2つに割れた7月8日
魂が抜けたようにテレビ画面を見つめる夕方。
娘の視線を感じ、はっと我に返る。
何かを読み取ろうとして、私の顔をじっと見つめていたのだった。
そうか、私には、やらなければならないことがある。
手応えを確認するように、レタスを切ることを再開する。
須賀敦子さん「コルシア書店の仲間たち」を本屋で買ったのは、午前中のこと。
昼前のニュースが、その日をまっぷたつに分断する。
◆◇◆
須賀敦子さんのエッセイはゆったりとして余白があるから好きだ。「そこの部分は、記憶からすっぽり抜けている」「エレベーターで上った、四階か五階」など、須賀さんのおぼろげな記憶を辿りつつ、読者に猶予を与えてくれるような心地よさがある。
そうかと思えば、「ぎいぎいと軋むような声」「野球のグローブみたいに大きな手」など、印象的で鮮明な描写が時折現れ、脳の裏側にスッと刻み込まれるような心地よい驚きもある。触覚や嗅覚、聴覚、あらゆる知覚に語りかけてくれる、揺れるような読み心地が好きなんだと思う。
目を背けたくなるような出来事は、小説の中でも起こるし、現実でも起こる。
須賀敦子さんも、ミラノで色んな経験をされたのだと思う。きっと、辛いことや、悲しいことも。それなのに、ふんわりとした余裕と優しさを感じる。
その夜は、不思議な夢を見た。どんな夢かは忘れてしまった。翌朝は少しだけ、すっきりしたように思う。
前日の正午の、鮮烈な、くっきりとした裂け目に比べたら、夢を境にした日付の境界線は、驚くほどぼんやりとしていた。
今日は、家族でかき氷を食べた。
ハワイアンブルーのかき氷に練乳をかけて。
きいんと、こめかみに痛みが走る。
いつもこうなるのに、こうなるとわかっているのに、ひんやりとした美味しさに負けて、ついつい急いで頬張ってしまう。
私は、人の痛みがわかる人間になれるだろうか。
娘達の笑い声を、聞きながら。
(2022.7.9)
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