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1番近い他人『日記:2024.3.29』

久し振りに雨が降った。

目覚ましを掛けていない朝8時。
いつもより暗いカーテンの裏から、バサバサと雨音が聞こえた。SNSを開くと、都心は昨日雨だったみたいだ。私の居場所は、情報も雨雲も雑誌も到着が遅い。

雨だから気分が下がるとは思わなくなった。この半年間、人から見れば私はいつだって気分が下がっている人間だからだ。
私が働いていないのは、精神を病んでいると思っている人が多い。でも私は結構ピンピンしている。


周りからどう思われているかなんて気にしていない私が、母に気にし過ぎだと言われるのには理由があった。
それは、自分の目線より他人の目線に立って自分を見てしまうからだ。

何も無い白い部屋。
そこに立っているのは私。何も無い、真っ白な私。

でもこの文章を書いている私が見えるのは、部屋の四隅に設置してある監視カメラからの映像だけだ。カメラを通して一人の成人女性、私を見ているだけで、私から見える白い部屋を想像することが出来ない。

私は人の目を気にしているのではなく、いつだって私が私ではなく、他人事なんだと思う。

私は私であるけれど、私は私の中で1番近い他人なのだ。


ハローワークの相談員さんから、やってみたかった求人を郵送してもらった。

今日で3月の平日が終わる。今月中に電話をすると決めていたのに、どうしても躊躇う自分がいた。だが郵送された求人票を見た時「今やらないといけないんだ」と背中を押されて電話した。

次の面談日程が決まった。

動き出すのが苦手なのは、ただの怠惰なのかと思っていた。それも多少はあるが、自然と客観視してしまう自分がいるせいで、自分事になった時にどう動けばいいのか分からなくなるからだ。

ゲームの主人公をゲームコントローラーで動かすことは簡単でも、勝手に物語を進めていいよと言われたら、この先どんなに楽しいことが待ち受けていても一旦立ち止まってしまう。私はこれからどうしていけばいいんだと、私を見つめているゲーマーに聞きたくなってしまうのだ。

私は私として動くことが難しい。

だから私は、物語が好きなのかもしれない。

物語に私は登場しない。
私が登場しない代わりに、私が作り出す登場人物達が私の好きなように動き回る。自分では出来ないことや、物語でしか出来ないことが、文字となって言葉となって、台詞になる。この感覚が楽に生きられる方法なのだと思う。

だからこれからも、私じゃない人に動いてもらおう。私は私なのだけれど、私じゃない人に。私がもう少し成長して、語彙力を身に付けたら「私じゃない私」の説明が出来るようになるだろう。

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