(にあたるもの)を渡りながら、私もリアルでBrooklyn Bridgeを渡るという、なんとも優越感の、というか、とにかく満足感のある体験であった。笑

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現在北海道にいる友達が、住んでいるのは何番道路のあたり、と言っているけれど、私も当時住んでいるのがどのあたりなのか説明することができた。そして、Spanish classで一緒だった男の子にも、ポケモンを見せてあげた。それで特に仲良くなることはなかったけれど。というか、ポケモンのゲームの話で盛り上がったことは日本の友達以外とはない気がする。ちなみに、Rockefeller CenterにはNintendo Worldがあり、おおお!と思ったことを覚えている(トップの写真)。友達紹介ついでにだけれど、私はPokemon Goは特に惹かれずやらないままだけれど、ある途上国にいるときに同僚に見てみたいと言われ、downloadしたことはある。

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ゲーム禁止だと、反動もすごい

最近は、だいたい冬前に発売することがわかっているし、情報もとれるしで、きちんと予約をして、毎回楽しみにしている。買ったらもちろんやるけれど、飽きっぽい性格だし、大人になれば仕事もあるしで、ソウルシルバーのようなはまり方はしなくなった。

ちなみに、”1日何時間までと決めた時間を守るから”と言いながら、当時はかなり反発したものの、このゲーム禁止policyには感謝している。ただ、やはりゲーム禁止だったから反動もすごかったということに変わりはなく、ポケモンの話をしているときは楽しそう…と、友達が言うくらいだ。ポケモンセンターのアルバイトを考えたこともあったし(そう募集がないのだけれど)入社を考えたこともあった(新卒しか採らない会社だった)。

ただ、同じ家で育った弟は、私ほどのゲーム欲も反動もなく、大人になったところでゲーム解禁!とはならなかった。部活やら何やらで私よりも常に忙しいタイプなのだが、大学院に受かったときだけはプレステを買って、一番気に入っているという古いドラクエをやっていた。

さーて。今日もきちんと仕事したことだし、ポケモンやりますかね~。

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